このブログを検索

2023年5月31日水曜日

あなたのシェアでプロジェクトを もうひと押ししていただけませんか? 北朝鮮向けラジオ放送「しおかぜ」希望の光!応援プロジェクト2023



あなたのシェアでプロジェクトを もうひと押ししていただけませんか? 北朝鮮向けラジオ放送「しおかぜ」希望の光!応援プロジェクト2023

日本の捕鯨は残虐非道!? 貶められた本当の理由

日本の捕鯨は残虐非道!? 貶められた本当の理由 そんな日本人と鯨との関係がいつしか歪められ、「食料」とは思えない若い世代が増えている。ある時、30歳の女性を鯨科理の店に誘うと、「鯨、食べるんですか!?」と眉間に 皺を寄せ、衝撃を隠せない様子を見せた。それでも、私が鯨目当てにしばしば通っている新宿区歌舞伎町の居洒屋「樽一」に連れて行き、さまざまな部位の料理を実際に味わってもらったところ、「 赤身は牛肉みたい。脂は口に入れるとトロけておいしかった」と、認識を変えてくれたようだ。 食べたことがないから食指が動かないというのであれば、まだいい。やっかいなのは、鯨食イコール残虐非道で野蛮、という印象を抱いている日本人だ。 そもそも「鯨を食べるなんて残酷」という価値観は、欧米から流入してきた。しかし、考えてみてほしい。1853年、ペリーが浦賀に来航したのは、捕鯨船の寄港地を求めてのことだった。日本の江戸時代、すでに米・英・仏などでは捕鯨が盛んだった。彼らは基本的に、灯袖や機械油、マーガリンなどに利用できる「脂」が豊富な皮以外は海に捨てていた。鯨のことを「海に浮かぶ油の樽」と呼んでいたことからも、日本人の鯨との付き合い方とはだいぶ異質であったことがわかる。 1900年ごろから世界的に捕鯨産業が大きく発展した一方で、乱獲により一部の鯨は激減した。第二次世界大戦後の1946年、国際捕鯨取締条約が結ばれ、捕っていい大型鯨の頭数や種類が決められるようになった。その後、資源が減少したシロナガスクジラなどが保護されるようになり、商業として成り立たなくなったイギリスやオランダなどが捕鯨を中止。そして1982年、反捕鯨国が多数を占めるようになったIWCが裔業捕鯨モラトリアムを採択し、捕っても 間題ないと科学者が認めているクジラまで捕ることができなくなってしまった。 加盟国で捕鯨再開を強く主張してきた国は、伝統的な捕鯨国である日本、ノルウェー、アイスランドのみ。強硬に反対している国は、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、オランダなどの畜産国だった。そこに、自国の畜産品を売るために鯨食を衰退させようとする意図を感じるのは私だけだろうか。日本はモラトリアムに対して異議申し立てを行ったものの、アメリカの圧力に屈してこれを撤回。1987年からは南氷洋での商業捕鯨を中止し、調査捕鯨を開始することになる。しかしこの調査捕鯨に対しても、反捕鯨団体シーシェパードが海賊まがいの妨害行為をたびたび行ってきた。 さらに2010年、国際的な反捕鯨団体の主張を一方的に取り上げた映画『ザ・コーヴ』が、あろうことかアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。多分に脚色されたプロパガンダ映像だったが、「日本の捕鯨は残虐非道」という印象を国際的に植え付けることに成功し、鯨食離れにも拍車をかけた。その4年後、「日本の調査捕鯨は商業捕鯨の隠れ蓑である」というオーストラリアの訴えに対し、国際司法裁判所が日本政府に捕鯨プログラムの見直しを求めた。この日本「敗訴」の報に触れ、強い危機感を抱いたひとりの女性がいた。 『Renaisance Vol.13』ダイレクト出版 「消えゆく日本の伝統食」野生肉の復活を 葛城奈海氏より R050531

しおかぜ プロジェクト に支援を

しおかぜ プロジェクト に支援を

北朝鮮拉致被害者向けのラジオ放送が危機を迎えています。継続的な支援が必要です。日本政府もそれなりに動いていますが、日本の底力は、市井の力です。 私も、年金生活者ですが、自分の子供や孫が、拉致誘拐されたことを考えてみれば、すぐわかることです。 日本が、蝕まれていることは、最近の様々な情報から理解できますが、「敵」は北朝鮮だけではありません。私たちの周りにいます。私たちの行動も、「敵」を利する形になっていませんか。 それらをはねのけて、日本人たる気持ちを、この放送の継続という形でも、表しませんか。 あなたの支援が、必ず目的を達成します。

2023年5月30日火曜日

古事記の時代から続く伝統的な「日本の捕鯨」

古事記の時代から続く伝統的な「日本の捕鯨」 日本の食卓から鯨が消えて久しい。一定の年代以上の人であれば、学校給食で食べていた竜田揚げや大和煮を懐かしく思い出す人も多いだろう。地域によっては、現在でも給食で鯨料理が出されているところもあるが、概して、日本人にとっての鯨食はあまり馴染みのないものになってしまった。 1982年、IWC(国際捕鯨委員会)がモラトリアム(一時停止)を採択したことで南氷洋での裔業捕鯨ができなくなって以後、調査捕鯨を行うのみになった。こうして戦後の食糧難の時代には日本人のタンパク源の60%を占めていたこともある鯨が、入手し難い高級品になってしまったのだ。

「鯨一頭捕れば七浦潤う」という言葉がある。日本人は約五千年前、縄文時代から鯨を食し、骨や歯、ヒゲ板に至るまでさまざまな用途に活用してきた。『古事記』の中でも神武 天皇が「皆で鯨を分け合いましょう」と歌っている(久米歌)。 赤身はもちろん、皮、舌、内臓、尾肉など全身のほとんどを食することができる鯨。ちなみに私の好物は、上顎と下顎の骨の間にある脂身、『伝胴』だ。口に入れると甘く、とろける。脂というと不健康なイメージを持つ人も少なくないと思うが、水温の低い海域でも活動する鯨の脂は、寒くても固まらない。冷えるとすぐ固まる牛や豚の脂と違い、鯨の脂は菜種油や大豆油といった植物由来と同じ不飽和脂肪酸なのだ。美味しい上に健康にもよく、日本の食文化を象徴する食材のひとつと言えるかもしれない。 「鯨」という漠字は魚偏に「京」と書く。京は兆の万倍、つまり「大きい」ことを表す。これだけさまざまな用途があるうえに大きい。だからこそ、一頭によってもたらされる恵みも大きい。そんな鯨たちに日本人は感謝の気持ちを忘れなかった。日本の各地に鯨塚や供養碑、鯨の墓が残されている。 『Renaisance Vol.13』ダイレクト出版 「消えゆく日本の伝統食」野生肉の復活を 葛城奈海氏より R050530

三國シェフレシピの応用で、イチゴのティラミス

三國シェフレシピの応用で、イチゴのティラミス シェフ三國の簡単レシピ #426『抹茶のティラミス』





三國シェフレシピの応用で、イチゴのティラミスを作ってみました。 ピンク色に見えるのは、桜パウダーです。

2023年5月29日月曜日

私がハンターになって体感した「日本文化」

私がハンターになって体感した「日本文化」 「野生の鹿や猪が東京でも獲れる」と聞けば、意外に思う人も少なくないだろう。長年、林業関係の取材や趣味の山歩きを通じて山の変化を体感してきた私は、激増した鹿による 森林被害を食い止めたいという思いから、狩猟免許を取得。その後、銃砲所持許可も得て、2018年2月、ハンターの仲間入りをした。 以後、もっとも足繁く通っているのは東京都の檜原村だ。犬を使った伝統的な巻狩を行う檜原大物クラブの猟に参加している。驚いたのは、「肉を自給したい」という動機で狩猟を始めた若い男女が少なからずいたことだ。 人生初猟の日のことは忘れられない。出猟にあたっては、まずは参加者十数名が一堂に会して持ち場を決め、それぞれ「タツマ」と呼ばれる配置につく。初心者の私もいきなりひとりタツマに配され、緊張しつつも照準の練習などをしながら獲物を待った。 と、視界の片隅に動くものが‥‥雄鹿だ! てつきり獲物が出てくる前には犬が吠えるとばかり思っていたので袖断した。モタモタやっているうちに、鹿は姿を消した。後刻、先輩方から「タツマに 立ったら決して気を抜いてはいけない」とご指南を受けた。その猟期には計3回 出猟したが、獲物を見たのはこのときだけ。貴重なチャンスを逃したという自覚は回を璽ねるごとに深まった。 撃ち損じても、仲間が獲った肉を解体した分け前にはあずかることができる。目分量ながら正確な分けっぷり。これが「山分け」の語源なのだとか。それだけ各々が等しく責任を負い、手柄も失敗も肉も皆で分かち合う。獲物の心臓の一部は山の神への感謝の印として、小枝に刺してささげる。いつしかそんな、村落共同体の原風景を見るような檜原大物クラプそのものにも魅せられていた。 『Renaisance Vol.13』ダイレクト出版 「消えゆく日本の伝統食」野生肉の復活を 葛城奈海氏より R050529