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2026年5月22日金曜日

◆ 「日露戦争」を勝利に導いた、下瀬火薬と伊集院信管 ◆ 『かけがえのない国 誇り高き日本文明』武田邦彦著 MdN出版(R05年)より

◆ 「日露戦争」を勝利に導いた、下瀬火薬と伊集院信管 ◆ 技術への関心の高さを教育体制がバックアップすることで、日本の技術力は瞬く間に向上していきます。1904年から翌年にかけての日露戦争の勝利も、その背景には日本の技術力がありました。 日露戦争における勝利を決定付けたのが日本海海戦での大勝ですが、その時に活躍した技術が「下瀬火薬」と「伊集院信管」でした。 下瀬火薬は日本海軍技官の下瀬雅允が開発した火薬です。 その特徴は、金属と反応してしまうピクリン酸をどう装填するか、そのアイデアにありました。下瀬雅允は砲弾の内側に漆を塗ってピクリン酸と鉄を分離することを考案してこの問題を解決します。 これにより爆発した時の温度も高めることができました。何より当時の火薬の主流であった黒色火薬に比較して発射時の黒煙が非常に少なく、発射した後の準備が容易になり、連続発射を可能にしました。「日本艦隊の大砲の発射間隔は、ロシア艦隊の10倍短い」、と言われました。 伊集院信管は、日本海軍大佐・伊集院五郎が考案した信管です。信管とは、弾薬を計画通りに爆発させるための装置です。 飽弾の安全装置が飛行中に外れるのが特徴で、極めて敏感に反応し、飽弾がどこに命中しても着実に爆発するよう設計されていました。 日本には、こうした兵器そのものの先進性に加え、命中精度を上げる発射技術と計算力が備わっていたのです。 ちなみに、日露戦争はロシアの南下政策に対して日本が国防体制を採り、両国の国益確保にとっての重要地域である朝鮮半島を巡って起こった戦争です。 日本は勝利しましたが、ロシアの脅威は未だに強く、朝鮮半島の情勢は日本の国防を直接左右するものでした。 1910年、日本は韓国併合を行って、大韓帝国を統治下に置きます。 『かけがえのない国 誇り高き日本文明』武田邦彦著 MdN出版(R05年)より R080522

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