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2026年5月27日水曜日

◆ 「巨大大仏」鋳造を支える周辺技術の凄さ ◆『かけがえのない国 誇り高き日本文明』武田邦彦著 MdN出版(R05年)より

◆ 「巨大大仏」鋳造を支える周辺技術の凄さ ◆ 奈良時代は、すでに青銅器時代から鉄器時代に移り、鋳造技術もかなり進歩していた時期ではあります。 しかし、当時行われていた鋳造技術では、銅剣や銅鐸(どうたく)、銅鏡などの小さなものをつくり出すのが精一杯でした。 奈良の大仏のような巨大なものを鋳造するためには別の技術が必要です。銅鐸や銅鏡が一つ数百グラムでしかなかったことを考えると、総重量500トンの銅の鋳造だけでも、特別な科学の考え方、画期的かつ具体的な技術が必要であっただろうことがわかります。 当時の銅の加工品づくりにおいては、小さいものなら山肌に存在する自然銅を使いました。 銅は還元されやすく金属になりやすいので地表で自然に金属銅になるものがあり、それを自然銅と言います。自然銅であれば、それを集めてきて溶かし、型に流し込むという作業で済みます。 使う銅の量も少ない銅製の飾りなどなら、それほど高熱にする必要もありませんし、燃料もわずかで済みます。型に流し込んで表面を加工すれば、それででき上がってしまいます。 しかし、総重量500トンもの銅を手に入れようというのであれば、自然銅では到底、量が足らず、鋳造して用意しなければなりません。鋳造しようというのであれば、銅鉱脈を持つ大きな鉱山が必要です。 銅鉱脈とは銅の硫化鉱物、酸化鉱物、炭酸塩鉱物などのことを言います。それらの鉱物から酸素や硫黄を取り除いて銅にします。 そして、その作業を行うためには、1000℃近くの温度を生む方法と大きな炉が必要です。 奈良の大仏の原料となった銅鉱石は、現在の山口県の長登銅山のものです。 ここの銅鉱石は銅とヒ素が一緒に出てくるために、約1000℃で溶ける一般の銅鉱石より融点が低く、900℃ほどで融解します。その特徴から、長登銅山が選ばれたことは間違いないでしょう。それでも当時、500トンもの銅を精製するのはたいへんなことでした。 長登銅山の銅鉱床は、銅鉱石の含有率が5パーセントから8パーセントでした。掘り起こした鉱床から銅を精錬して、船で近畿地方まで運びます。そこで再び銅を溶かして、鋳型に流して大仏の部分的なところをつくります。 もちろん組み上がった時の強度などを計算して、厚みなどを決めなければなりません。大仏の下のほうは銅を厚くし、上に行くほど銅を薄くします。 さらに内部の空洞をどのくらいにすれば安定するのか、強度が保持できるのかなどを正確に計算し、仏像が自立できるようにしました。工学の理論もなく、計算機もない時代によくやったものです。 さらに、銅ばかりでは表面が光り輝かないので、大仏全体に金箔を塗りました。貼るのではなく、塗ったのです。 金はとても柔らかい金属なので、叩けば叩くほど薄く伸ばすことができます。現代では金箔職人が金を叩いて延ばす技術が進み、1立方センチメートルの金から10平方メートルの金箔をつくることができます。その厚さは、実に0.0001ミリメートルです。 『かけがえのない国 誇り高き日本文明』武田邦彦著 MdN出版(R05年)より R080527

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