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2022年11月18日金曜日

島国が水没?

島国が水没? 年暮れ近くのCOP(ウソ10)では、温暖化のせいで水没の危機にあると島国が訴え、大量のCO2を出す先進国に補償を要求するシーンが定番になりました。けれど潮位データを見れば、言いがかりにすぎないとわかります。名高い島国二つの現実を眺めましょう。 ●ツバル 南太平洋に浮かぶ珊瑚礁の島ツバルでは一九九三年から、首都フナフティにオーストラリア政府が設置した潮位計で、海水準を測ってきました。 測定の結果は、イギリスのNOC(前項)へ情報を提供するNPO法人のサイト★にあります(略称のPSMSLでネット検索すれば見つかる)。年ごとの上下動は激しいものの、ほぼ三〇年間の海面上昇は、年率にして(「世界」に近い)約二ミリメートルでした。つまりツバルの海面上昇は、「異状なし」というべきでしょう。

ちなみに、PSMSLのサイトを訪ねると、一九世紀の中期(日本の幕末)からほぼ直線的な(CO2の大量排出と関係ない)海面上昇を示す場所が、次々と見つかります。 ニュージーランドの研究者が、一九七一~二〇一四年の航空写真と衛星観測情報からツバル国土面積の推移を見積もって、二〇一八年の『ネイチャー』誌に発表しました。それによると国土面積は、サンゴが育つせいもあり、四四年間に三%ほど増加しています。 ●モルディブ インド洋に浮かぶ島モルディブの首長も、水没の危機を訴えてきました。PSMSLのサイトにある首都マレの海水準グラフ(一九八九年~)から、海面上昇の年率はツバルより大きく、三~四ミリメートルと読みとれます。 CO2のせい……でしょうか? 「モルディブ マレ 画像」をキーワードに、ネット検索してみてください。小さな島に高層ビルが密集した、生け花で使う剣山のような大都会が出現します。コンクリートと鉄をどんどん載せれば地盤が沈み、見かけの海水準が上がるのは当然です。そんなふうに海面上昇は、どうみてもCO2のせいではありません。 気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)

令和4年11月19日(土)14時防衛講座開催

令和4年11月19日(土)14時防衛講座開催 元陸幕長岩田清文閣下を講演者 社団法人東京郷友連盟様が、防衛講座を来る令和4年11月19日(土)14時より、グランドヒル市ヶ谷 西館三階にて、元陸幕長岩田清文閣下を講演者として、実施されます。 (一般人は資料代として2000円、学生は500円) お申し込みは、takeda7599@yahoo.co. jp まで、お願いします。

又は、下記より申込書をダウンロード印刷され、ファックスにてお願いします。



2022年11月17日木曜日

日本の海面上昇

日本の海面上昇 そばに四つもプレート(太平洋プレート、北米プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート)がある日本の場合、「雑音を除いた海面上昇」をつかむのは、容易なことではありません。気象庁が選んだ「地盤変動の影響が小さい」計測点(同庁の表現)は、一九六〇年以前は北海道・忍路、石川県・輪島、島根県・浜田、宮崎県・細島の四か所でした(どれも港。計測は一九〇六年=明治三九年にスタート)。一九〇六年以降は北海道・稚内など一二か所を加え、計一六の地点で海水準を測っています。 二〇二一年までの結果をまとめると、こう言えるそうです。 ① 計測期間の全体(一九〇六~二〇一二年)に、明確な上昇傾向はない。ただし海水準には、周期が一〇~二〇年と、五〇年以上の変動があるようだ。 ② 一九六〇年以降の海水面は、周期変動を伴いながらも、一六地点の平均で、一年間に一・二~一・七(平均一・五)ミリメートルずつ上がってきた。 二〇〇六~二一年(直近一六年間)の海面上昇は、右記より大きい二・九ミリメートル/年でした(気象庁の推算)。ただし、周期変動が今後どうなるか読めないこともあり、わずか一六年間の測定から「二・九ミリメートル/年」と断じるのは早計でしょう。 先ほどの海面上昇率(一・五ミリメートル/年)は、少し前にご紹介した世界の値に似ています。とはいえ、一九六〇年以降(CO2大量排出時代)の値だから、「地球温暖化」と関連があるかどうかは教えてくれません。 気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)

学習院大学を散策してきました

学習院大学を散策してきました 勉強会の催しで、雑司ヶ谷の鬼子母神界隈から学習院大学構内を散策してきました。 朝方は、あいにくの小雨でしたが、傘をさすほどでもなく、午後は晴れ上がって、素敵な一日となりました。 鬼子母神界隈の話は、別にするとして、今、学習院大学史料館で、ある皇族の方の資料や様々な展示品の公開をされており、この機会にお時間が許せば、一度学習院大学の構内を散策するのも一興かと思いますので、そのための情報をアップします。 学習院大学史料館 学習院大学目白キャンパスマップ PDF











三笠宮崇仁親王に関する書籍が刊行され、その序文を参考までに掲載いたします。 以下引用 刊行にあたって―――「はじめに」より(抄) 本書は、三笠宮崇仁親王殿下の御生涯を歴史学的に位置づけるために、三笠宮家の全面的なご協力のもと、民間有志者を中心にして あつまった刊行委員会によって編纂・刊行された実録である。 三笠宮の生涯は、皇族や皇室をとりまく時代や環境によって、大きく戦前期と戦後期にわかれ、一身にして二生を経るような人生をあゆまれたといってよい。すなわち、戦前期は皇族軍人として、戦後期は学者皇族として、である。 崇仁親王は、一九一五(大正四)年一二月、大正天皇と貞明皇后との第四皇子として生まれた。称号を「澄宮」と命名される。女子学習院幼稚園、さらには三人の兄宮と同じく学習院初等科・中等科に進まれる。一九二六年には大正天皇が崩御、兄宮の裕仁親王が天皇に即位する。皇族は陸海軍いずれかの軍人となることが求められるなか、崇仁親王は一九三二(昭和七)年に陸軍士官学校予科、さらに騎兵科へ進まれる。皇族軍人として、一将校として成長していく。そして、原隊(騎兵第一五聯隊)での兵教育は、崇仁親王の意識に決定的な影響を与える。一九三五年の御成年とともに三笠宮家を創立、さらに陸軍大学校時代の一九四一年に百合子妃殿下と結婚される。また、陸大時代には、戦史講義から歴史学へ明確に関心を持ち始める。陸大卒業後は、「若杉参謀」(秘匿名)として南京の支那派遣軍総司令部参謀に赴任、現地の実情に衝撃をうける。陸軍機甲本部附として敗戦をむかえたのは、満二九歳のときであった。 戦後期は、 日本国憲法が象徴天皇制を採用したこととあいまって、皇室制度そのものが激変する。三笠宮もあらたな自由な環境を楽しむとともに、皇族としてそのままとどまるのかどうか苦悩される。 結局、戦後の皇族とは何かを自問自答しつつ、一九四七年四月に東京帝国大学文学部の研究生となり、古代オリエント史を専攻、学究の道をあゆみはじめる。忙しい公務のかたわら、学者として東京女子大学をはじめとする大学で教壇に立たれた。紀元節の復活が国会で議論されると、歴史家として反対の声をあげたことでも有名である。公刊された著書や論文、翻訳書なども数多い。多くの外国を訪問、国際親善につとめられた。 本書は、①三笠宮崇仁親王のあゆみを時代ごとに追った第一~九章、②百合子妃へのオーラルヒストリー( 第一〇章)、③歌や著作の一覧といったいわばデータ集にあたる附録の三部に分けられ、史料という典拠をゆるがせにしない歴史学の原則にのっとって編纂されている。特に、今まで研究等に使用されることが一度もなかった計一六二冊にものほる膨大な史料群である「御側日誌」を、三笠宮家の全面的なご理解・ご協力のもと、利用することができた。 さらに、本書のいちばんの特長は、第一〇章「百合子妃殿下御談話」であるかもしれない。これは、全一一回にものほるインタビューの記録である。このようなオーラルヒストリーは、近年、歴史学の手法としてますます高い評価をえるようになっている。このよう皇族の、そして女性のオーラルヒストリーは、二重の意味で貴重であるといえよう。 最後に、本書の編纂は、彬子女王(刊行委員長)・伊藤真実子氏(事務局長)のお二人の強力なリーダーシップと、その背後にある熱意がなければ実現しなかったものである。本書がひとりでも多くの人びとの手にとられることをつよく期待したい。 引用終

闇鍋ジャーナル(仮) 目次 令和4年11月17日

闇鍋ジャーナル(仮) 目次 令和4年11月17日

闇鍋ジャーナル(仮)  闇鍋ジャーナル(仮)【第1回】 闇鍋ジャーナル(仮)【第2回】 闇鍋ジャーナル(仮)【第3回】 闇鍋ジャーナル(仮)第4回 闇鍋ジャーナル(仮)第5回 闇鍋ジャーナル(仮)第6回 闇鍋ジャーナル(仮)第7回 闇鍋ジャーナル(仮)第8回 闇鍋ジャーナル(仮)第9回 闇鍋ジャーナル(仮)第 10 回 闇鍋ジャーナル(仮)第 11 回

2022年11月16日水曜日

イーロン・マスクがTwitter社員解雇と究極の既得権に守られた日本のマスコミ

イーロン・マスクがTwitter社員解雇と究極の既得権に守られた日本のマスコミ 髙橋洋一チャンネル 627回

広州で大規模抗議活動、軍警察が発砲

広州で大規模抗議活動、軍警察が発砲 ニュース最前線 香港