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2026年5月23日土曜日

第四章・覚醒の時代 連載第七十六話 丸山ワクチン

第四章・覚醒の時代 連載第七十六話 丸山ワクチン
第 四 章 ・ 覚 醒 の 時 代
第 七 十 六 話

丸山ワクチン

― 三 十 日 分 の 、 ひ と つ の 希 望 ―
書店通いの中で、丸山ワクチン、という治療法のことを、自分は、知った。
当時、社会的にも、話題になっていた治療法だった。日本医科大学の、丸山千里先生というお方が、長年のご研究の末に、開発なさったお薬。結核菌から精製された、ある成分が、がんに対しても、何らかの作用を、もたらすのではないか——というお考えに基づくものだった。当時の医学界では、その評価をめぐって、賛否が、分かれていた。けれども、書店の医学書のコーナー、健康法のコーナー、そして雑誌の記事——いくつもの場所で、丸山ワクチンのことが、取り上げられていた。
その記事を、自分は、片端から、読み込んだ。
どこで処方を受けられるのか。費用は、いくらか。投与の方法は、どんなものか。実際に投与を受けた患者の経過は、どうだったか。賛成派の医師の見解と、慎重派の医師の見解と、両方を、ノートに、書き留めていった。当時の自分は、医学の素人だった。素人の自分が、医学界の賛否を、判断することは、できなかった。けれども、書店の棚から拾い集めた情報の中で、ひとつだけ、はっきりしていたことがあった——丸山ワクチンを試した患者のお話が、いくつも、紙の上に、残っていた、ということ。試した方々が、確かに、いる。それなら、自分も、試してみたい。それが、若い夫の、ひとつの判断だった。
◇ ◇ ◇
立川病院で、丸山ワクチンの処方を、申請することができる、と知った。
当時、丸山ワクチンは、患者の家族が、所定の手続きを経て、申請を行い、医師が、それを患者に投与する、という仕組みになっていた。普通の市販薬とは、違っていた。有償の治験薬、という位置付けだった。書類を、自分の手で、整えて、申請を、提出した。申請書を書きながら、自分は、また、ノートを取り出して、書物で学んだ知識と、申請書の項目とを、照らし合わせた。素人なりに、間違いのない申請を、しようとしていた。
申請は、通った。
三十日分の薬が、若い夫の手に、届いた日のことを、自分は、今でも、ぼんやりとは、覚えている。受け取った時の、何とも言えない、ひとつの重さ。書物の中で、ずっと文字として読んできた治療法が、今度は、実際の薬として、自分の手の中に、降りてきていた。紫根牡蛎湯の生薬の紙包みを、紀伊国屋漢方堂で受け取った、あの日の感触に、どこか、似ていた。けれども、丸山ワクチンは、書物の処方ではなかった。当時の医学界の、賛否のただ中にある、ひとつの実験的な治療法だった。その薬を、自分は、受け取った。
◇ ◇ ◇
投与は、皮下注射だった。
病室で、看護婦さん方が、毎日、妻に、注射を打ってくださった、と思う。具体的な投与のお時間や、どなたが打ってくださったかは、もう、はっきりとは、覚えていない。ただ、その三十日の間、毎日、丸山ワクチンが、妻の体に、注がれていった。一日、また一日と、薬が、減っていった。三十日分の薬が、ひとつずつ、使われていく毎日が、続いていた。
そして、自分は、何か、感じていた。
何だったかは、もう、思い出せない。妻の病状の、ある一部に、何か、緩和したような、感触があった。痛みが、わずかに軽くなったように感じたのか。お顔色が、少し、よくなったように見えたのか。食欲が、わずかに戻ったように感じたのか。それが、具体的に何だったかは、半世紀近く経った今、もう、思い出せない。けれども、確かに、何か、自分の中で、感じていた。気のせいだったかもしれない。妻の体が、その時期、たまたま、小さな揺らぎの中で、わずかに上向いた瞬間と、重なっただけだったかもしれない。けれども、自分は、その時、確かに、何かを、感じていた。
その感触は、後に、自分の中で、ひとつの問いとして、残ることになる。
医学者の方々のご見解と、若い夫の感触とは、ずれていた。後年、自分は、ある先生から、丸山ワクチンについて、「あれは、水と変わらないようなもの」というご趣旨のお言葉を、いただくことになる。専門家として、医学的な評価としての、ご誠実なお言葉だった。けれども、その時の若い夫の感触は、違っていた。あの三十日の間、自分は、妻の体に、何か、緩和したような、わずかな兆しを、感じていた。それは、薬の効能だったのか、若い夫の願いの投影だったのか、たまたまの偶然だったのか——半世紀近く経った今でも、自分には、はっきりとは、分からない。
◇ ◇ ◇
けれども、三十日分の薬は、終わりきらないうちに、また別の意味で、要らなくなった。
妻の容体が、その三十日の中で、急速に、悪化していった。丸山ワクチンの効能の有無を、考えている暇は、もう、なくなっていた。妻の体の中で、もっと別の何かが、急速に、進行していた。書物の中で、自分が読んできた「乳がんの五年生存率、十年生存率の厳しさ」——その厳しさが、実際の妻の体の上に、はっきりと、姿を、現し始めていた。
三十日分が、終わるか終わらないかの頃に、自分は、丸山ワクチンを、ひとつの治療法として、心の中で、手放した。
二回目の処方を、申請しに行く、ということは、しなかった。もはや、二回目は、要らなかった。妻の体に、必要だったのは、もう、丸山ワクチンではなかった。もっと別の何かを、若い夫は、急いで、探さなければならなかった。書物の中の、もうひとつ別の活路。岡山大学の先生に、お会いするための、別の旅。そして、ご自身の名前と、家族の名前を、丸ごと、組み直す、というご決断——もうひとつ別の、最も深い活路。それらが、丸山ワクチンの三十日分のあとに、若い夫を、待っていた。
◇ ◇ ◇
三十日分の薬は、効いたのか、効かなかったのか。
半世紀近く経った今でも、自分には、はっきりとは、分からない。医学的には、おそらく、効かなかったのだろう、と、後に教わった。けれども、医学的な意味での効能だけが、薬の働きの、すべてではない、と、今の自分は、思っている。あの三十日の間、若い夫は、その薬に、ひとつの希望を、託していた。希望を託す、という、その若い夫の毎日が、確かに、あった。妻もまた、その薬を、毎日、ご自分の体に受け入れながら、生きてくださっていた。それが、すべてだった。
丸山ワクチンの三十日分が、若い夫婦の毎日に、ひとつの、リズムを与えてくれた。
夜明けの台所の紫根牡蛎湯、暗い外来での受け渡し、そして、病室での皮下注射——ひとつずつの治療法が、それぞれの場所で、毎日の輪郭を、支えていた。若い夫婦は、その輪郭の中で、目の前の三十日を、生きていた。先のことは、考えなかった。考える余裕も、なかった。ただ、目の前の一日を、ひとつずつ、生きていった。
けれども、その三十日のあとに、何が、待っていたか——その話は、また、別の話になる。
若い夫が、岡山大学に向かって、何をしようとしたか。それが、どんな結末を迎えたか。そして、若い夫が、家族全員の名前を、丸ごと、組み直す、というご決断に、なぜ、辿り着くことになったか。それらは、丸山ワクチンの三十日分が、終わりかける頃から、若い夫婦のそばに、ひとつずつ、立ち上がってくる、別の物語になる。
(つづく) R080523

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