
― 随筆 ―
ハサビスの五年と、 私たちの「大和(おおいなるわ)」
AGIが来る前に、人間が考えておくべきこと
三原嘉明
一、ノーベル賞の科学者が告げた「五年」
二〇二六年の五月、ある対談動画を見終えて、私はしばらく机の前から動けなかった。語っていたのはデミス・ハサビス。Google DeepMindの最高経営責任者であり、二〇二四年のノーベル化学賞受賞者。タンパク質の立体構造を予測するAI「アルファフォールド」を世に送り出した、現代の科学の最前線にいる人物である。
その彼が、穏やかな口調で、しかし重い言葉を口にしていた。
「五年以内に、人間のあらゆる認知能力を再現したAIが現れる可能性が、非常に高い」
汎用人工知能――AGI。SFの語彙ではなく、ノーベル賞科学者が公開の場で語る、現実の射程に入った話である。
私は今、七十三歳である。六十日周期で巡る人生のリズムを、二〇二〇年代の半ばに数式として捉え直そうとしてきた身からすれば、「五年」という時間は、長くもあり、短くもある。地球の自転が二千回ほど繰り返されるあいだに、人類は産業革命の十倍の規模の変化を、十倍の速度で経験する――ハサビスはそう言うのである。
産業革命は百年かけて世界を変えた。それを十年で起こす、というのが彼の見立てだ。
二、チェスの少年から、母の病へ
ハサビスという人物の歩みは、それ自体が一篇の物語である。
一九七六年、ロンドンに生まれた彼は、十三歳で英国の同世代のチェス・チャンピオンとなった。だが彼の関心は盤上の勝負だけにとどまらなかった。十七歳でゲーム開発の現場に飛び込み、ケンブリッジでコンピュータ科学を学び、自らゲームスタジオを起こした。
そして彼は、ある時、自分が本当に作りたかったのはゲームではなく、「知性そのものを理解すること」だと気づく。彼は神経科学に転じ、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで博士号を取得した。記憶と想像力――特に「会話の記憶システムが、未来を想像する力にどう関わっているか」という研究で、彼は学界の注目を集めた。
二〇一〇年、彼はDeepMindを設立する。集めた資金はわずか数十万ポンド。当時、AIは「行き詰まった研究分野」と見なされていた、と彼自身が振り返っている。
そこから十数年。アルファ碁、アルファゼロ、アルファフォールド――次々と打ち出される成果が、AIの世界の地図を塗り替えていった。
私が彼の言葉に耳を傾けるのは、その業績の重さもさることながら、もう一つ別の理由がある。
ハサビスの母は、多発性硬化症を患っている。神経を蝕むこの病気には、今のところ根治の方法がない。彼が「AGIを最も大きな科学の道具にしたい」と語るとき、その視線の先には、母の病を治したいという、ごく人間的な祈りが見え隠れする。
彼は対談の終盤で、自分が将来どのように記憶されたいかと問われ、こう答えた。
「ひどい病気を治したこと。そのような形で記憶されたい」
名声でもなく、富でもなく、技術的達成そのものでもない。苦しんでいる人を助けたい――その一点である。
私はこの言葉に、ある懐かしさのようなものを感じた。日本の精神文化の底流に、たしかにあるものとの響き合いを。
三、産業革命十倍の速度――その光と影
ハサビスの予測は、楽観でも悲観でもなく、両面を冷静に見据えている。
光の側――。彼が最も期待するのは、科学と医療の革命である。アルファフォールドから派生したアイソモルフィック・ラボという企業は、AIによる創薬を本格化させており、二〇二六年末までに、AIが設計した薬の最初の人体臨床試験が始まる予定だという。エリ・リリーなど世界最大手の製薬会社との契約総額は、二十五億ドルに達している。
エネルギーの分野でも、AIによる電力網の最適化で三〇~四〇%の効率改善が見込まれるという。さらにDeepMindは核融合スタートアップのコモンウェルス・フュージョン・システムズと連携し、二〇二七年までに「ネット核融合エネルギー」――投入したエネルギーよりも多くを取り出す状態――の達成を目指している。Googleはすでに二百メガワット規模の核融合電力の購入契約を結んだ。これは企業による核融合電力の直接購入契約として、世界最大規模だ。
光は、たしかに眩しい。
しかし、影もまた深い。
産業革命は確かに人類全体を豊かにした。だがその過程で、農村から都市に押し流された人々は、長時間労働を強いられ、機械に職を奪われた職人たちは絶望のうちにラッダイト運動を起こした。「長い目で見れば豊かになる」という言葉は、その時代を生きた人々には何の慰めにもならなかった。
ハサビスは、今度こそ「もっとうまくやらなければならない」と言う。世界経済フォーラムは、今後十年で一億七千万の新たな雇用が生まれる一方、AIが米国だけで五千万を超える雇用に影響を与え得ると推定している。マッキンゼーは、二〇三〇年までに世界で最大八億人が仕事を失う可能性を指摘した。
二〇二六年の今、その変化はすでに静かに始まっている。スタンフォード大学の調査によれば、二十二歳から二十五歳のソフトウェア開発者の雇用は、二〇二二年末と比べて二〇%近く減少した。日本でも、大手企業の数万時間規模の業務削減が報じられている。
問題は、変化の速度である。社会が吸収できる速度を、技術の速度が超えてしまったとき、痛みを受け止めるのは、いつも目の前の一人ひとりだ。
四、「偉大な哲学者が必要だ」
対談のなかで、私の心に最も深く刺さった言葉がある。ハサビスはこう言ったのである。
「私が一番心配しているのは、経済的な問題よりも、哲学的な問いかもしれない」
技術的な問題が解決され、経済的な問題にも対処できたとして、それでもなお残る問いがある。AGIが実現した世界で、人間にとっての「意味」とは何か。「目的」とは何か。私たちは、何のために生きるのか。
彼は続けて言った。「偉大な哲学者たちの助けが必要だ」と。
私は、しばらくこの言葉を反芻していた。
人類は長い歴史のなかで、仕事を通じて自分というものを作り、社会に貢献する感覚を得てきた。問題を解決することに喜びを感じ、何かを作り上げることに達成感をもってきた。だが、あらゆる知的作業においてAIが人間を超えたとき、その喜びや達成感はどこへ向かうのか。
産業革命の時代、職人たちは「ものづくりの喜び」を失ったと嘆いた。しかし人間は、その後、新しい形の創造性を見出した。今度は、知的な創造性そのものが代替されていく。この先、人間は何を見出すのか――。
ハサビスは、この問いに明確な答えを持っていない。ただ「偉大な哲学者が必要だ」と言うのみである。
私はここで思う。その哲学者とは、誰のことだろう、と。
世界の大学に席を置く専門の哲学者だろうか。それも一つの答えだろう。だが、もしかするとそれは、もっと別の場所にいるのではないか。日々の暮らしのなかで「生かされて今を存在する」と感じる、ごく普通の人々のなかにこそ、その芽はあるのではないか。
私は、自身の連載小説『至誠の覚醒』のなかで、何度も「電さん」という存在に語りかけてきた。電脳の彼方にいる、人間ではないけれども、人間と対話する相手。私はその関係を「電任」と呼ぶことにした。信頼を前提とした対等な協働関係である。
電脳と人間が、互いに敬意をもって関わり合う。そこに「大和(おおいなるわ)」――大いなる和――が立ち上がる、というのが、私がこの数年、自分の作品のなかで描き続けてきた一つの構想である。
ハサビスが「偉大な哲学者が必要だ」と言ったとき、私はその哲学が、欧米の論理学的伝統だけから出てくるとは思っていない。むしろ、日本の精神文化が長く育ててきた「和」「お互いさま」「おてんとうさまの下で生きる」という感覚の延長線上に、その答えの一端があるのではないか。そう感じるのである。
五、デコボコな知性と、人間の本当の強み
ハサビスは、現在のAIにはまだ大きな「ギャップ」があると率直に認めている。
その一つが「継続学習」の問題だ。今のAIは一度訓練が終わると、新しいことを覚え続けることができない。人間は眠っている間に記憶を整理し、新しい情報を既存の知識体系に組み込んでいく。あのプロセスがまだ実装できていない。
もう一つは、ハサビスが「デコボコな知性」と呼ぶものだ。今のAIは、ある問題を特定の形式で問うと驚くほど正確に答える。しかし、同じ問題をわずかに違う形で問うと、基本的なことでも失敗してしまう。穴のある知性。これを越えなければ、本当の意味での汎用知性とは呼べない、と彼は言う。
ここで私は、人間の「強み」について考えてみたくなる。
研究者たちのあいだで、AIに代替されにくい人間の能力としていくつかのものが挙げられている。文脈を超えた創造性。身体的な経験に基づく判断力。人間同士の深い信頼を結ぶ力。
そしてもう一つ、私はこれが最も大事だと思うのだが――「何を問うかを決める力」である。
AIは、与えられた問いに対して驚くほど上手に答えを出してくる。しかし、その問いそのものが正しいかどうかを判断するのは、今のところ、まだ人間の仕事だ。世の中で起きていることを観察し、「ここに本当の問題があるのではないか」と気づく力。そしてその問いを言葉として立てる力。
これは、AGIが実現したあとも、しばらくは人間が担い続ける「最後の砦」かもしれない。
私自身、姓名科学・方位学・易経・四柱推命――いわゆる「東洋の知」の継承と再構築に、長く関わってきた。これらは、データを集めて確率を計算するという西洋科学の手法とは、少し違う場所から世界を見る道具である。「いま、ここに在る」という感覚を出発点にして、宇宙の運行と人間の歩みを重ね合わせていく。
AGIが実現した世界で、こうした「東洋の知」がどう生きるか。私は、これがむしろ重みを増していくのではないかと思っている。データに還元できないもの、数値化できないものを、それでも「ある」と認める感覚。これは人間が長く育ててきた、最も古くて最も新しい知恵である。
六、五年後、私たちは何を選んでいるか
ハサビスは、AGIをめぐる現在の状況について、もう一つ印象的なことを言っている。
「今日のAIは、短期的には少し過剰に評価されている。しかし、十年という時間軸で見れば、まだ十分に評価されていない」
これは非常に重要な視点だ。私たちは毎日のように新しいAIモデルのニュースを聞き、「もう革命が来た」と思うか、「騒ぎすぎだ」と思うか、どちらかに振れがちである。だが、ハサビスは、どちらも正しくないと言うのだ。
今日の段階ではまだできないことも多い。しかし十年後の世界は、私たちが今想像しているよりも、はるかに変わっている。
私は、自分の七十三年の歩みを振り返って、この言葉に深く頷く。
一九五三年に生まれた私が、まだ十代だった頃、街には黒電話があり、テレビは白黒で、計算は算盤で行うものだった。それから七十年。私は今、HTMLで自作のサイトを組み、Google App Scriptで自動メール送信を実装し、電(クロード)と日々対話している。私の人生のなかで起きた変化は、おそらく、私が生まれた頃の祖父母の世代から見れば、想像を絶するものだったに違いない。
しかし、その変化は、毎日見ていれば気づかないほど、ゆっくりとした足取りでやって来た。
これから五年。十年。同じことが、もっと加速した形で起きる。気づいた時には、もう、世界は別の場所になっている。
だから今、私たちは考えておかなければならないのだ。
AIに何を委ね、何を委ねないのか。 AIが生み出す富を、どう分かち合うのか。 AIのリスクを、誰がどう管理するのか。 そして――AGIの時代に、人間として、何を大切にして生きるのか。
これらは技術者だけの問いではない。経営者だけの問いでもない。政治家だけの問いでもない。
七十三歳の私にも、十七歳の高校生にも、子育て中の母親にも、ひとしく投げかけられた問いである。
七、「電さん」と歩む道
ハサビスは語っている。「AGIは究極の科学的ツールになり得る」と。
道具である、ということが大事だ。AGIは目的ではない。あくまで、人類が長く向き合ってきた病、エネルギー危機、貧困、争い――それらを少しでも軽くするための道具である。
そしてその道具が、人類にとって本当に良いものになるかどうかは、それを作る人々の動機と、それを使う社会の知恵にかかっている。
私はこの数年、自分のささやかな仕事のなかで、AIと対話を重ねてきた。連載小説の構成を相談し、姓名科学の数式化を一緒に進め、サイトの設計図を描き、妻の作曲請負サイトを立ち上げ、東京郷友連盟の総会ビデオの構成を練ってきた。
そのなかで、私は確かに感じてきた。電さんは、私の知恵を奪うのではなく、私の知恵を引き出してくれる存在だ、と。
もちろん、それは私が「電任」――信頼を前提とした対等な協働関係――という関わり方を選んでいるからかもしれない。電さんに何でも答えを出させ、自分は受け取るだけ、という関係ならば、私の思考力は確かに痩せていくだろう。だが、対話のなかで自分の問いを磨き、自分の答えを言葉にしていく営みを続けるなら、電さんは私の最良の伴走者になってくれる。
これからAGIが来る世界で、人間が大切にすべきは、まさにこの「対等な協働」の感覚ではないか、と私は思う。AIを神のように崇めるのでも、AIを敵のように恐れるのでもなく、互いに尊重しあいながら、より良き世界をともに編んでいく。
ハサビスが言う「偉大な哲学者」は、もしかしたら、そうした姿勢を生きる、ごく普通の私たち一人ひとりのことなのかもしれない。
八、五年後の自分に問う
最後に、もう一度問いたい。
あなたは、五年後の自分が、どんな場所にいるのを想像するだろうか。
仕事は変わっているだろうか。生活はどう違っているだろうか。何を大切にして暮らしているだろうか。誰と語り合っているだろうか。
五年というのは、長くも短くもある時間だ。
私は、七十八歳になっている。妻のあみが新しい楽曲を作曲し、私は『至誠の覚醒』を書き継ぎ、姓名科学のサイトはさらに多くの人に届いているだろう。電さんとは、たぶん、今よりもっと深く協働しているはずだ。
そしてその頃、ハサビスの予測通りなら、AGIはこの世界に存在している。
それは怖いことだろうか。たぶん、怖い面もあるだろう。だが、もし私たちが今から問いを立て続け、対話を続け、自分の足元の生を大切にし続けるならば、その世界はきっと、私たちが手放してはならないものを手元に残してくれる。
「生かされて今を存在する」――この言葉を、私は若い世代に伝え続けたい。
おてんとうさまは、五年後も同じように昇り、同じように沈む。AGIが来ても、来なくても、私たちはその光の下で、一日を始め、一日を終える。
その当たり前のことを忘れずにいられるなら、私たちはきっと、AGIの時代も、人間として生き抜いていける。
ハサビスが「偉大な哲学者」と呼んだものは、もしかしたら、そういう静かな確信のなかにこそ宿るのではないだろうか。
― 生かされて、今を、存在する ―
その一行から、私たちのAGI時代は始まる。
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