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2026年5月22日金曜日

第四章・覚醒の時代 連載第七十五話 赤ひげ

第四章・覚醒の時代 連載第七十五話 赤ひげ
第 四 章 ・ 覚 醒 の 時 代
第 七 十 五 話

赤ひげ

― 何 も お っ し ゃ ら な か っ た 、 と い う こ と ―
毎朝の煎じ薬の手渡しが、いつしか、自分の毎日の、当たり前の日課になっていた頃のことだった。
入院中の妻のもとに、自分は、見舞いにも、頻繁に通っていた。会社の昼休み、退勤後、休日——時間を見つけては、病院に、足を運んでいた。病棟の廊下を、何度となく、歩いた。看護婦さん方とも、顔見知りになっていった。お二人の主治医を、廊下や、病室で、お見かけする機会も、自然と、増えていった。
赤ひげ先生は、廊下の向こうから、いつも、ゆっくりとした足取りで、歩いて来られた。
こちらに気づかれると、軽く、頷かれる。短いお言葉を、お交わしになる。「いかがですか」というような、ごくありふれた一言。それから、ご自身の用事の方へと、また、ゆっくりと、歩を進められた。多くを、お話にならない方だった。
けれども、ある時、自分は、ふと、気づいた。
赤ひげ先生は、自分が毎朝、煎じ薬を運んでいることについて、何も、おっしゃらない——ということに。自分が漢方を煎じていることは、看護婦さん方からの伝達で、当然、ご存じだったはずだ。けれども、先生は、それについて、一言も、おっしゃらなかった。励ましも、なかった。注意も、なかった。ただ、廊下で出会えば、軽く、頷かれる。「いかがですか」のあとに、煎じ薬の話を、続けられることは、なかった。
◇ ◇ ◇
当時の私は、その「何もおっしゃらない」ということの本当の意味を、まだ、深くは考えていなかった。
ただ、ぼんやりと、感じていた——この先生は、止めようと、なさらない。けれども、励まそうとも、なさらない。ただ、こちらが、毎朝、煎じ薬を運んでいることを、ご存じのまま、いつもと変わらず、廊下で軽く頷いてくださる。それだけだった。当時の自分は、そのことに、ある種の安らぎを、感じていた。励ましをいただけば、かえって、こちらの覚悟が、揺らいだかもしれない。注意をいただけば、こちらの毎日が、崩れたかもしれない。先生の沈黙は、ちょうど、その両方を、避けてくださる、深い場所にあるものだった。
けれども、半世紀近く経った今、自分は、その「何もおっしゃらなかった」ということの、もうひとつの意味を知っている。
赤ひげ先生は、肺への転移が見つかった時点で、妻の余命を、ご存じだったのだろう。長年、胸部の腫瘍を、無数に、ご覧になってきた医家として、肺への転移という事実が、何を意味するかを、はっきりと、お分かりになっていたはずだ。そのご診立てを、若い夫婦には、おっしゃらなかった。妻に告げて、絶望させるべきではない、と、お考えになったのだろう。そして、若い夫にも、おっしゃらなかった。なぜか——その理由を、自分は、半世紀後の今、推察するしかない。
推察ではある。けれども、ほぼ確信に近い、推察だ。
赤ひげ先生は、私が、毎朝、煎じ薬を運んでいることを、看護婦さん方の伝達で、ご存じだった。書店で書物を読み漁り、矢数先生のご著書から処方を書き写し、秋葉原まで生薬を求めに行き、天秤ばかりで一つずつ量って、土瓶で煎じ、夜明けの暗い外来の中で妻を待たせて、毎朝、魔法瓶を届けている——私の姿を、すべて、お知りになっていたはずだ。先生は、その姿を、止められなかった。やめなさい、とは、おっしゃらなかった。たぶん、止めるべきではない、と、お考えになったのだろう。
なぜなら——その煎じ薬は、もう、医学の効能だけで、量れるものではなかったからだ。
余命が見えている妻を、私が、書物の中の知識と、自分の手の動きと、毎朝の儀式とで、何とか、救おうとしている。私の姿そのものが、私たち夫婦に、必要な何かだった——そのことを、赤ひげ先生は、深いところで、ご覧になっていたのではないか。煎じ薬が、薬として効くかどうか、という議論ではなく、私が、毎朝、煎じ薬を運ぶこと、そのことが、私たち夫婦の中で、何を支えているかを、先生は、見ておられたのではないか。だから、何もおっしゃらず、ただ、見守ってくださった。
◇ ◇ ◇
看護婦さん方のことを、自分が知ったのも、ずっと、後のことになる。
夜勤明けの看護婦さん方が、毎朝、暗い外来の長椅子で、私を待っている妻の姿を、ずっと、見ていた。そして、それを、申し送りの中で、赤ひげ先生にお伝えくださっていた——その事実を、自分が、はっきりと知ることになるのは、いつのことだったか。先生から、何かの折に、ふと、お聞きしたのだったか。看護婦さんご自身から、伺ったのだったか。それも、もう、定かではない。けれども、いずれかの時点で、自分は、それを、知った。そして、知った時に、自分の中で、何かが、深いところで、座を、定めたように、感じた。
あの暗い外来の妻の姿は、誰も見ていなかったのではなかった。
看護婦さん方が、見ていた。そして、赤ひげ先生が、それをお聞きになりながら、私たちのやることなすことのすべてを、見守ってくださっていた。電気もまだ点いていない外来の長椅子の上に、毎朝、孤独に座っていた、妻の姿は、その実、いくつもの深いまなざしに、支えられていた。それを、当時の私は、知らなかった。知らなかったまま、毎朝、魔法瓶を運び続けた。けれども、知らないところで、私たち夫婦は、見守られていた。
◇ ◇ ◇
「赤ひげ」という言葉を、自分は、転院初日の夜のノートの余白に、書き加えた。
「赤ひげ」あのノートの余白の一語。なぜ、その言葉を書き留めたのか、その時の自分には、よく分からなかった。けれども、半世紀近く経った今、自分は、その理由を、知っている。あの時の自分は、たぶん、無意識のうちに、感じ取っていたのだろう——この方は、本物の「赤ひげ」だ、と。本物の「赤ひげ」のもとに、自分は、妻を、お預けすることになる、と。そのことを、転院初日に、すでに、自分の中の何かが、感じ取っていたのだ。
そして、本物の「赤ひげ」は、何もおっしゃらないことで、若い夫婦を、見守ってくださった。
「やめなさい」とも、おっしゃらなかった。「続けなさい」とも、おっしゃらなかった。「効きますよ」とも、「効きません」とも、おっしゃらなかった。ただ、廊下で出会えば、軽く、頷かれる。その一連の「何もおっしゃらない」が、当時の若い夫には分からなかった、深い見守りの言葉だった。半世紀後の自分は、今、ようやく、そのお言葉の声を、聞いている。
◇ ◇ ◇
あの時、自分は、独りで活路を探していたつもりでいた。
夜明け前の台所も、暗い外来への道も、書店通いの昼休みも、すべて、自分一人の戦いだ、と、思い込んでいた。けれども、独りではなかった。赤ひげ先生のまなざしが、そばにあった。当直の看護婦さん方のまなざしが、そばにあった。そして、それらのまなざしの背後にある、もっと深いものが、若い夫婦のそばに、あった。それを、当時の私は、知らずに、毎朝、煎じ薬を運び続けた。知らないことで、かえって、純粋に、運び続けることが、できた。
見守られていた、ということを、半世紀後の自分は、今受け止めている。
赤ひげ先生の沈黙は、若い夫婦への、最も深い言葉だった。先生は、何もおっしゃらないことで、すべてを、おっしゃっていた。若い夫が、書物の中の知識を、紙の束の生薬に変え、天秤を使って漢方を処方し、土瓶のせんじ薬として、最後に、暗い外来の妻の手に届ける——私たちの戦場の毎日を、先生は、止めるべきではない、と、お考えになっていた。だから、何もおっしゃらず、ただ、見守ってくださった。それが、本物の「赤ひげ」の、お仕事だった。
けれども、その先生のご真意の、もう一つの側面のことは、また、別の話になる。
先生は、肺への転移という事実を、ご診立てとして、ご自身の中に、お持ちだった。そのご診立てを、若い夫婦には、おっしゃらなかった。その沈黙の、もう一つの重みのことは、永眠の後、ふたたび、立ち上がってくることになる。けれども、その話は、もっと先の章で、ゆっくりと、書くことになるだろう。今は、ただ、赤ひげ先生の見守りのまなざしが、あの日々の若い夫婦のそばに、確かに、あったということだけを、ここに、記しておく。
(つづく) R080522

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