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2026年5月20日水曜日

R8 5/20 百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第842回

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R080520(水)午前10時10分配信開始 【大谷翔平出場】【ドジャースライブ】ドジャース対パドレス 5/20 【野球ラジオ調実況】

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R080520(水)午前9時50分配信開始 【ニッポンジャーナル】江崎道朗×細川バレンタイン 最新ニュースを解説!

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◆ 日本軍の強さは、「技術力」と「人間力」にあり ◆ 『かけがえのない国 誇り高き日本文明』武田邦彦著 MdN出版(R05年)より

◆ 日本軍の強さは、「技術力」と「人間力」にあり ◆ 軍隊の在り方というものも、日本は特徴的でした。明治時代後期に「日清戦争」「日露戦争」と、大国と言われた国に連勝した要因には「技術力」とともに「人間力」がありました。 日清戦争は1894年から2年間にわたる戦争でした。 当時の清は「眠れる獅子」と言われ、大国ながらもヨーロッパ諸国による利権奪取が進み国力も落ちていました。清を宗主国としていた朝鮮は重税などを原因として民衆は疲弊し、内乱状態となり、「東学党の乱」が起こります。朝鮮は宗主国である清に鎮圧を要請しました。 日本と清との間には「天津条約」という条約が結ばれていました。天津条約には、日清両国の朝鮮に対する派兵・撤兵の条件条項があり、日本は内乱からの自国民の保護を名目に朝鮮半島に派兵します。日清両国の軍がぶつかり、戦争が開始されたのです。 朝鮮の首都ソウル付近で両国の軍隊は対峙しました。日本が攻勢に展開し、一気に清国内に転戦します。日本は黄海などの制海権も奪い、翌年3月には清の首都・北京に迫る勢いとなりました。 清との戦いは基本的に陸上戦でした。着剣命令が出て兵隊一同が鉄砲に銃剣を着剣、目前の敵軍に向けて身構え、ラッパの合図とともに敵に突撃します。当時は近接戦闘用の兵器で戦う白兵戦が主で、銃弾の雨の中、命を顧みることなく突撃していくという戦いが、陸上戦というものでした。 日本軍は、はるばる大陸に渡ってきて見知らぬ土地で清の兵隊と相まみえようという勇敢な兵の集合体でした。日本を守る、そして日本に暮らす親兄弟を守るために、勇気を奮い立たせて戦いました。 清の軍隊は日本軍とは対照的でした。清軍の兵隊はある程度のところまで攻め込まれると逃げ出していくのです。どの戦場においてもこれは変わりませんでした。 こうした清の兵隊の態度は当然と言えば当然でした。清ばかりでなく、中国大陸で勃興を繰り返してきた王朝には、愛して守るべき伝統、守るに値する深い一体感、あるいは国といったものがないからです。 中国四千年の歴史などと言われますが、それは現在の中華人民共和国の対外的なプロパガンダというもので、多く見積もってもその歴史は2000年、それも中抜け、虐殺、属国化の歴史です。 『かけがえのない国 誇り高き日本文明』武田邦彦著 MdN出版(R05年)より R080520

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第四章・覚醒の時代 連載第七十三話 紫根牡蛎湯 ― 紀伊国屋漢方堂のこと ―

第四章・覚醒の時代 連載第七十三話 紫根牡蛎湯 ― 紀伊国屋漢方堂のこと ―
第 四 章 ・ 覚 醒 の 時 代
第 七 十 三 話

紫根牡蛎湯

― 紀 伊 国 屋 漢 方 堂 の こ と ―
ある時、自分の手は、矢数道明先生のご著書『漢方処方』を、手にしていた。
書店で、偶然、目に留まったのだったか、誰かに教わったのだったか、それも、もう、はっきりとは思い出せない。書物との出会いの経緯は、半世紀近く経った今となっては、ぼんやりとした霧の向こうに、霞んでしまっている。けれども——書物は、意思があれば、見つかるものだ、と、今でも、自分は、思っている。あの時、自分の中に、妻の死地から、何としても、活路を見出したい、という、ひとつの強い意思があった。その意思が、結果として、自分の手を、その書物に、引き寄せたのだろう。
矢数道明先生は、当時、戦後の日本漢方の、中興の方であられた。
明治・大正・昭和を通じて、日本の漢方を、近代に橋渡しされた医家。書物の中のお名前は、漢方を学ぼうとする者にとって、最も信頼すべき典拠だった。書店通いの中で、いくつもの健康法や民間療法の本を手に取ってきた自分にとって、矢数先生のご著書は、それらとは、明らかに、重さが違っていた。医家としての、ご自身の臨床と、古典への深いご理解とが、ページの一行一行を、静かに支えている、そういう書物だった。
そのご著書のページの中に、紫根牡蛎湯、という処方が、目に留まった。
江戸時代から伝わる、古い処方。乳の腫物に用いられてきた、と書かれていた。それを、目に留めた瞬間、自分の手は、ノートを、開いていた。鉛筆を持って、ご著書のページから、その処方の中身を、一つずつ、書き写していった。
◇ ◇ ◇
紫 根 牡 蛎 湯
当帰 4.0g  升麻 1.6g 紫根 2.4g  芍薬 2.4g 牡蛎 3.2g  甘草 0.8g 川芎 2.4g  黄耆 1.6g 忍冬 1.2g  大黄 1.2g
十味の生薬。
それぞれに、分量が、決められていた。当帰が、最も多く、四・〇グラム。次いで、牡蛎が、三・二グラム。紫根、芍薬、川芎が、それぞれ、二・四グラム。升麻と黄耆が、一・六グラム。忍冬と大黄が、一・二グラム。そして、甘草が、最も少なく、〇・八グラム。これだけの数の生薬が、これだけの分量の比率で、組み合わされて、ひとつの処方を、なしていた。書物の中の数字が、ノートの上に、一つずつ、降りてきた。自分は、それを、書き写しながら、書物の世界と、現実の世界とを、繋ぐ橋を、自分の手で、架けていた。
書き写しが終わると、自分は、しばらく、そのノートを、見つめていた。
これを、自分の手で、調合してみよう——という思いが、自分の中に、立ち上がっていた。漢方薬局で、出来合いの紫根牡蛎湯を、求めるのではなく、生薬を、一つずつ、買い集めて、自分の手で、煎じてみたい。書物の中の知識を、自分の手の上に、降ろしてみたい。それが、その時の自分の、強い願いだった。
◇ ◇ ◇
一般の人にも、生薬を分けてくださる店を、自分は、探し始めた。
どこで、どうやって、紀伊国屋漢方堂のことを、知ったのか——それも、もう、覚えていない。書物の脚注の中だったか、雑誌の記事だったか、書店の店員の方からだったか、知人からだったか。いくつもの手がかりが、自分の中で、ひとつに繋がっていって、ある日、自分は、秋葉原に、紀伊国屋漢方堂、という、一般の人にも生薬を分けてくださる古い問屋があることを、知っていた。
会社の昼休みか、退勤後だったか、ある日、自分は、秋葉原に向かった。
本社の銀座から、それほど遠くない場所だった。電車を乗り継いで、秋葉原の駅で降りた。当時の秋葉原は、今のような賑やかな街ではなく、もう少し、地味な、薬種問屋や、電気部品の問屋が、軒を連ねる、古い問屋街の佇まいを、まだ、残していた。書物の写しを、内ポケットに入れて、その問屋街の中を、歩いた。
紀伊国屋漢方堂は、その問屋街の、一画にあった。
店の佇まいは、もう、はっきりとは、思い出せない。古い木の看板だったか、もっと新しい看板だったか。店構えの細部は、霧の向こうに、霞んでしまっている。ただ、店の中に、一歩、入った瞬間に、自分を迎えた、独特の匂いだけは、今でも、自分の中に、はっきりと、残っている。生薬の匂い——いくつもの草の根や、樹皮や、貝殻が、混じり合って、店全体に、満ちている、あの匂い。書物の中で、ずっと文字として読んできたものが、一つの匂いとして、自分の鼻に、初めて、届いた瞬間だった。
◇ ◇ ◇
店のご主人に、自分は、書物の写しを、お見せした。
「矢数先生の、紫根牡蛎湯を、お願いしたいのですが」——というような言葉を、申し上げたはずだ。ご主人が、どんなお顔をされたかも、何とおっしゃったかも、もう、覚えていない。ただ、ご主人の手は、書物の写しを一目見られると、迷いなく、店の奥の、いくつもの引き出しに向かわれた。当帰の引き出し。紫根の引き出し。牡蛎の引き出し。一つずつ、開けて、計りの上に、量を、合わせていかれた。
十味の生薬を、ご主人は、迷うことなく、量っていかれた。
計りの目盛りを、確かめながら、紙の上に、生薬を、置いていかれる。それを、白い紙で、丁寧に、包まれる。一つの生薬に、一つの紙包み。当帰の包み、升麻の包み、紫根の包み、芍薬の包み、牡蛎の包み、甘草の包み、川芎の包み、黄耆の包み、忍冬の包み、大黄の包み——十の紙包みが、店の机の上に、ひとつずつ、並んでいった。自分は、その手の動きを、ただ、息を詰めて、見ていた。書物の中の文字が、目の前の紙包みに、形を変えて、降りてきていた。
十の紙包みを、ご主人は、一つの大きな紙袋に、まとめてくださった。
代金を、お支払いした。いくらだったかは、もう、覚えていない。ご主人に、礼を述べて、店を出た。両手に、その紙袋を、抱えていた。袋の中には、十味の生薬が、それぞれの紙包みのまま、静かに、収まっていた。袋の口からは、店の中で嗅いだのと、同じ匂いが、立ち上っていた。秋葉原の街並みの中を、自分は、その袋を、宝物のように、抱えながら、駅へと、向かった。
◇ ◇ ◇
家に帰る電車の中でも、自分は、その袋を、膝の上から、降ろさなかった。
袋を抱えたまま、窓の外を、流れていく町並みを、見ていた。書物の中の知識が、紙の束となって、自分の手の中に、初めて、降りてきていた。これから、家に帰って、これを、調合し、煎じる。書物の世界が、家の台所の世界へと、もう一歩、近づこうとしていた。電車の振動の中で、袋の中の紙包みが、かすかに、互いに触れ合う音がした。その音が、自分の中で、何か、新しい一日の始まりを、告げているようだった。
家の玄関の前で、自分は、いつもの深呼吸を、ひとつした。
けれども、その深呼吸は、第七十一話の時とも、第七十二話の時とも、また、種類が違っていた。自分の手の中に、書物の中の知識が、紙の束として、降りてきている、という静かな確かさが、その深呼吸の中に、混じっていた。家の中に、健慈の笑い声が、聞こえた。自分は、その紙袋を、ふところに、しっかりと、抱えたまま、玄関の戸を、開けた。
◇ ◇ ◇
紀伊国屋漢方堂は、その後、閉店してしまわれた。
秋葉原の街並みも、今では、すっかり、様変わりしてしまった。あの古い問屋街の佇まいは、もう、どこにも、残っていない。電気街として、観光客で賑わう街並みの中に、薬種問屋の引き出しの匂いを、嗅ぎ取ることは、もう、できない。けれども——あの日の、生薬の匂いと、紙包みの重さは、自分の手の記憶として、半世紀近く経った今も、自分の中に、残っている。書物は、意思があれば、見つかるものだ。そして、書物の中で出会った処方は、意思があれば、紙の束となって、自分の手の中に、降りてくる。あの日、自分は、それを、初めて、知った。
紙袋を抱えて、家の中に入った、その夜から、自分の毎日は、もう一つの顔を、持ち始めることになる。
第七十話で、家の演技と、会社の昼休みの書店通いとを、二つの顔として書いた。第七十三話の、この夜から、自分の毎日には、三つ目の顔が、加わることになる。夜明け前の、台所の顔——それが、これから、長い日々の、自分のもう一つの仕事として、立ち上がっていく。けれども、その夜明けの台所のことは、また、別の話になる。
(つづく) R080520

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2026年5月19日火曜日

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