何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
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2022年10月10日月曜日
まえがき 『「気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)
まえがき 『「気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)
見るがいい 黒い水が 抱き込むように 流れてく……みんな みんな うつろな輝きだ
小椋佳 詞・曲『さらば青春』(一九七一)
……何かがおかしい、のではなくて、何もかもがおかしい。
垣谷美雨(かきやみう)『女たちの避難所』(新潮文庫、二〇一七)
人間が出すCO2(二酸化炭素)を悪とみる営みに、日本は二〇〇五年から年三~五兆円(国民ひとり三~四万円)も使い、この調子なら二〇三〇年まで使い続けます。総額は一〇〇兆円を超すでしょう。出所は電気代の上乗せ分と税金だから、読者めいめい、気づかないままもう五〇万円以上を奪われ、今後も四〇万円ほど奪われる。合計一〇〇万円近くも誰かに貢ぐ
……という現実をご承知でしたか? 三人家族のお宅なら、ほぼ二五〇万円ですよ。
その巨費は何をするのか? 気候変動を抑え、化石資源の消費を減らす―――が能書きでした。しかしどちらも、いままで完璧な空振りだったし、これからも成功の目はありません。近ごろ大流行の「脱炭素」も「カーボンニュートラル」も、威勢ばかりでカラッポなところは、戦中戦後の「一億玉砕」や「地上の楽園」にそっくりですね。
ただしお金が動けば、経済が活性化し、雇用も生まれる。巨費の一部は研究費になり、目端の利く研究者がそれに群がる。けれど私を含めた庶民への見返りはなく、本来の「気候変動対策」に役立ちもせず、関係者だけが潤う。美しい状況とはいえません。一〇〇兆円の一部でも防災や医療、福祉、教育に回せば、将来のためになると思うのです。
話の幕開けは一九八八年でした。失業の危機を感じた国連と環境関係者がタッグを組んで、CO2を悪とみた起死回生の一手を思いつきます。大量のCO2を出す先進国=加害者から富を奪って途上国=被害者に流す仕事をつくろう……が国連の腹。かたや環境関係者は、環境がきれいになったため、次の仕事がほしい。当時は被害者の中国がだいぶ前から世界一の排出国なので国連の企みは破綻しているのですが、利権も生まれて止まれないのが現状です。
ウクライナ紛争のなか、天然ガスの四割、石油の二~三割をロシアに頼ってきたEUは、ロシアが供給停止を通告した際、賢くも化石資源の調達法を見直すのかと思いきや、再エネの拡大に四兆円ほど投入予定……と表明しました(五月一八日)。日本より電気代が高く、EU域内トップのドイツは、さらに値上げが必須となって民を苦しめるはず(ドイツは六月一九日に石炭火力の増強を表明)。再エネは基盤電源にならず、CO2排出を減らしもしないのに(ウソ12)、諸国の政治家は、メディア経由で洗脳された庶民の「票」がほしいのでしょう。
幕開けの一九八八年から、三四年が過ぎようとしています。今後の十数年も同じ調子なら、少なくとも五〇年は続きそう。その半世紀ほど、莫大なお金と時間を浪費し続けた私たちに、後世の人々は嘲笑や冷笑を浴びせるのでは?
方向転換がたやすくないのは承知しつつも、致命傷を負う前に目を覚まし、まともな社会を再生してほしいと願い、終活の一環として本書をつづることにしました。
まず前編(理科編)で、一九八八年に関係者が根拠もなく思いついた「CO2悪玉説」を検証します。人間の出すCO2が気候を変え、極地の氷を融かし、海水面を上げる……は当面、根も葉もないデタラメでした。前編を締めくくるウソでは、そもそもCO2が気温を上げる主犯なのかどうか、つまり地球温暖化論の根幹も考察します。
続く後編(社会編)では、過去およそ三〇年間(実質は京都議定書の発効から一七年間)に行われた「気候変動対策」がことごとく無意味だったことを浮き彫りにします。最大の敗因は、はるかに安上がりで有効な「適応」ではなく、関係者だけに好都合な「予防」の路線が世に広まったことでした(ウソ9)。高名な人々が、ありもしない「脅威」を語り、実効ゼロの「行動」を賛美したがる現実が(たとえば池上彰・保阪正康『歴史の予兆を読む』(朝日新書、二〇二二年六月)、風説の威力や怖さをまざまざと教えます。
温暖化関係のデータ類には、多様なものがあります。「大気中CO2濃度の推移」だけは確実なので、そのグラフを冒頭に掲げました。参考になりそうな他のデータ類や情報サイトを三〇点ほど、QRコード(二〇二二年六月末現在)でご案内しておきました。
巻末の参考文献リストにあげた旧著二点と旧訳一点を、本文中では『神話』『狂騒曲』『不都合』と略記します。なお、三つ目の『不都合』を、ウソ4と5で紹介するアル・ゴアの『不都合な真実』と混同なさらないよう。
旧著・旧訳も含め、私がこんな本を出す背景のご説明をします。現役時代に二七年ほど研究室を構えた東京大学生産技術研究所の化学系部門には、一九七〇年代から切れ目なく、国家事業に近い大型環境研究の代表者がおられました。私は八六~九六年(三八~四八歳 )の一一年間、二代に及ぶ代表者のご下命で事務局を担当することとなります。全国の大学などに属すメンバーは、当初が約八名、最終年も二〇〇名を超えました。
研究集会を開き、成果をとりまとめ、翌年度の経費を文部省(当時)に申請するのが事務局の役目でした。申請書には、「環境の研究は大事だからお金をください」というような、いまから思えば汗顔(かんがん)モノの、心にもない言辞を連ねたものです(もはや時効)。
一九八六~九六年には、IPCCの誕生(八八年)やリオ・サミット(九二年)があったものの、環境研究者ではない私自身、さほど関心はありませんでした。けれど担当終了の翌年に京都でCOP3があり、怪談めいたダイオキシン・環境ホルモンの大騒動も突発します。それを機に一一年間を振り返った際、やけに作為的な研究テーマや、針小棒大な成果発表も多かったなと思い出すうち、環境分野の末期症状(ウソ8)に気づいたのです。
以後は本業のかたわら、いわば環境騒ぎウォッチャーを続けてきました。二〇〇六年に環境科学会から学会賞を頂戴しましたが、環境の研究で同時に受賞された北野大(まさる)先生とはちがい、同学会の設立にもつながった下働き一一年間へのご褒美だったのでしょう。
本書は、そんな変人が温暖化騒ぎに寄せる、たぶん人生最後のまとまった感想文です。
本書にはNHK批判をだいぶ書きました。現職員にも元職員にも幹部クラスの知人がいるし、何度か出演させていただいた縁もあるのですが、CMが嫌いなためNHK(のニュース番組と天気予報)しか視ない偏屈者の感想だとご了解ください。民放も同様なのでしょうけれど、気候変動・脱炭素の話を報じるNHKの姿勢が「公平・中立」から遠いのは、まぎれもない事実だと思っています。
末筆ながら、日ごろ駄弁におつき合いいただく元三菱ガス化学の有井光三氏と豊田拓男氏、本書刊行でたいへんお世話になった丸善出版の中村俊司氏と安平進氏に深謝いたします。
SAF(サフ)事業の支援という茶番(ウソ13参照)を含む改正航空法が前日の国会で成立したと知り、為政者の愚かさに改めて愕然とした。
二〇二二年六月四日
渡辺正
『「気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)
2022年10月9日日曜日
「考える脳」と「受け入れる脳」
「考える脳」と「受け入れる脳」
先日、ある独身の女優さんにお会いしたときに、こんなアドバイスをしました。
「今のままでは、人生はひとつだけですよ。結婚したら、別の人間と暮らすわけだから、人生は2倍になりますよ」
結婚のカタチはどうでもいいのです。別の人間と暮らすということが大事なんですね。なぜなら夫婦生活では、自分の正しさと相手の正しさが、常にぶつかるのですから。
「喧嘩しなさい」と言っているわけではありません。別の「正しさ」があることを知る絶好の機会だと申し上げているのです。結婚生活は、相手の考えを自分の中に取り込むチャンスなのです。それができれば、単純計算で、あなたの人生は2倍になります。
難しいと思うかもしれませんが、脳を2つに分けるイメージをしてください。
半分の脳は、「考える脳」です。今まで通り、自分の考えを追求してください。もうひとつの脳は「受け入れる脳」です。とことん人の話を聞くのです。自分の意見と同じか違うかなんて、関係ありません。相手が何を言っているのか、そのことのみを理解しようと努めるのです。
私が「ああ、そうですか」「なるほど」と相槌を打ちながら話を聞いていると、それを見ていて驚く人がいます。
「相手が言っていることは、武田さんがいつも言っていることと違うじゃないですか!」
「違いますね 」と認めると、「なんで認めるのですか」と怪訝(けげん)な顔をします。
これは「正しい」を巡る勘違いなのです。
私は人の話を聞いているときに、「受け入れる脳」に入れているだけなのです。自分と違う意見はなおさら、じっくり拝聴します。もちろん、きちんと理解するためです。
たくさんの考え方―――「正しさ」と言い換えてもいいです が―――を受け入れるということは、それだけ自分の人生が広がるということです。結果的に、2倍にも、3倍にもなるでしょう。
「受け入れる脳」を持つことは、ヨーロッパ的な利己的な正義や、日本に蔓延する空気的正義に対しての、対抗手段にもなります。自分が「正しい」と信じ込まされてきてしまったことに対し、他人の「正しさ」を受け入れることは、盲信してきた「誤った正しさ」を正すきっかけになります。
さあ、そのままの人生と、2倍以上の人生、あなたならどちらを選びますか?
強制はしません。私は、「受け入れるほうがきっと楽しいですよ」と思うだけです。そして、この講義の最終目的も、そこにあるのです。
この本は、私が10年近く講義をしてきた大学での「工学倫理」を元に、小学館が運営しているネット放送「ガリレオ放談」で展開し、多くの方のご協力で完成にいたったものです。放送では上田千春さん、書籍では角山祥道さん、そして全体のレベルアップに小学館の和阪直之さんに格別のご支援を頂きました。ここに深く感謝します。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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2022年10月8日土曜日
GHQ焚書図書シリーズ 国難と北条時宗
GHQ焚書図書シリーズ 国難と北条時宗
国難と北条時宗単頁 PDF版
国会図書館デジタル資料室
国難と北条時宗
この鎌倉時代の「元寇」について、GHQが行ったのは焚書だけではありません。
実は、教科書でも戦前と戦後で書かれている記述が明らかに変わっているのです。
というのも、戦後の教科書には「元軍が日本を襲った元寇は、2回とも偶然の神風(台風)によって救われた」と書かれていますが、、
このように書かれるようになったのは、戦後GHQの占領下で作られた教科書『くにのあゆみ』 から。幕末から明治にかけて最も読まれた歴史書である『日本外史』には神風という言葉すら出てこず、、鎌倉武士の奮闘のみが描かれています。
実際残された史料を見ても、教科書とは食い違う事実ばかり....
●元軍は「武士に」敗北
教科書では神風に救われたと言われていますが、それ以前に元軍は武士に負けて撤退を決めています。実際「元軍は敗北した(関東評定伝)」ことや、その決定的なダメージとして鎌倉武士が「元軍の副将を射抜いた(「高麗史」金方慶伝)」など、日本と元軍側、両方の史料に記録があります。
●日本の武器の方が優れてた
武器についても、日本の武士が使用しているものの方が優れていました。切れ味のいい日本刀もそうですが、驚くべきは弓矢の飛距離。元軍が使用した弓矢の2倍ほども飛ぶため、敵の攻撃が届かないところから次々攻撃...
元軍側の記録にはむしろ日本の武士を恐れた記述が残されています。
●2度目を予見した「完璧な防御」
2度目の襲来についても、当時の北条時宗政権は用意周到でした。元軍の再来を予測して全長20kmにも及ぶ石塁を築くほか、九州の守りを固めるために兵力を集中させる指示を出しています。その結果、元軍は、1度目の約4.6倍...当時の対外戦争では最大級である14万もの兵を用意したにもかかわらず敗戦。その後には、むしろ日本からの仕返しを恐れる記述を残しています...
自分と意見が違っても、面白いものは面白い (「豚の棺桶」:ブログ作者作成タイトル)
自分と意見が違っても、面白いものは面白い (「豚の棺桶」:ブログ作者タイトル)
「正しさ」は人の数だけある。
厳密に言えば、「自分の意見とまったく同じ」人間など存在しません。原子力安全委員会の専門委員をやっていたときのことです。
私は原発の安全対策、安全研究にもっと予算を充てるべきだと思っていました。だからこんな提案をしました。
「国民の多くが原子力発電所に不安を持っています。だから、この場でも、原子力発電所は危険であるという仮定に立った議論をしませんか?」
原子力発電所に関わっている人間は「原発は安全だ」と思ってやっているわけです。しかし、国民のすべてがそうではない。だったら「危険」という前提で予算を組みませんか、と言ったわけです。委員の皆さんは、ポカンとしていましたね。「原発は危険だ!」とやると門前払いで話を聞いてくれませんから、こっちも事前に作戦を練って、「私も原発は安全だと思っています」と、「仲間」であることを強調しながら提案したのですが、「何をおかしなこと言ってるんだ?」という反応でした。
私は、「自分たちが正しいと思っていることをいったん棚上げして、自分とは違う意見の側に立って、ものを考えましょう」という提案をしたのです。
デザインの話を例に挙げましょう。
私はひょんなきっかけから、現在、多摩美術大学でデザインの講座を持っています。門外漢の私が何を教えるのか、と思われるかもしれませんが、ここでは「ものの見方」を教えているのです。
こんな課題を出したことがありました。「プタの生姜焼き定食の皿のデザインをせよ」というものです。すると学生たちは皆、ブタの生姜焼きがおいしく見える、という観点で皿をデザインしてきました。当たり前ですね。でも私は言いました。「これではダメだ」と。
私は学生たちに言いました。
「食べられるブタの身になってデザインしてください。皿は、いわばブタの棺桶なんです。どういう棺桶ならばブタは喜ぶのか。ブタの立場でものを考えてください」
例えば、街路樹でもそうなのですが、街路樹は人間にとっては、「見る」だけなんです。しかし街路樹からしてみれば、そこで生きている。街路樹にとっての快・不快があるはずなのです。私たち人間は、実は、街路樹の快・不快も、無意識下できちんと感じ取っているのではないか、と私は考えています。街路樹にとっての心地よさとデザインが一致したとき、どちらの側にとっても素晴らしいものになるのではないか、と、こう思うわけです。
ブタの生姜焼き定食の皿をどう見るか。立場によって、見え方がまったく異なる、ということです。さまざまな立場を理解することで ―――「心で動く」ということですね――― 多摩美の学生たちのデザインはハッキリと変わりました。学内からも学外からも、「デザインに深みが出た」と評価されるようになりました。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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2022年10月7日金曜日
おわりに一一人生を2倍楽しく生きる方法
おわりに一一人生を2倍楽しく生きる方法
この本を終わるに当たって2012年の総選挙について、正義との関係を示したいと思います。総選挙は「政治的、社会的出来事」ですが、同時に「正しさ」がもっとも強く要求されるものでもあります。「正しさ」から見ると、2012年の選挙はどんな選挙だったと言えるでしょうか?
第一に、2009年の総選挙のときに「増税なき財政再建と高速道路などの無料化、子ども手当、衆議院80人減員」という公約をした民主党が、2012年の総選挙で立候補するのが「正しい」のかということです。衆議院の基本的なことは日本国憲法に定められていて、議員は選挙によって国民の代表として議会を構成することになっています。したがって、議員になろうとする個人も含めて、政党は自らが実施することを選挙で訴えるのは当然です。
現実には「財政再建は増税で行ない、高速道路の無料化も子ども手当も約束どおりには実施せず、民主党だけで提案してほぼ決めることができる定員削減も実施しなかった」ということになったのです。2009年の選挙で私たちがダマされたのは、「優しく親切に聞こえ、お金がもらえるのではないか」とつまらないことを考えたからです。
いわば、2009年の選挙が「不正」に行なわれたということですから、ソクラテスの例に学べば、検察が民主党を告発して詐欺罪のようなもので有罪とし、政権時代に決定したことをすべて無効にし、2009年に民主党から立候補した議員の被選挙権を剥奪し、民主党の解散を命令する、ということがまず行なわれなければなりません。それに続いて民主党の解散と議員の辞職、立候補の断念を表明するということになるでしょう。代議員制の民主主義では「選挙が正常に誠実に行なわれる」というのが前提中の前提で、もし選挙が「不正」に行なわれたら民主主義が実施されないことになるからです。
しかし、現実の社会では「枝葉末端の犯罪は取り締まることができるが巨悪は逃げる」という一定の法則があり、選挙期間中にわずかでもお金を分配したりすると逮捕されますが、選挙のときにウソをついて当選しても罪に問われません。公約でウソをつき、政権を取ったあとにしたい放題をしても逮捕されないのは、特に奇妙でもなく、普通の社会現象とも言えます。
でも、「正しい」ということに対して社会が特別に敏感なら2012年の選挙で民主党の議員が立候補すること自体に、社会からかなりの反撃があったと思います。が、そこまではいきませんでした。
結果として、民主党は大敗しました。しかしこれも「空気」だったかもしれないのです。10年ぐらい国会を休止し、霞ヶ関の活動をやめたほうが日本は良い国になりそうですが、残念ながらそういうわけにもいきません。
政治に依存せず、ヨーロッパ流ではない「正しさ」を見つけ、守っていくしかない―――私はこのように思っています。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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2022年10月6日木曜日
「正しい」ことがわかったその後―――
「正しい」ことがわかったその後―――
仮に、何が「正しい」かがわかっても、現実に「正しい」ことを実施できなければ意味がありません。といってソクラテスのように毒杯を飲んで自殺するというのは、私たちには少し辛い感じがします。
では、「正しい」ことが何なのかわかった場合、人はどうするのでしょうか?
その後の行動には、3つのパターンが見られます。
● 言い訳のスキルを磨く
1番目は、言い訳のスキルを磨くということです。これは、多くの日本の企業が迷い込んだ道です。企業の社会的責任を守ろうとして、言い訳の技術を築いてしまったのです。つまり正しい言動をしようとするのではなく、間違ったことをしても、それを正しいと言い抜ける方法を身につけることによって、我が身を守る方法です。これは「利己的正義」をヨーロッパ流の論理によって「利他的正義」に 見せかける方法です。「CSR(企業の社会的責任)」と呼ばれる倫理の考え方がありますが、これはこの方法に分類されます。
● 人格を磨く
2番目は、教育や学問によって人格を高め、高い判断力と精神力によって「正義」を守るという方法です。いわば正攻法です。現在の日本人ではあまり見かけません。どちらかというと指導層に少なく、現場の人のほうがむしろ、このような意味での「正義感」を持っています。ただし、持続しない場合も多く見受けられ、現場の人間でも、出世したり、チャンスを得て偉くなったりすると、自分の名誉やお金に執着し始めます。特に政治家などを見ていると、当選していないときのほうが「正義感」があり、当選すると視野も広がり、判断も複雑になるせいなのか、どうしても正義から離れていきます。
● 心で動く
3番目の方法は「心で動く」ということです。
例えば、地震が起きてビルの下敷きとなり若い命を落とす人、まだ幼い子どもを残して死んでも死にきれないときにこの世を去る人――こうした人の心の苦しみを理解することです。それがわかれば、自然と心の動きで「正義」を大切にします。つまりは人間らしい心、他人の苦しみのわかる心を持つということです。かつてならそれを「良心」と言いました。正義に反することに直面すると、良心に耐えられずに、正義を守るために、自分の名誉やお金を捨てる。それらがもっとも単純に正しいことを守る方法ではないかと、私は考えています。
ヨーロッパ流の「利己的正しさ」を「理性」で「利他的正しさ」に 転換するのは論外ですし、「自分が正しいと思うことは正しいとは限らない」ということを知っておくことも重要です。またこの本で、具体例を示しながら進んできた、慣性力の正しさ、空気的事実による間違った正しさ、専門家が求められる制限された正しさ、役割による仮の正しさ、親子の正しさの違いがもたらすもの………それらを反復して頭に入れておくことは人生を送る上で大切ですし、幸せでトラブルの少ない暮らしを送ることができます。
でももっとも大切なもの、それは「他人の苦しみ」がわかる心なのでしょう。人間が頭で考えるものは何かの間違いを含んでいますが、素直な心が持つ正しさはそれを超えるものがあるからです。私たちは自然の中ではなく、自然にはない四角いビルに囲まれて毎日を送っています。その私たちが失いやすい「素直な心」が多くの争いを解決することになると思います。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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