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2023年11月27日月曜日

機械に盗まれない食事

機械に盗まれない食事 次は食事の時間です。

科学が何でも実現してくれると信じていた一九世紀の終わり頃、「将来の家庭の朝食」という有名な漫画が描かれました。中年の夫婦が機械ののった食卓の前で口を開けています。洋服や調度品から見るとそれほど遠い未来を想像したものではないようにも思えますが、口さえ開けておけば機械が何でも口に運んでくれるという朝食を想像しています。たしかにこれが「能率的」と考えることもできますが、食事という時間を機械に盗まれているのです。 一見、口を開けていれば食事が運ばれてくるのですから、これほど良い食事はないと思いがちです。しかし、これでは「食事のために食事をする」ということになります。旅の時間でトルストイが警告しているように、旅とは「A地点からB地点に移動する」ことではなく、旅、そのものの時間を楽しむことなのです。 それでは「機械に盗まれない食事」とはどういうものでしょうか? かなり前にある本で見た絵を、著者がったない記憶で写したものです。食事をする人がナイフとフォークを持ってのんびりと食事を楽しんでいます。脇でコックさんがバイオリンを弾いています。 ただ、この絵には不思議と「自分の時間」の意味を感じさせるものがあるように思います。特に、前の機械に朝食を食 べさせてもらっている夫婦の絵と比べると、その楽しさは格段に違います。

『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231127 180

【さんまさんも言っていた】NHK紅白歌合戦「K-POPグループ、6組出場はおかしい!」どこの国の公共放送?出演者発表で批判噴出

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米粒写経×松崎健夫 映画談話室2023.11.24 ~ザ・クリエイター 創造者/ゴジラ-1.0~

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【生配信】第330回 居島一平&有元隆志&阿比留瑠比が最新ニュースを深掘り解説!

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2023年11月26日日曜日

感動の時間のあるこれからの環境

感動の時間のあるこれからの環境 旅の時間、それをトルストイは次のような意味のことをもらしています。 「将来、わたしたちがA地点からB地点にできるだけ早く移動しようとして努力したことを無意味なことと判る時がくるだろう」そして、同時に、旅は、旅の時間それ自身に意味があり、A地点からB地点に早く行こうとしたら、その間の時間はその人にとって無かったも同然だと言っています。ここでも、まず旅の時間について考えてみます。 江戸時代、男性が一日に歩く距離はおおよそ一〇里、今の四〇キロメートル程度でした。当時、江戸から上方まで東海道が整備されていましたが、雨も降らず順調に旅ができれば東海道五十三次をおおよそ一三泊一四日の旅だったのです。五十三次と言うくらいですから、多くの宿があったのですが、そのなかでも普通に利用する宿はおおよそ決まっていて、日本橋から第一の宿が戸塚、それから小田原、箱根を越えて三島、蒲原、岡部、日坂、浜松、赤坂、宮と行って、四日市に渡り、土山、草津を経て京都にたどり着いたのです。現在ではかなり歩くのが好きな人でも一四日間の間、毎日歩くだけの足は持っていないようです。 江戸時代が終わってもう一五〇年も経ちましたが、その間に馬車が使われ、鉄道が敷設され、「ツバメ」が走りました。ツバメは東京から大阪までを六時間半という超特急で走り大いに人気を博したものです。今ではそれが二時間半、「のぞみ」の座席は快適でほとんど旅の疲れも感じなくなりました。その代わり、たびたび東京と大阪を往復しても、覚えているのは名古屋の近くと京都くらいで、途中はさっぱり判りません。旅情などかけらもなく、ただ東京から大阪まで移動したということだけです。 四日をかみしめながら歩いた江戸時代と新幹線で行く大阪と、どちらが便利かは言うまでもありませんが、その間、旅行する人の時間としてはどちらが「自分の時間」だったか、にわかには決めることができません。「旅」というのは目的地に着くことではなく、旅の途中の時間こそが旅であるという人にとっては東海道を歩くことは旅であり、新幹線の二時間半は全く空虚な時間と感じられるでしょう。往復一カ月の旅がツバメの登場で二日になり、食い倒れ大阪の町で一夜を過ごす機会も今や失われてしまいました。朝、八時に東京を発つと、一〇時半には大阪に着いています。よほどの用事でなければ四時間ほどで終わり、三時には時間が空いてしまいます。 少しの時間をぶらぶらしても、その日の夕方ののぞみでまた東京に帰ります。旅の楽しみは奪われ、高速の新幹線は空気の抵抗を受けてエネルギーを大量に消費します。 次は、ゆっくりした時間が「時」を増やすことです。 著者は人と待ち合わせるときはもちろん、結婚式の披露宴に呼ばれでもすると、必ず二時間ほど前に会場に到着します。二時間前にすでに受け付けが始まっているときにはまず受け付けを済ませますが、それは「あの人は来るだろうか?」と主催者が心配するのが気になるからです。 著者がこのように待ち合わせに早く行ってもさして苦痛を感じないのは、「秘密兵器」があるからです。その秘密兵器とは「好奇心」と「本」の組み合わせ。結婚式では記帳を済ませて「わたしは来ています」と係りの人を安心させた後、受付を離れて付近の散歩を始めます。 これほど気持ちの良い散歩はありません。披露宴は二時間後にならないと始まらない、それまで時間はたっぷりある、そして式場の周りをじっくりと見て回ることができます。その式場が知らない場所ならさらに楽しく、付近をブラブラしながら「この町はサラ金が多いな」とか、「こんな時間に何でこんなに高校生が歩いているのだろう?」などと思いながら歩きます。 時には、脚が疲れていて散歩はしたくない、というときもあります。そのときのために常に小さな本を小脇に抱えていて、適当な喫茶店、最近ではドーナッツとコーヒーをサービスしてくれる店がお気に入りですが、そこに入って三〇分ほど本を読みます。ほのかに甘いドーナッツ、入れ立てのアメリカンコーヒー、そしてゆっくりした時間です。 この時間の使い方で、どの時間が増えたかというと、まず結婚式に行く間の時間です。普通は、時間ぎりぎりに行くのが「時間の倹約」と思いますが、ぎりぎりに行くと電車に乗ったり、車で急いでいる間、ずっと時計を見たり、次の信号が赤にならないかということばかりが気になります。そのために、その時間は全く自分の人生の時間から切りとられます。 間に合うかどうか精神的にイライラすることもありますが、それより時間自体を失うのがもったいないと思います。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231126 178

店内が騒然!初来日のフランス人が日本のマグロ定食に驚愕!言葉を失いました

店内が騒然!初来日のフランス人が日本のマグロ定食に驚愕!言葉を失いました

2023年11月25日土曜日

生きるために時間を使う、それで人生はかなり長くなるはず

生きるために時間を使う、それで人生はかなり長くなるはず 最後に、ものを買うために 生きるのではなく、生きるためにものを買う。時間を使うために生きるのではなく、生きるために時間を使う。それで人生はかなり長くなるはずです。 さらに、もう一つ、著者が試みている、時間を増やす秘術があります。 それは、一つのことを素早くやることです。「ゆっくりした生活をする」ということと、「一つのことを素早くやる」ということは一見、矛盾しているように見えますが、そうではありません。その説明のために少し準備をします。 アインシュタインは、光のように速いものは時間がゆっくり進むこともあると言ってみんなを驚かせました。しかし、それは相対性原理が支配するような特別な世界であり、わたしたちが住んでいるような平凡な世界では時間は等しく過ぎていくと考えられています。体の丈夫な人や弱い人、美人やそうでない人がいる世の中、お金はさらに不平等です。そのなかで「時間」だけは平等と信じられていました。 それがはっきりと違う、時間は誰でも平等ではない、ということをわたしたちの目に見せてくれたのが、円谷英二監督です。ヒット作品の名前は『ゴジラ』。 円谷監督はいわゆる特撮映画の名手で、巨大な恐竜が東京の町をのっしのっしと歩き、市民を恐怖のどん底にたたき込み、同時にビキニ環礁の核爆弾実験の恐怖と組み合わせた『ゴジラ』は見事な作品でした。それでも、この作品は単に話の筋や時代性が受け入れられただけではありません。巨大なゴジラの動きとその周辺の小さな人間との対比、その映像が見事だったことも見逃せないのです。『ゴジラ』のヒットを受けてその後続々と新しい恐竜が創造され、怪獣ブームを創り出すとともに「特撮映画」も盛んになりました。そのなかには戦争を扱ったものも多く、少年だったわたしは悠然と太平洋を航行する戦艦大和にたまらない魅力を感じたものです。 特撮の技術は高速度撮影カメラなど多くの要素がありますが、そのなかで「大きいものはゆっくり動かす」という新しい考えが取り入れられたことが特筆されます。 最初、実物とそっくりの戦艦大和の模型を作り、それを太平洋に擬した大きなプールの中に浮かべて実物そっくりに見える画面を撮影していたのですが、全然、本物に見えませんでした。どうしても戦艦大和が模型に見え、プールのなかに浮かんでいるのが判ってしまうのです。ピチャピチャと小さく波立つ水面、「模型のように」ふわふわと浮かぶ戦艦大和。全然、重量感というものを感じられない。 たしかに、わたしたちは多くのものをテレビで見ますが、テレビ 画面のなかなので、それが実際にどの程度の大きさか全く判らないはずです。それでも、何となく大きさが判ります。ペンシル型の小さなロケットは点火と同時にピューツと飛び上がって大空に消えていきますが、アポロ宇宙船を載せた巨大ロケットは点火してもゆっくり上昇し、まさに 重々しく、重量感があります。テレビ画面にわざわざ寸法を書き入れなくてもおおよその大きさが判るということは、逆に言えば、小さなロケットを大きなロケットに見せかけることは工夫がいるということを示しています。 それは「大きさと動きの関係」にあります。大きなものはゆっくり動き、同じ動作でもそれにかかる時間が違うのです。現実の戦艦大和と模型では、例えば舳先(へさき)が揺れるときに戦艦大和なら舳先が上がって下がるのに時間がかかりますが、模型ならあっという間に舳先は上がって下がるので、模型の戦艦大和が軽々しく見えるというわけです。 そこで、模型の戦艦大和を撮るときには高速度カメラを使って、コマ数を増やし、撮影した後に現実の戦艦大和の動く時間に合わせてゆっくりとカメラを回すと、模型の戦艦大和は悠然と動くことになります。一方、人間の撮影は普通のカメラで行い、それはそのまま再生するので、人間は小さく、戦艦大和は大きく見え、わたしたちは非現実の世界に遊ぶことができます。ゴジラのときも同じ。 このことは、ネズミとゾウの動きを考えてみると判ります。たとえば、ゾウが後ろを見ようと振り返るにはかなりの時間を要しますが、ネズミが後ろを振り返るのはあっという間です。動物は「何秒で振り返った」というのを測定しているのではなく、「一回振り返った」と意識をしていちだけです。だから、生物にとっての時間というものは「秒」とか「分」というものはなく、「行動」の時間ではかるものと言えます。 人間も生物ですから、行動が素早ければそれだけ時間はゆっくり過ぎます。子供の頃、一日が長かったのは、なにごともすぐ飽きてチョロチョロし始めるのが早いからです。一つのことを一五分でする人と、一時間かかる人では一日八時間で「行うこと」が四倍違います。それを「分」で数えずに「したことの数」で数えれば、一五分でする人の八時間は、ゆっくりとする人の二時間と同じ。つまり一五分でする人は時間の過ぎ方がゆっくりしているので、人生が長くなるということです。 何事も速くやると時間が長くなるということが判ると思います。また、時間というものが無機的に単純に流れていくものではなく、環境によって、ものの大きさによって、速くなったり、時には遅くなることがあることが判りました。著者は、長年、同じことを人の数倍のスピードでするという修行をしてきましたが、時に、時間が止まったように感じられることもあります。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231125 173