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2023年12月1日金曜日

【生配信】第334回 飯田泰之&山田吉彦が話題のニュースを深掘り解説!

【生配信】第334回 飯田泰之&山田吉彦が話題のニュースを深掘り解説!

#あさ8 武漢肺炎第2弾 米国大統領選を睨んでの工作か

R5 12/01【ゲスト:平井 宏治】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第259回 #あさ8 武漢肺炎第2弾 米国大統領選を睨んでの工作か

「借りること」と「使い捨て」

「借りること」と「使い捨て」 愛用品の次は、「借りること」と「使い捨て」です。つまり、愛用品の時代には、ものは「愛用品」と「借りるもの」と「使い捨てするもの」の三つに分かれると言われています。 人生は様々な時代を過ごします。小学校の時には夢中で飛び回っていますし、体も大きくなってきます。中学校はこころの成長の時代、高等学校は受験、青春時代は苦く過ぎます。独身時代新婚時代、子供が小さい頃、そして単身赴任、子供の結婚、老後と人生は一様ではありません。そのなかで、変わらず使うものは愛用品ですが、生活の変化に伴って変わっていくものもあります。その典型的なものが、住宅と車でしょう。一生、一軒の家に住む、落ち着いた生活も良いでしょうが、独身の頃には華やかな都心のアパートに住み、新婚時代は狭いながらも楽しいマンション、そして、庭のある 一軒家に住んで、老後はまた夫婦二人でマンションに、という生活も良いものです。 このように人生の流れとともに変わる必要性に合わせて、住宅を選ぶ、そしてそこに家具も備えつけられているという町を作ろうという計画が建築の人を中心に盛んに進められています。若い頃、苦労して小さくて遠い持ち家を買い、ローンに苦しみ、そこで 一生を暮らせるならよいのですが、手狭だったり家族構成が変わったり、また病院が遠かったりして、結局、あれほど苦労した家もやがて手放さなければならなくなります。 「家は持たない」ということが良いと考える建築家や都市計画の人も多いのはこのようなことからです。若いとき、成熟したとき、そして老年と自分の一生が変わることを認め、「家を所有する」ことに人生を求めるのではなく、「人生の時代に合わせて家を使う」ことに主眼をおくのです。それは「ものを所有する」という呪縛からときはなたれ、ものが主人の時代から、人生自体が主人になる時代への転換でもあります。 建築家は町の全体をそのような思想で作り上げなければなりませんし、そこに住む人も「家を使い、人生を所有する」という考えで過ごさなければなりません。 これと同様に、車も「愛用品として所有する自分の車」と「車を使って人生を所有する」というものに分かれるでしょう。そして、かつてのように「新車は一年で手放した方が有利ですよ」などというささやきが遠くに聞こえるようになると思います。愛用品として所有する自分の車は、最低一〇年は使うでしょうから、それなりに愛用品の五原則を満足していなければならないでしょうし、「車を使って人生を所有する」という人にとっては、これも車は安く借りれることが第一ですので、平均して一〇年以上は使った車が使用されるでしょう。 現在のシステムはそうなってはいません。車を所有するようでもあり、車を使い捨てするようでもあります。「愛車」とはいいますが、その車をいとも簡単にかえていたのでは「愛車」とは言えないでしょう。 愛用品時代の三番目の指針は、使い捨てすることです。 人間はもののために生きているのではなく、生きるためにものを使うのですから、愛用品にもならず、リースもできないようなものは、できるだけ効率的に使い捨てすることです。「効率的に」というのが大切な、生活の部分です。 つまり、そこではものを使うのにできるだけ効率が求められ、可能な限り蹂境にやさしく、安いものが良いからです。その点で、ペットボトルとビールの容器であるアルミ缶、そして紙パックは優れたものです。 ペットボトルは、最も少ない石油資源で優れた容器ができるという点で、素晴らしく環境に良い商品です。倹約して使うことは大切ですが、衛生的で、毒性も少なく、焼却もしやすく、半分飲みかけでも取っておけるなど本当に理想的な容器です。ペットボトルができたおかげでそれまで半分だけ飲んでもそのまま捨てなければならなかった金属缶も少なくなり、油やお醤油も大変、環境に良い容器に代わりました。ペットボトルを作った人に「環境大質」をあげたいくらいです。 それでも、ペットボトルをリサイクルすると、途端に環境には最悪の商品になります。石油は三倍以上使うし、品質は悪くなるし、人手も使います。リサイクルはペットボトルの良さを消してしまうのです。ペットボトルのリサイクルを始めた人は反省してもらわなければなりません。同じように、アルミ缶もビールの容器としては最適です。軽く、熱伝導率が高いので冷えやすく、そして衛生的です。こんなに素晴らしい商品を考案して改良してきたアルミ缶メーカーの技術者に「環境大賞」をあげたいくらいです。アルミ缶ができたおかげで重たいビールビンを担いで腰痛に苦しむ人も少なくなりましたし、「ビールは飲みたいけれど、あのビールビン一本分は飲めない」という人も小さなサイズのアルミ缶のおかげで、人生を楽しむことができるようになりました。 ところが、アルミ缶のリサイクルは最悪です。特に、アルミ缶リサイクルの関係者が「ボーキサイトからアルミを作るには電気が大量に必要だ。それに対して、アルミ缶からアルミを作るときには電気がわずか三〇分の一しかいらない。アルミ缶は貴重なアルミ資源だ」と言っているのはすぐやめてもらわなければなりません。 人間は、間違うこともありますが、「自分で良いと言って他人に勧めておいて、自分は別のことをする」というような品性の悪いことをしてはいけません。アルミの関係者は「ボーキサイトの方がエネルギーがかかる」と言っておきながら、ボーキサイトを買いにお金をもって海外まで出かけていきます。 その同じ人が「アルミ缶の方がエネルギーが要らない」と言っておきながら、相変わらずアルミ缶を取りに来ません。「ボランティアが集めたら使ってやっても良い」という態度です。これは、どうしたものでしょうか? 著者はこのアルミ関係者の態度にかなり怒りを覚えています。おそらく、リサイクル関係の矛盾のなかでも酷い方です。もし、本当にアルミを作るのに、ボーキサイトよりリサイクルアルミ缶の方が良いのなら、これまでボランティアでアルミ缶を集めた多くの人たちに、是非、「原料代」を支払ってほしいものです。日本人、それも善意のボランティアをただで働かせ、海外の鉱山会社にお金を払う、それも「リサイクルアルミ缶より、エネルギーが三〇倍もかかる価値のないボーキサイト」と言っている当人なのです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 202311201 198

2023年11月30日木曜日

【生配信】第333回 森永康平&伊藤俊幸が最新ニュースを深掘り解説!

【生配信】第333回 森永康平&伊藤俊幸が最新ニュースを深掘り解説!

#あさ8 政府の中東政策は果たして、誤謬か故意か。いずれにせよ修正が必要

R5 11/30【ゲスト:飯山 陽】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第258回 #8 政府の中東政策は果たして、誤謬か故意か。いずれにせよ修正が必要

愛用品の五原則

愛用品の五原則 ここまで、新しい時代の生活について、こころを中心に 整理をしてきました。 最後に、わたしたちが長く親しんできた「ものの時代」に別れを告げ、いよいよ本当にこころの満足を得るための「こころの時代」を築くために、実際の生活に立ち戻って、「愛用品の原理」を示します。実在感ある優れた環境、体の機能を適切に使った満足感、そして、自制と感動を呼ぶゆったりとした時間は、獲得しなければなりませんが、それと同様に、生活それ自体も、わたしたち自身が獲得するものであり、そのための第一条件が、愛用品を使うことです。 ものに幸福を求め始めると、ある特徴が現れます。それを、インド独立の父、マハトマ・ ガンジーが巧みに表現しています。 「こころというのは落ち着きのない鳥のようなものであるとわたしたちはわきまえています。物が手に入れば入るほど、わたしたちのこころはもっと多くを欲するのです。そして、いくら手に入っても満足することがありません。欲望のおもむくままに身を任せるほど、情欲は抑えが利かなくなります。」 「もの」はこころが求めるものですが、こころは落ち着きのない鳥のようなものなので、ものが手に入り出すと、こころはものの方に移り、最初に何を目的としてものが欲しいと思ったのかを忘れてしまうのです。そして、現代の社会は、こころが本来の目的を忘れるようにし向けますので、余計にやっかいなことになります。 「愛用品」が中心となる時代には、「もの」は三つに分かれるでしょう。 まず、「愛用品」です。愛用品とは次の五原則をもったものと著者は考えます。 一 、持っているものの数がもともと少ないこと 二 、長く使えること 三 、手をやかせること 四 、故障しても悪戦苦闘すれば自分で修理できること 五 、磨くと光ること 、または磨きがいがあること 現在のわたしたちの身の回りには愛用品は少なくなりました。 わたしたちが愛用品を持てなくなった一つの原因は、必要もないのに、そしてあるときにはよく考えずに「安いから」という理由でものを必要以上に買ったことにも原因があります。そのようにして、身の周りのものがあまりにも多くなると、目移りしたり、忘れたりして「愛用」どころではなくなります。そこで、愛用品の五原則の第一は、ものを少なくすることと言えるのです次に、愛用品は長く使えることが条件であることは言うまでもありません。愛用品なのですから、長く使えないと愛用できません。長く使えるには、そのもの自体が丈夫であることが前提ですが、むしろ、まず自分が気に入っていることの方が大切です。人間は好き嫌いがありますし、愛用品を持つ目的はこころの時代にふさわしい生活をするのですから、自分が気に入るものを持つことがまずは必要です。 しかし、それは「高いもの」や「ブランドもの」ではないこともたしかです。著者はあるときに外国を旅行し、カバンを求めようとしました。著者が買い物に入った立派なカバン屋さんは、その当時、日本では「立派」といわれるものの値段の五分の一くらいのものを勧めるのです。著者はもっと「高いもの」を買おうとしていましたから、「もう少し、高価なものはないか?」と何遍も聞きました。そのときの、店の主人のいぶかしそうな顔と、「そんなに高くなくても、これで十分のはず」という言葉を忘れることができません。 著者は「ものの時代」にとりつかれていたようです。 逆に、人間ですから間違って買うこともあります。気に入って買っても家についた途端に、失敗したと感じることも多いのです。そんなときは、すぐ捨てましょう。わたしたちの守るべき環境はあくまでも「こころ」であり「もの」はそのためにこそあるものだからです。 そして、例えば家電製品を買うときには、その家電製品の性能ばかりではなく、それを居間においたときにどのように感じるのか、自分が頭に描いている居間にフィットするのか、電気的な性能より、そちらです。 第三は、手を焼かせることと思います。 愛用品は毎日とは言えなくても、いつもつきあっているものです。それがあんまり簡単ですと愛用品になりにくい気がします。著者は、何回かそういう経験をしました。かつて、自分でプログラムを書かなければ動かないコンピューターがありました。故障はするし、思うように動かないし、それはやっかいなものでしたが、著者にはそれが一番、印象に残っているコンピューターです。それに 比べると、何から何まで面倒を見てくれて、しかも、何か自分でしようとすると、全部、拒否する最近のパソコンはかわいげがありません。 四番目。 愛用品は長く使いますから、故障が大敵です。それも使っていて悔しいのは、愛用品自体はほとんど傷んでいないのに、つまらないところが故障して使えなくなることです。特に、家庭電化製品やパソコン、プリンター、コビー機などの電気製品に多く見られます。 日本の電気製品はその点では、「愛用品」となる資格がないかもしれません。多くの電気製品は、よく故障し、故障すると高い修理費をとります。あまり工業製品を知らない人はそれが当たり前のように思っていますが、決してそうではありません。もともと、工業製品は故障するところが決まっていて、そこを簡単に交換できるような設計にするのはそれほど難しいことではないからです。 むしろ、現在の故障の多くは少しでも安くして販売量を増やそうと、あまり信頼できない部品メーカーを使って部品を納入させることが原因となっています。そして、買った人が「故障した」と言うと「新しいものの方が安いですよ」という修理代と新品の価格体系を作っているのです。 このような日本の工業製品の状態は、まさに「ものの時代」を象徴するもので、「安かろう悪かろう」を基本とし、「修理するなら買ってもらう」という考えで作られます。わたしたちが本当の意味でメーカーを選択できるなら、そんなこころのこもらない商品は買いたくないのですが現在でも「我が社の製品は、故障が少なく長持ちします。修理も簡単です」という宣伝を見かけないのが不思議です。 愛用品が故障すること、それを悪戦苦闘して修理すること、それはものを持つ本当の楽しみを味わうことでもあります。 最後に「磨けば光る、あるいは磨きがいがあること」は大切な愛用品の原則でしょう。 昔のパイプのように、現在では磨きがいのある商品は本当に少なくなりました。すべてのものが使い捨てになり、リサイクルを呼びかけています。その結果、商品の表面に使う材料は、使い捨てを原則としていますし、ときには「磨くこと」自体ができないような商品まであるのです。 天然の木材を使った製品は、磨けば磨くほど趣のでる典型的な製品ですし、真鍮でできたびかびかした取っ手も磨きがいがあったものです。このような典型的な愛用品が無くなってきたのは、プラスチックや機能的な製品が出回ってきたためと思っている人が多いようですが、そうでもありません。 プラスチックにしろ、他の材料にしろ、商品を作るときの現在の基準はなにしろ「安いものなら何でもよい」ということだからです。劣化が少なく、風合いがよいものは存在するのですが、使い捨て文化の中にいるメーカーも、そして消費者すらも「安ければよい」という習慣に流されつまらない商品を作っているのです。 ともあれ、「愛用品を使う」ということ自体にはほとんど異論はありませんし、それが大量消費の時代から逃れる方法であることは誰もが反対しません。しかし、それを現実にしていくにはかなり大変であることが判ったかと思います。その第一の原因はわたしたちの習慣が変わらないということです。消費者が使い捨ての商品を選択しているうちは、愛用品は育たないでしょう。自分の目で見て、気に入ったものを少しだけ、慎重に選んで買う時代が待たれます。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231130 194

2023年11月29日水曜日

普通の時間

普通の時間 人生には、「普通の時間」というものがあります。朝、顔を洗うとき、淡々と仕事をこなすとき、部屋の掃除をするとき、そんなときは時間は平坦に進みます。しかし、そのときでも人間はやがて感動する時間がくるのを待っているのです。そして、その時間がきた瞬間、人間は深く感動し、それによってそれまでの平坦な時間がぐーっと引きのば されて、無限の時間を感じるのです。 「秒」や「分」ではかることができる物理的な時間は、人間のこころの深い部分との関係はありません。それらは一定のスピードで過ぎ去る時間であります。物理的にはその通りですが、わたしたち人間は、一瞬の時間を無限に長く感じることもできます。それは「感動」を伴っていることが条件になり、さらに「感動できるこころ」を持っていること自体がそれを受け止める前提条件でしょう。 とびきりの速度で走る新幹線、冷凍食品とコンクリート空間ですっかり現実と離れてしまったわたしたちのこころは、今や感動する時間が得られるかどうかの瀬戸際にあります。最近、若い人たちが異性を「強く愛する」ことが少なくなってきたようにも思えます。自分を捨てて相手を愛すること、このような激しい情熱が人生に無限の時間を与える、それは多くの人たちが感じてきたことでもあります。 また、感動はわたしたちのこころに想い出を残します。感動が深ければ想い出は時を越えてわたしたちのこころに残り、たった一瞬のできごとが、その後の時間の過ぎ方を変え、その人の人生の時間を長く、深く、豊かにしてくれるのです。忙しかったあの頃、何もしないうちに時間が流れたあの頃のことが信じられなくなってくるでしょう。 こびとの国で有名なガリバー旅行記は、今から三〇〇年ほど前にイギリスのスウィフトという作家が書いた小説です。「こびとの国」にいったガリバーが眠っているうちに大勢のこびとに縛られた絵があまりに強い印象を与えるために、おとぎ話と思っている人も多いようです。 このガリバー旅行記は人間が一所懸命になっている科学や経済学などがいかにインチキなものか、人間はそれによって幸福になるとは思えない……ということをこびとの国、巨人の国、馬の国などに擬して警告している奥の深い小説です。その意味では子供のときに読むより大人になって読んだ方がずっとおもしろいものです。 そのなかに「長寿の国」というのが出てきます。中野好夫さんの訳(新潮社)を少し引用します。 「通常彼らは三十歳頃までは挙動すべて常人と同じことだが、それからは漸次意気消沈しはじめて、その後はそれが昂じるばかりで、やがて八十歳に達する、(中略……その年)になると、彼らはもう他の一般老人のあらゆる痴愚と弱点とを網羅しているばかりでなく、おまけに決して死なないという恐るべき見込みから来る、まだまだ沢山の弱点を併せ持つことになる。(中略)中でいちばん若いのはまだ二百歳になるかならずだった。彼らは、我輩が非常な旅行者であり、全世界を見てきた人間だと聞いても、別に質問ひとつする好奇心があるわけでなく、ただなにかスラムスキュダスク、すなわち記念の品をくれという、(中略)永生に対する我輩の激しい欲望が一挙に醒めてしまったことは、読者諸君にも容易にわかってもらえるだろうと思う。我輩は、心に描いていた楽しい幻影を心から恥じるようになった。たとえどんな暴君が案出するどんな恐ろしい死であろうとも、このような生を逃れるためならば喜んで飛びこんでみせると思った。」 スウィフトは彼一流の激しい皮肉のなかに、感動のない生は一番辛い死よりも辛いと書いているのです。生は単に長ければよいというわけではない、生命は輝いている故に、常に輝くことが求められるというのです。 わたしたちは今、この不死の国にいるのでしょうか? それとも、感動と命のなかにいるのでしょうか? 著者は感動は「求めなければ得られない」と感じています。そして、感動が得られるかどうかはその人の能力にも運にも左右されません。得られるかどうかはその人がどのくらい感動を求めるかどうかにかかっています。失敗の危険性が高い方がもちろん深い感動が得られますし、失敗は強い悔悟を呼び、それが次の感動をもたらします。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231129 188