◆ 「基礎科学」の有無が植民地化の分かれ道 ◆
1856年、江戸幕府は、後1863年に「開成所」と改称されて東京大学の前身ともなる「蕃書調所(ばんしよしらべしょ)」を設立しました。幕府直轄で、洋学教育ならびに洋書や外交文書の翻訳を行う洋学研究機関です。
先に触れたように、幕末から明治期は、大量のヨーロッパの書物が日本語に翻訳された時代でした。
欧米列強の植民地政策がアジア地域で展開される中、アジア諸国と日本の決定的な差は科学に対する取り組みにありました。開成所での研究を中心に、日本人が認識したのは基礎科学の重要性でした。
たとえば、当初は精錬学と呼ばれた化学の教官を担当していた竹原平次郎はフランスの化学者ギラルジの『化学入門』を翻訳し、物理学の教鞭を取っていた市川盛三郎はドイツから招聘(しょうへい)した理化学者リッテルロ述による『理化日記』をまとめました。
1870年に開設された大阪開成所では、オランダ人化学者ハラタマの同校での講義録『金銀精分』が出版されました。
この他、医学関係で言えば、日本陸軍軍医で日本赤十字社社長を務めたことでも知
られる石黒忠悳(ただのり)が翻訳編集を務めた『化学訓蒙』が出版また増訂されるなど、当時の日本人の知識欲の旺盛さには深い敬意を表すばかりです。
江戸時代の杉田玄白の『解体新書』は有名ですが、慶應義塾出身の医学者・松山棟庵が1868年に翻訳出版したアメリカの医学者フリントの『窒扶斯新論』、オランダの陸軍軍医バウドインが1870年に東京大学医学部の前身である大学東校で行った講義の記録『日講記聞』、1871年に出版された海軍病院で行われたイギリスの医師ホイーラーの解剖学講義の翻訳『講筵筆記』など、医学書の発刊が活発に行われました。
『かけがえのない国 誇り高き日本文明』武田邦彦著 MdN出版(R05年)より R080517

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