何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
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2022年10月8日土曜日
自分と意見が違っても、面白いものは面白い (「豚の棺桶」:ブログ作者作成タイトル)
自分と意見が違っても、面白いものは面白い (「豚の棺桶」:ブログ作者タイトル)
「正しさ」は人の数だけある。
厳密に言えば、「自分の意見とまったく同じ」人間など存在しません。原子力安全委員会の専門委員をやっていたときのことです。
私は原発の安全対策、安全研究にもっと予算を充てるべきだと思っていました。だからこんな提案をしました。
「国民の多くが原子力発電所に不安を持っています。だから、この場でも、原子力発電所は危険であるという仮定に立った議論をしませんか?」
原子力発電所に関わっている人間は「原発は安全だ」と思ってやっているわけです。しかし、国民のすべてがそうではない。だったら「危険」という前提で予算を組みませんか、と言ったわけです。委員の皆さんは、ポカンとしていましたね。「原発は危険だ!」とやると門前払いで話を聞いてくれませんから、こっちも事前に作戦を練って、「私も原発は安全だと思っています」と、「仲間」であることを強調しながら提案したのですが、「何をおかしなこと言ってるんだ?」という反応でした。
私は、「自分たちが正しいと思っていることをいったん棚上げして、自分とは違う意見の側に立って、ものを考えましょう」という提案をしたのです。
デザインの話を例に挙げましょう。
私はひょんなきっかけから、現在、多摩美術大学でデザインの講座を持っています。門外漢の私が何を教えるのか、と思われるかもしれませんが、ここでは「ものの見方」を教えているのです。
こんな課題を出したことがありました。「プタの生姜焼き定食の皿のデザインをせよ」というものです。すると学生たちは皆、ブタの生姜焼きがおいしく見える、という観点で皿をデザインしてきました。当たり前ですね。でも私は言いました。「これではダメだ」と。
私は学生たちに言いました。
「食べられるブタの身になってデザインしてください。皿は、いわばブタの棺桶なんです。どういう棺桶ならばブタは喜ぶのか。ブタの立場でものを考えてください」
例えば、街路樹でもそうなのですが、街路樹は人間にとっては、「見る」だけなんです。しかし街路樹からしてみれば、そこで生きている。街路樹にとっての快・不快があるはずなのです。私たち人間は、実は、街路樹の快・不快も、無意識下できちんと感じ取っているのではないか、と私は考えています。街路樹にとっての心地よさとデザインが一致したとき、どちらの側にとっても素晴らしいものになるのではないか、と、こう思うわけです。
ブタの生姜焼き定食の皿をどう見るか。立場によって、見え方がまったく異なる、ということです。さまざまな立場を理解することで ―――「心で動く」ということですね――― 多摩美の学生たちのデザインはハッキリと変わりました。学内からも学外からも、「デザインに深みが出た」と評価されるようになりました。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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2022年10月7日金曜日
おわりに一一人生を2倍楽しく生きる方法
おわりに一一人生を2倍楽しく生きる方法
この本を終わるに当たって2012年の総選挙について、正義との関係を示したいと思います。総選挙は「政治的、社会的出来事」ですが、同時に「正しさ」がもっとも強く要求されるものでもあります。「正しさ」から見ると、2012年の選挙はどんな選挙だったと言えるでしょうか?
第一に、2009年の総選挙のときに「増税なき財政再建と高速道路などの無料化、子ども手当、衆議院80人減員」という公約をした民主党が、2012年の総選挙で立候補するのが「正しい」のかということです。衆議院の基本的なことは日本国憲法に定められていて、議員は選挙によって国民の代表として議会を構成することになっています。したがって、議員になろうとする個人も含めて、政党は自らが実施することを選挙で訴えるのは当然です。
現実には「財政再建は増税で行ない、高速道路の無料化も子ども手当も約束どおりには実施せず、民主党だけで提案してほぼ決めることができる定員削減も実施しなかった」ということになったのです。2009年の選挙で私たちがダマされたのは、「優しく親切に聞こえ、お金がもらえるのではないか」とつまらないことを考えたからです。
いわば、2009年の選挙が「不正」に行なわれたということですから、ソクラテスの例に学べば、検察が民主党を告発して詐欺罪のようなもので有罪とし、政権時代に決定したことをすべて無効にし、2009年に民主党から立候補した議員の被選挙権を剥奪し、民主党の解散を命令する、ということがまず行なわれなければなりません。それに続いて民主党の解散と議員の辞職、立候補の断念を表明するということになるでしょう。代議員制の民主主義では「選挙が正常に誠実に行なわれる」というのが前提中の前提で、もし選挙が「不正」に行なわれたら民主主義が実施されないことになるからです。
しかし、現実の社会では「枝葉末端の犯罪は取り締まることができるが巨悪は逃げる」という一定の法則があり、選挙期間中にわずかでもお金を分配したりすると逮捕されますが、選挙のときにウソをついて当選しても罪に問われません。公約でウソをつき、政権を取ったあとにしたい放題をしても逮捕されないのは、特に奇妙でもなく、普通の社会現象とも言えます。
でも、「正しい」ということに対して社会が特別に敏感なら2012年の選挙で民主党の議員が立候補すること自体に、社会からかなりの反撃があったと思います。が、そこまではいきませんでした。
結果として、民主党は大敗しました。しかしこれも「空気」だったかもしれないのです。10年ぐらい国会を休止し、霞ヶ関の活動をやめたほうが日本は良い国になりそうですが、残念ながらそういうわけにもいきません。
政治に依存せず、ヨーロッパ流ではない「正しさ」を見つけ、守っていくしかない―――私はこのように思っています。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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2022年10月6日木曜日
「正しい」ことがわかったその後―――
「正しい」ことがわかったその後―――
仮に、何が「正しい」かがわかっても、現実に「正しい」ことを実施できなければ意味がありません。といってソクラテスのように毒杯を飲んで自殺するというのは、私たちには少し辛い感じがします。
では、「正しい」ことが何なのかわかった場合、人はどうするのでしょうか?
その後の行動には、3つのパターンが見られます。
● 言い訳のスキルを磨く
1番目は、言い訳のスキルを磨くということです。これは、多くの日本の企業が迷い込んだ道です。企業の社会的責任を守ろうとして、言い訳の技術を築いてしまったのです。つまり正しい言動をしようとするのではなく、間違ったことをしても、それを正しいと言い抜ける方法を身につけることによって、我が身を守る方法です。これは「利己的正義」をヨーロッパ流の論理によって「利他的正義」に 見せかける方法です。「CSR(企業の社会的責任)」と呼ばれる倫理の考え方がありますが、これはこの方法に分類されます。
● 人格を磨く
2番目は、教育や学問によって人格を高め、高い判断力と精神力によって「正義」を守るという方法です。いわば正攻法です。現在の日本人ではあまり見かけません。どちらかというと指導層に少なく、現場の人のほうがむしろ、このような意味での「正義感」を持っています。ただし、持続しない場合も多く見受けられ、現場の人間でも、出世したり、チャンスを得て偉くなったりすると、自分の名誉やお金に執着し始めます。特に政治家などを見ていると、当選していないときのほうが「正義感」があり、当選すると視野も広がり、判断も複雑になるせいなのか、どうしても正義から離れていきます。
● 心で動く
3番目の方法は「心で動く」ということです。
例えば、地震が起きてビルの下敷きとなり若い命を落とす人、まだ幼い子どもを残して死んでも死にきれないときにこの世を去る人――こうした人の心の苦しみを理解することです。それがわかれば、自然と心の動きで「正義」を大切にします。つまりは人間らしい心、他人の苦しみのわかる心を持つということです。かつてならそれを「良心」と言いました。正義に反することに直面すると、良心に耐えられずに、正義を守るために、自分の名誉やお金を捨てる。それらがもっとも単純に正しいことを守る方法ではないかと、私は考えています。
ヨーロッパ流の「利己的正しさ」を「理性」で「利他的正しさ」に 転換するのは論外ですし、「自分が正しいと思うことは正しいとは限らない」ということを知っておくことも重要です。またこの本で、具体例を示しながら進んできた、慣性力の正しさ、空気的事実による間違った正しさ、専門家が求められる制限された正しさ、役割による仮の正しさ、親子の正しさの違いがもたらすもの………それらを反復して頭に入れておくことは人生を送る上で大切ですし、幸せでトラブルの少ない暮らしを送ることができます。
でももっとも大切なもの、それは「他人の苦しみ」がわかる心なのでしょう。人間が頭で考えるものは何かの間違いを含んでいますが、素直な心が持つ正しさはそれを超えるものがあるからです。私たちは自然の中ではなく、自然にはない四角いビルに囲まれて毎日を送っています。その私たちが失いやすい「素直な心」が多くの争いを解決することになると思います。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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2022年10月5日水曜日
ミュージカルステゴミザウルス 「捨てられた服のファッションショー」
ミュージカルステゴミザウルス 「捨てられた服のファッションショー」
私のパートナーが、子供ミュージカルを立ち上げて、毎年公演していたころの動画です。
あなたの町にも地震は来る
あなたの町にも地震は来る
では、次の地震はどこに来るのでしょうか?
答えはわかっています。
「わからない」
これが答えです。こんなふうに言ってもいいかもしれません。「明日にでも来るるかもしれない」
つまり、日本全国、どこにでも来る可能性があるのです。当たり前ですよね?
地震が来る可能性が高い、低い、を議論しても意味がないということです。可能性が低いと言われていたって、地震は来るのですから。
だとすれば、私たちがすることは決まっています。「自分のところに地震が来る」と思って、そのための準備をしておくということですね。具体的には、家の中だけでなく、自分の家のまわりを見ておくことです。自分のうちは高台なのか、それとも低地なのか。近くにビルがあるのか、ないのか。こうしたことを頭に入れておくのです。
津波対策にしてもそうです。
今回の震災で、大きな3階建て以上の鉄筋コンクリートの建物は、津波でも損傷が比較的軽いということがわかりました。木造建築は、どんなに丈夫に建てていたものでもダメでした。
ということは、自分の家や職場の近くに、3階建て以上の鉄筋コンクリートの建物があるかどうか。これが重要になってきます。しかも鍵のかかっていない建物です。こういうところを見つけておいて、いざというときに 逃げる算段を立てておくということですね。
そういう建物がない場合は、「昔からの場所」が逃げ込む先になります。
東日本大震災でも、周囲よりとちょっとだけ小高い丘にあったお宮に逃げ込んだ人が助かりました。周囲の家は全滅でしたが、お宮だけ無事だったんです。これはどういうことかと言いますと、昔から残っているところには、これまで津波が来たことがないということなのです。
昔からある祠(ほこら)、遺跡、こうしたところも大丈夫な可能性が高いでしょう。
名古屋市に、熱田神宮という由緒ある社があります。三種の神器のひとつである草薙剣(くさなぎのつるぎ)、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を祀っているといわれている神社ですね。いまでこそ、市街地の中にありますが、実はこの神社、かつては伊勢湾に 突き出た岬の上にあったんです。開拓が進んだことで、それがわからなくなってしまいました。海の近く、岬の突端ですから、津波の心配があります。しかし、津波で流されたという記録がありません。だから大丈夫、というわけです。
逆に、鎌倉の大仏は、1400年代の終わりに、津波で大仏殿が流されてしまったという記録が残っています。ですから、津波のときにここに逃げ込めばOK、ということにはなりません。「空気」に惑わされずに、自分の住んでいる地域についてもう一度確認してみる。これが唯一の地震津波対策なのです。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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