第 四 章 ・ 覚 醒 の 時 代
第 七 十 八 話
改名という選択
― 間 に 合 え ば よ い の だ が ―
書物の中のあらゆる扉を叩いた末に、ふと、私の中に、もう一人の方のことが浮かんだ。
牧正人史先生。姓名科学の研究者。中野に事務所を構えておられた。妻のしこりが発見される前から、私は、先生のところに、何度か伺っていた。姓名と人生の関わりというお考えに、深く惹かれていた。先生は、若い私を、いつも、丁寧に迎えてくださった。姓名科学の核となるお話を、少しずつ、私に、示してくださっていた。けれども、闘病が始まってからは、自分の足が、自然と、書店や、漢方の問屋や、岡山大学の方角ばかりを、目指していた。先生のところへは、しばらく、伺っていなかった。
先生のところへ、もう一度、伺うべきだ。
そう気づいた瞬間のことを、自分は、覚えている。何かを思い出した、というのではなかった。書物の中のあらゆる扉を叩いて、扉の向こうに道が見えてこない、その壁を前にして、自分の中の何かが、もう一人の方の存在を、思い出していた。中野の事務所。あの先生のところへ、もう一度、行ってみよう。書物の世界の外に、何か、別の答えがあるとすれば、それは、たぶん、先生のところにある。
◇ ◇ ◇
中野の事務所に、私は、向かった。
先生は、いつものように、迎えてくださった。机の向こうの先生のお姿は、最初に伺った時から、何も変わっていなかった。私は、先生の前に座って、まず、これまでの闘病のことを、すべて、お話しした。手術のこと、肺への転移のこと、転院のこと、紫根牡蛎湯のこと、丸山ワクチンのこと、ホッカイロのこと、岡山大学のOH-1のこと、東京駅のあの不思議な方のところまで行ったこと——書物の中の活路を、自分が試せる限り、すべて試したこと。けれども、どの扉の向こうにも、妻を救う道が、見えてこないこと。
先生は、しばらく、黙ってお聞きになった。
時々、深く頷かれる。けれども、お言葉は、すぐには出さない。私の話の一区切りごとに、ただ、深い目で、私を見ておられた。私が、すべてを話し終わった後も、先生は、しばらく、沈黙を保たれた。事務所の中の時間が、ゆっくりと、流れていた。先生が、何をお考えになっているのか、私には、分からなかった。けれども、その沈黙の中に、ただの困惑ではない、何か別のものが、確かにあった。
それから、先生は、机の引き出しに、手を伸ばされた。
引き出しの中から、一枚の紙を、取り出された。それを、机の上に、私に見えるように、置かれた。「これが、奥様のマシレグラフです」——先生のお言葉は、それだけだった。
◇ ◇ ◇
グラフの紙が、私の目の前に、あった。
横軸が、年月。縦軸が、運勢の波動。一本の線が、グラフの上を、左から右へと、流れていた。線は、ある時期までは、平均的な高さを保ちながら、ゆるやかな波を描いて、推移していた。けれども、線の流れは、ある一点で、変わっていた。グラフの右の方の、ある一点で、線は、急激に、深い谷へと、落ち込んでいた。その谷の底が、どこにあるのか、私は、目で追った。横軸の目盛りに目を向けると、谷の底の位置は、1987年3月末を示していた。
私は、グラフから、目を上げた。
先生は、私の目を見ておられた。それから、ゆっくりと、おっしゃった。
「間に合えばよいのだが」
それが、先生の、その日のお言葉だった。多くを、お話にはならなかった。けれども、その一言の中に、すべてが、込められていた。グラフの谷の底に、近づきつつある日付。妻の命の波動が、その時期に、深く落ち込むこと。それを、回避する手段が、もしあるとすれば、急がなければならないこと。先生は、それを、私に、伝えてくださっていた。「間に合えばよいのだが」——その一言が、私の中で、ずっしりと、座を定めた。
◇ ◇ ◇
数秒の沈黙の後、私は、先生に申し上げた。
「先生、お願いします。妻と、私と、健慈の名前を、新しく組み直してください」
迷いは、なかった。
ふつうに考えれば、家族全員の名前を組み直す、というのは、突拍子もない話だ。父母から授かった名前を、捨てるということ。妻と私の戸籍を、書き換えるということ。生まれてからずっと、自分のものだった名前を、新しいものに、置き換えるということ。けれども、その時の私には、ふつうの判断の物差しが、もはや、なくなっていた。書物の中のあらゆる扉を、叩き尽くしていた。漢方も、丸山ワクチンも、ホッカイロも、OH-1も、東京駅の予言者も、扉の向こうの道は、見えなかった。最後に残ったのが、姓名を組み直すという、この一つの道。私は、ためらわなかった。
先生は、深く頷かれた。
「分かりました。それでは、進めましょう」——先生のお言葉も、短かった。それから、これからの道筋を、具体的に、示してくださった。家族全員の改名であること。両親に、相談しなければならないこと。戸籍の手続きが、必要なこと。新しい名前を、姓名科学に基づいて、慎重に、選定する必要があること。時間との戦いになること——グラフの谷の底まで、もう、それほどの時間は、残っていなかった。
◇ ◇ ◇
中野の事務所を出て、私は、家への道を、歩いた。
夕暮れだったか、夜だったか、もう、覚えていない。けれども、駅までの道を歩く間、頭の中から、一つの日付が、離れなかった。1987年3月末。グラフの谷の底の、その日付。先生のお言葉、「間に合えばよいのだが」。間に合うか、間に合わないか——それは、これからの自分の動き方に、かかっていた。家族全員の改名を、急がなければならない。両親への相談。戸籍の手続き。新しい名前の選定。それらを、できるだけ早く、進めなければならない。
電車に揺られながら、私は、これからの段取りを、頭の中で、組み立てていた。
まず、両親に、話さなければならない。父にも、母にも、突拍子もない話を、できるだけ早く、伝えなければならない。ふつうの両親なら、そのお話を、すぐには、受け入れてはくださらないだろう。父母から授かった名前を、捨てる、ということなのだから。けれども、説得する以外に、道はなかった。妻の命が、グラフの谷の底に、近づきつつあった。間に合うかどうかは、両親への説得が、どれほど早く成立するか、にもかかっていた。
次の戦場は、家の中だった。
立川病院での闘病が、一つの戦場であるとすれば、これから始まる両親への説得は、また別の戦場だった。同じ家族の中で、命をかけた、突拍子もないお願いをする戦場。私は、家への道を歩きながら、その戦場の入口に、立っていた。けれども、その戦場のことは、また、別の話になる。
先生は、その日、グラフを、私に示してくださった。
けれども、グラフの全体を、私が、改めて深く見せていただくことになるのは、もっと後のことだった。妻の永眠の後、私は、もう一度、先生の事務所で、あのグラフを、見せていただくことになる。その時、グラフの谷の底の意味を、私は、初めて、本当の意味で、知ることになる——けれども、その話もまた、別の話になる。
(つづく) R080525
◆ 制作者からのお知らせ ◆
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