雪の見舞い
妻の入院は、続いていた。
手術は、無事に終わった。担当医のお言葉に、若い自分は、ほっと胸を撫で下ろした。それでも、術後の経過を見るために、入院は、しばらく続くことになっていた。多摩の家には、健慈と、自分が残された。長男は、まだ一歳になったばかりだった。母親の不在を、その小さな身体が、どこまで分かっていたのか——若い父親には、見当もつかなかった。ただ、夜中に泣くことが、少し増えていた。それを、自分は、不器用な手つきで、あやしていた。
健慈の世話は、両親に、いろいろと助けてもらった。
柏のご両親も、自分の両親も、出来る範囲で、多摩の家に通ってきてくださった。お風呂、食事、寝かしつけ——若い父親一人では、とても回りきらないところを、年配の方々の手が、静かに支えてくださった。それでも、自分は、毎日のように、妻の見舞いに通った。仕事を終えてから、家に戻り、健慈の様子を確認して、それから、病院へと向かった。徒歩で三十分ほどの道のりだった。
あの夜のことは、今も、はっきりと覚えている。
雪が、深く積もった夜だった。朝から降り続いていた雪が、夕方になっても止まず、夜には、足首が埋まるくらいの深さになっていた。多摩の冬は、ふだん、それほど雪が積もる土地ではない。あの夜だけが、特別だった。家の前の道は、白い一面に変わっていて、人の足跡も、車の跡も、ほとんど残っていなかった。
それでも、自分は、出かけた。
玄関先で、長靴を履いた。マフラーを巻き、コートの襟を立てた。健慈は、両親に預けてあった。妻のところへ行く——それだけが、その夜の自分の中で、揺るがない一つのことだった。雪は、外に出てみると、思っていたよりもさらに深かった。一歩踏み出すたびに、足首から脛のあたりまで、雪の中に沈んでいった。三十分の道のりが、その夜は、もう少し長くかかりそうだった。
街灯の光が、雪の上に、ぼんやりと落ちていた。
人の通った跡も、車の轍もない、誰も歩いていない夜道を、自分は、一歩ずつ進んだ。コートの肩の上に、雪が、静かに積もっていった。手袋の中の指先が、だんだん冷たくなっていった。それでも、寒さは、不思議と、辛くはなかった。妻のところへ歩いている——その一つのことが、自分の身体の中の温度を、保ってくれていた。途中、振り返ると、自分の足跡だけが、雪の上に、点々と続いていた。あれだけ歩いてきた距離が、その白い線で、見えた。
病院の建物に着いた時、自分は、靴の雪を払った。
ロビーは、いつもよりも、人が少なかった。受付の方が、少し驚いたような顔で、自分を見られた。「こんな雪の中を、歩いてこられたんですか」——そういうふうな言葉を、誰かにかけられたかもしれない。階段を上がり、廊下を歩いた。妻の病室の前で、コートに残った雪を、もう一度、はらった。
病室の戸を開けて、中に入った。
妻は、ベッドの上で、起き上がっていた。手元に、何かの本があった。自分の顔を見ると、妻は、少し驚いたように、目を見開いた。「こんな雪の中を——」と、妻が言いかけた。その時だった。隣のベッドの方や、向かいのベッドの方や、ちょうど病室の戸口にいらした看護婦さん——その場にいた女性たちから、ほとんど一斉に、声が上がった。
「うらやましい」
その一言が、声を揃えるようにして、何人かの口から、同時に出てきた。誰が最初に言ったのか、分からなかった。ただ、その声が、病室の中に、ふわりと広がった。自分は、最初、何のことを言われたのか、すぐには分からなかった。妻は、その声を聞いて、少し顔を赤らめていた。それから、看護婦さんが、笑いながらおっしゃった。「こんな雪の中、わざわざ歩いて来られるご主人なんて、なかなかいらっしゃいませんよ」——そういう意味の言葉だった。
あの声は、その時代の、生身の女性たちの本音だったのだろう。
当時、夫が妻の見舞いに、これほどまでに通う、というのは、まだ、それほど一般的なことではなかったのかもしれない。仕事に追われ、社業を最優先に、家のことは妻に任せきりにする——そういう男の姿が、当時の標準だったのかもしれない。あの病室の女性たちは、それぞれの事情で、入院しておられた。ご主人や、ご家族の方々が、どのくらい見舞いに来られていたか——それは、自分には分からない。ただ、雪の中を歩いてくる若い夫の姿が、その方々の目には、何かを引き寄せたのだった。
「うらやましい」という、その一斉の声を、自分は、半世紀近く経った今も、覚えている。
あの声は、自分への称賛ではなかった。あの声は、自分の前を、若い夫婦の関係性を、外から照らし出した一筋の光だった。当時、自分は、自分が当たり前のことをしていると思っていた。妻が病院にいる。だから、見舞いに行く。それだけのことだった。雪が深かろうが、夜が遅かろうが、行くことに、迷いはなかった。それを「うらやましい」と感じる方々が、その場にいらした、というそのことが、若い自分には、少し意外なくらいだった。
妻の傍らに、椅子を置いて、腰を下ろした。
病室の女性たちの声が静まると、二人だけの空気が、戻ってきた。妻は、自分のコートに残った雪のしずくを、手でそっと払ってくれた。健慈の様子、家のこと、今日一日のこと——そういう、ありふれた話をした。長くは、いられなかった。面会の時間が、もうすぐ終わろうとしていた。立ち上がる時、妻は、「気をつけて帰ってくださいね」と言った。あの「うらやましい」という声を聞いた後の妻の目は、いつもと少し違って見えた。何が違ったのかは、うまく言えない。ただ、何か、奥のほうで、温かいものが、灯っているように見えた。
病院を出ると、雪は、まだ降っていた。
来た時の足跡は、もう、新しい雪に埋もれて、ほとんど消えていた。自分は、また、最初の一歩を、白い雪の上に踏み出した。帰り道は、行きよりも、足取りが軽い気がした。病室で耳にした「うらやましい」という声が、自分の中で、まだ響いていた。あの声を、後で、家でひとりになった時に、もう一度、思い返した。妻のところへ歩いて行く、というそのことが、誰かに「うらやましい」と思われる種類のことだったとは、その夜まで、自分は、知らなかった。
妻は、しばらくして、退院した。
術後の経過は、表面上、順調だった。家に戻ってきた妻は、すぐに、母親の役割に戻っていった。健慈をお風呂に入れることもあった。自分は、それを、戸の隙間から、ふと覗いて見ることがあった。湯船の中で、妻が、健慈の小さな身体を支えていた。健慈の笑い声が、湯気と一緒に、家の中に広がっていた。あの日の人間ドックの白い部屋も、結果説明の部屋の机の上のレントゲン写真の影も、机の上の電話が鳴ったあの朝も、第二子をあきらめた涙の場面も、すべてが、半年の時間の中で、少しずつ、家の風景の中に溶けていった。妻は、確かに、母として、日常を取り戻していた。
あの平穏な数か月を、自分は、今も、はっきりと覚えている。
そして、半世紀近く経った今、その平穏が、何の上に立っていたのかを、自分は、もう知っている。妻が健慈を湯船につけていた、あの何気ない日々。湯気の中の二人の笑い声。家の風景の中に溶けていった、白い部屋の記憶。それらは、すべて、ある一つの安堵の上に立っていた。担当医の「脇のリンパには転移は認められませんでした」というお言葉の上に立っていた、若い夫婦の、束の間の平穏だった。
束の間の、と書くべきかどうか、自分は、迷う。
あの数か月は、確かに、若い夫婦の手元に、あった。健慈の笑い声も、湯船の湯気も、夕食の食卓も、確かに、あの家の中に、あった。それを、後の章で起きることのために、「束の間」と呼んでしまうことが、半世紀近く経った今の自分には、少し申し訳ない気がする。あの数か月は、束の間だったかもしれないが、束の間だったから無価値だった、というわけでは、決してない。あの平穏の中で、若い夫婦は、確かに、家族として、深く生きた。
雪の見舞いの夜の、あの「うらやましい」という声と、湯船の中の妻と健慈の笑い声と。
その二つの場面を、自分は、第四章のこの位置に、静かに置いておく。後に、何が起きるかは、若い夫婦には、まだ分かっていない。分からないままに、二人は、その数か月を、確かに、生きていた。
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