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2026年5月8日金曜日

第三章・世界の時代 連載 第六十一話 船積み班の女性たち

第三章・世界の時代 連載 第六十一話 船積み班の女性たち

 




第 三 章 ・ 世 界 の 時 代

 

第 六 十 一 話

 

船積み班の女性たち

 

―100万台を超える車両が、世界の港に渡っていく― ―

 

船積み班の机の周りには、独特の呼び合いの文化があった。

 

符丁、と呼ぶのが近い。本名で呼ばれることのほうが、むしろ少なかった気がする。フロアの中央付近で、誰かが誰かを呼ぶ声が立ち上がるとき、そこで使われていた名前は、たいてい本名ではなく、その人の特徴を捉えた愛称か、あるいはもう少し砕けた符丁だった。「ひょろりん」と呼ばれていた、ひょろっと背の高い女性がいた。「おっかあ」と呼ばれていた、少し年長の、貫禄のある女性がいた——そういう類の呼び方が、フロアの中で、当たり前のように交わされていた。

 

正確な呼び名は、もう自分の記憶の中では、少しぼやけている。

 

半世紀近く経って、誰がどう呼ばれていたか、その細部までは、はっきり再現できない。ただ、あの種類の呼び合いの空気だけは、今も自分の中に、確かに残っている。「ひょろりん」「おっかあ」——あれと同じ温度の呼び方が、あの船積み班の机の上を、毎日、行き交っていた。今の感覚で見れば、まず通らない呼び方かもしれない。しかし、当時の彼女たちは、その呼び方を、自然に交わし、自然に応じていた。

 

呼ばれる側も、慣れたものだった。

 

不快な顔をする女性は、自分の見た範囲では、一人もいなかった。むしろ、その符丁で呼ばれること自体が、班の中の所属の証のようなところがあった。新しく班に入ったばかりの女性は、まだ符丁を持っていない。何か月か仕事を共にして、その人の特徴がフロア全体に行き渡った頃に、自然と一つの呼び名がつく。呼び名がついた、ということは、班に受け入れられた、ということでもあった。

 

新参の中近東担当だった自分にも、最初の頃、戸惑いがあった。

 

船積み班の机に、出荷オーダーを持っていく。誰に渡せばよいか、頭の中の名簿で探す。すると、隣の女性が「ひょろりんに渡しておけば、午後には片づくよ」と、こちらに教えてくれる。その「ひょろりん」が誰のことか、最初の数日は、こちらが認識できていなかった。やがて、紙を渡される側の女性が、こちらを見て静かに頷く——あの動作の中で、ようやく、フロアの呼び名と、机の主の顔とが、結びついてくる。新参者は、その結びつきを、何週間かかけて、少しずつ覚えていった。

 

◇ ◇ ◇

 

船積み班の仕事の幅は、日に日に、自分の中で広がっていった。

 

中近東向けの注文を、自分の机の上で生産計画にまとめる。それを出荷指示の紙に書き起こして、船積み班に持っていく。そこから先が、彼女たちの机の上で展開する仕事だった。神戸港から出る船便、横浜港から出る船便、その月にどの便が中東のどの港に向かっているか——船会社の運航スケジュールを、彼女たちは頭の中に持っていた。こちらが「来月、サウジ向けに二百台」と言えば、向こうから「じゃあ神戸の月末便と、横浜の月初便で振り分けます」と即答が返ってくる。

 

用船契約の言葉も、彼女たちは机の上で操っていた。

 

船腹の確保、運賃の交渉、積載スペースの組み合わせ——海上輸送の専門用語が、彼女たちの口から、迷いなく出てくる。船会社の担当者と電話で折衝するときの声には、相手と同じ高さで仕事を進めている人の、独特の落ち着きがあった。受話器の向こうの船会社が、若い男性営業から取った粗いオーダーを、彼女たちが机の上で正しい契約の形に整えていく——そういう仕事を、彼女たちは毎日、何件も並行で動かしていた。

 

信用状のチェックも、彼女たちの机の上だった。

 

バーレーンの販売店から、湾岸の小国の銀行から、英文の信用状が届く。一通の文面は、A4で何ページにもわたる。期日の表記、金額の通貨、引受銀行の名前、必要書類のリスト——一字一句に、後の代金回収を左右する仕掛けが埋め込まれている。彼女たちは、その文面を、辞書を引きながらではなく、目で読み取って判断していた。「この一行、表現が普段と違うから、確認させて」——そう言って、彼女たちは販売店との往復を、自分から動かしていく。

 

為替予約、原産地証明、輸出許可——これらも、それぞれ別の机の上で、並行して動いていた。

 

為替の動きを、朝のうちに新聞の経済欄で確認しておくのが日課になっている女性。原産地証明書類を、商工会議所まで届けに走る若手の女性。通産省宛の輸出許可申請の書類を、定型文と非定型文の境目を見ながら整える先輩格の女性。一日のフロアの中で、これらの机が、それぞれ独立して動きながら、最後には一本の出荷の流れに収束していく——その光景を、若い自分は、何度も眺めていた。

 

◇ ◇ ◇

 

彼女たちのほとんどが、高卒だった。

 

この事実を、自分は、第五十六話に書いたとおり、後から知って驚いた一人である。学歴という社会の物差しと、現場の働きの実態とが、ここまで一致しないとは、それまでの自分は知らなかった。営業部から、あるいは大卒の女性総合職から、彼女たちの机にオーダーが流れてくる。発信側の言葉が、商務の様式から少し外れていたり、必要な要件が抜けていたりすることは、決して稀ではなかった。それを、彼女たちが受け取った瞬間に、抜けていた部分が補われ、ずれていた部分が直され、出荷の形に整えられていく。

 

こちらが「あ、抜けていたところ、ありましたか」と訊くと、彼女たちはにこりと笑って、「いえ、こちらで補っておきました」と答える。

 

補ったことを、彼女たちは、決して恩に着せなかった。あれが当たり前の仕事である、という顔つきで、紙の束を次の机に渡していった。あの態度の中に、自分は何度も、頭を下げた。「すみません、次からは、もう少し詰めて出します」——若い自分は、そう言って、自分の机に戻る。彼女たちは、そんなこちらに、また静かに笑顔を見せた。

 

あの笑顔の中には、何か、深いものが入っていた。

 

十年、二十年、机の上で仕事を積んできた人たちの、自信と、寛容と、そして仕事に対する素直な誇りとが、一つの笑顔の中に、自然に混ざっていた。声を立てて自慢することもない。学歴の差を恨むこともない。ただ、目の前の仕事を、毎日、確かに動かす——その姿勢の中から立ち上がってくる笑顔だった。あれは、教えて身につくものではない。机の上で、毎日繰り返して、染み込ませていくものである。

 

◇ ◇ ◇

 

船積み班の机の中央付近に、束ねる人の席があった。

 

小柄で、眼鏡をかけた、男性社員である。年齢は、自分よりだいぶ上。背の高さは、フロアの中でも目立って低いほうだった。声を立てて統率するタイプではなかった。前面に立って指示を飛ばすタイプでもなかった。むしろ、班の中に静かに溶け込んでいて、最初の頃の自分は、彼が船積み班のまとめ役だと、しばらく気がつかなかったくらいだった。

 

気がついたのは、よく見ているうちに、ある種類の動きが目に入るようになってからである。

 

フロアの中で、調子の悪い女性が出てくることが、時々あった。風邪気味の朝、家庭の事情で気持ちが揺れている日、業務の山が一人の机に集中してしまっている時——そういう時に、彼は、ふっと、その机の前に立っていた。声をかけるわけではない。机の上の紙の束を一枚、二枚、自然な手つきで引き取っていく。「これ、あちらに回しておこう」——軽く、それだけ言って、彼は別の机に紙を渡しに行く。引き取られた女性は、彼の背中に向かって、軽く目礼を返している。

 

あの動きが、毎日のように、フロアの中で繰り返されていた。

 

大袈裟な配慮の言葉は、彼の口からは、ほとんど出なかった。「大丈夫か」とも訊かなかった。「無理するな」とも言わなかった。ただ、紙を一枚引き取って、別の机に回す。その動作だけで、調子の悪い女性の負荷が、その日のうちに、目立たないように軽くなっていた。本人にも、たぶん、引き取られたことの全部は気づかれていなかった。気づかれずに、誰かを助ける——あれは、なかなかできることではない。

 

仕事が終わると、彼は、班の女性陣を連れて、よく飲みに出かけていた。

 

フロアの近くの、いくつかの店が、彼らの定番の場所だった。彼が音頭を取り、女性陣が連れ立って、フロアを出ていく。あの飲み会の風景を、自分は何度か、廊下で見送ったことがある。彼の表情は、フロアでの仕事中とほとんど変わらない、穏やかなものだった。班の女性陣は、彼を、上司というよりも、班の親父のような目で見ていた節がある。船積み班の机の周りには、家族の食卓に近い、ある種の温度があった。

 

◇ ◇ ◇

 

外向きの顔も、彼は持っていた。

 

船会社との折衝の最終局面で、難しい用船の組み合わせが、どうしても通らないことがあった。船腹が足りない、運賃の折り合いがつかない、積載のスケジュールが合わない——そういう時、班の女性陣の机からは、もう手の打ちようがなくなる。最後に、彼が、自分の席で受話器を取る。短い電話だった。多くの場合、五分か十分で通話は終わる。受話器を置いたあと、彼は、班の机に戻って、軽く一言、「通したよ」とだけ言う。

 

それで、難局が、いつも、すっと抜けていた。

 

船会社の側にも、彼を信頼している担当者がいたのだろう。長い年月をかけて積み上げた、人と人との信頼が、受話器の向こうとこちらとの間に、確かに通っていた。声を荒げない、無理を言わない、しかし必要なことは、きちんと頼む——あの種類の人徳が、彼の中には、当たり前のように入っていた。班の中では女性陣の親、外では船会社の信頼の核——その二つを、小柄な体の中に、彼は静かに同居させていた。

 

人事管理の鉄人、と、後年の言葉で呼んでもよかったかもしれない。

 

当時の自分は、そんな言葉は知らなかった。ただ、フロアの中で起こっている彼の動きを、若い目で見ながら、何かを学んでいた。統率するとは、声を上げることではない、ということを、自分はこの人から学んだ。数字で部下を縛ることでもない。規律で並ばせることでもない。一人ひとりの調子を見て、その日に必要な手を、目立たないように打つ——それが、本当の差配だった。

 

◇ ◇ ◇

 

第三章で出会った「できる人」たちのことを、ここで一度、思い返してみたくなる。

 

隣の島の東出さん——北米担当の重い数字を一手に動かしながら、フロアでいちばんニコニコしていた人。年度計画の修羅場で、二万のマスの中から一発でずれを当てた、生産手配班の係長——名人芸の人。そして、船積み班の中央で、調子の悪い子の机から紙を一枚引き取っていた、小柄な眼鏡の彼。

 

三人とも、声を荒げなかった。

 

三人とも、前面に立って号令をかける人ではなかった。それぞれの机の上で、それぞれのやり方で、組織を確かに回していた。決めてくれる東出さん。一発でずれを当てる係長。負荷をそっと組み替える船積み班の彼。本当の力は、声の大きさには宿らないらしい——若い自分は、そのことを、本社のフロアで、複数の生きた見本を通して、骨で覚えていった。

 

本社の二年、三年は、自分にとって、後の管理職像の原型を、いくつも与えてくれた時間だった。

 

◆ ◆ ◆

 

半世紀近く経った今、あの船積み班の符丁の世界は、もうどこにも残っていない。

 

「ひょろりん」「おっかあ」——あの呼び方が交わされていたフロアの空気は、時代と共に消えていった。今のオフィスでは、まずあり得ない呼び方である。それでも、あの呼び方を交わしながら、彼女たちが互いに助け合い、信用状を読み解き、船腹を組み合わせ、世界の港に紙の束を渡していた——あの光景の確かさだけは、自分の中で消えていない。

 

束ねていた小柄な眼鏡の彼が、調子の悪い女性の机の前に、ふっと立ち止まる。

 

机の上の紙の束を、一枚、二枚、自然な手つきで引き取って、別の机に回しに行く。その瞬間の、彼の小さな身振りが、自分の中の管理職像の、ひとつの原型になっている。何かを決めるとき、何かを差配するとき、自分は、無意識のうちに、彼の動きを思い出していた気がする。声を上げて指示するより先に、まず、机の上の紙を引き取ることはできないか——そう、自分の中で、何度も問い直した。

 

人を動かすとは、人を見ることである。

 

船積み班の机の上で、彼が毎日、繰り返し示してくれていたことの核は、たぶん、その一行に尽きる。あの当時の自分には、それを言葉にする力はなかった。ただ、フロアの空気の中で、皮膚で感じていた。今になって、この一行が、ようやく自分の中で文字になる。彼の名前を、ここに書くことはしないでおく。「船積み班を束ねていた、小柄で眼鏡をかけた人」——あの普通名詞のままで、彼の輪郭は、十分に保たれる。

 

船積み班のフロアの紙のすれる音は、世界の港に届いていた。

 

(つづく) R080507

 


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◆ 鎌倉武士団の奮戦と日本の独立を守った団結力  ◆ 『かけがえのない国 誇り高き日本文明』武田邦彦著 MdN出版(R05年)より

◆ 鎌倉武士団の奮戦と日本の独立を守った団結力  ◆ 1274年の文永の役で、モンゴル軍は通説では4万人の大軍で攻めてきたとされています。ワールシュタットの戦いに動員した人数は2万人だと言われていますから、モンゴル軍としては万全を期した、と言っていいでしょう。 しかしモンゴル軍はたった1日戦っただけで、日本の武士団の強さに嫌気がさしたのか、博多湾から撤退していきました。その撤退中に暴風雨に遭い、モンゴル軍の船は沈没しました。モンゴル軍の敗退を決定的なものにしたので、後にこの暴風雨は「神風」と呼ばれます。 l281年の弘安の役では、モンゴルは15万人を動員しました。中国大陸の南宋の侵略に成功した直後であり、旧南宋から大量に徴兵して日本に送り込んだものとされています。 モンゴルの再来襲はほぼ間違いないと踏んでいた執権の北条時宗は、モンゴル軍の上陸が見込まれる博多湾の沿岸に、20キロメートルにわたる石垣をつくらせました。「元寇防塁(ぼうるい)」と呼ばれています。 モンゴル軍は防塁を避けて博多湾の西の海岸に上陸しましたが、地形が悪く撃退されます。日本側の作戦成功というものでしょう。海上待機を余儀なくされたモンゴル軍に対して、日本の武士団は小舟を使ってモンゴル船に乗り込みゲリラ作戦を仕掛けました。 6月から3カ月間、モンゴル軍は船上での生活と武士団の攻撃に苦しみました。そして夏が終わり、台風の季節へと突入します。暴風雨で約4割の船と兵士が海の藻屑になったと推定されています。モンゴル軍の惨敗です。 執権北条時宗のリーダーシップと、九州御家人を中心とする鎌倉武士団の実力によって、集団戦も個人戦も優位に戦い、外敵を駆逐したのが元寇でした。当時の兵器の主力である弓矢、あるいは甲冑といった防御装備の質も日本側のほうが優れていたと考えられます。 そして、日本側にこそあった「団結力」というものを見逃すことはできません。 モンゴル軍はモンゴル人と朝鮮半島の高麗人、あるいは旧南宋の人々の混合部隊でした。また、「モンゴル」という国の存続、あるいは発展を考えていたわけでもありません。 モンゴルの使者の隷属命令をきっぱりと拒否した鎌倉幕府、そしてその方針に十分に応えた鎌倉武士団は、「自分の国を自分の手で守り続ける」という強い意識でまとまっていたのです。 『かけがえのない国 誇り高き日本文明』武田邦彦著 MdN出版(R05年)より R080508

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第三章・世界の時代 連載 第六十一話 船積み班の女性たち

第三章・世界の時代 連載 第六十一話 船積み班の女性たち


第 三 章 ・ 世 界 の 時 代
第 六 十 一 話

船積み班の女性たち

― 紙 の 束 が 、 世 界 の 港 に 渡 っ て い く ―

船積み班の机の周りには、独特の呼び合いの文化があった。

符丁、と呼ぶのが近い。本名で呼ばれることのほうが、むしろ少なかった気がする。フロアの中央付近で、誰かが誰かを呼ぶ声が立ち上がるとき、そこで使われていた名前は、たいてい本名ではなく、その人の特徴を捉えた愛称か、あるいはもう少し砕けた符丁だった。「ひょろりん」と呼ばれていた、ひょろっと背の高い女性がいた。「おっかあ」と呼ばれていた、少し年長の、貫禄のある女性がいた——そういう類の呼び方が、フロアの中で、当たり前のように交わされていた。

正確な呼び名は、もう自分の記憶の中では、少しぼやけている。

半世紀近く経って、誰がどう呼ばれていたか、その細部までは、はっきり再現できない。ただ、あの種類の呼び合いの空気だけは、今も自分の中に、確かに残っている。「ひょろりん」「おっかあ」——あれと同じ温度の呼び方が、あの船積み班の机の上を、毎日、行き交っていた。今の感覚で見れば、まず通らない呼び方かもしれない。しかし、当時の彼女たちは、その呼び方を、自然に交わし、自然に応じていた。

呼ばれる側も、慣れたものだった。

不快な顔をする女性は、自分の見た範囲では、一人もいなかった。むしろ、その符丁で呼ばれること自体が、班の中の所属の証のようなところがあった。新しく班に入ったばかりの女性は、まだ符丁を持っていない。何か月か仕事を共にして、その人の特徴がフロア全体に行き渡った頃に、自然と一つの呼び名がつく。呼び名がついた、ということは、班に受け入れられた、ということでもあった。

新参の中近東担当だった自分にも、最初の頃、戸惑いがあった。

船積み班の机に、出荷オーダーを持っていく。誰に渡せばよいか、頭の中の名簿で探す。すると、隣の女性が「ひょろりんに渡しておけば、午後には片づくよ」と、こちらに教えてくれる。その「ひょろりん」が誰のことか、最初の数日は、こちらが認識できていなかった。やがて、紙を渡される側の女性が、こちらを見て静かに頷く——あの動作の中で、ようやく、フロアの呼び名と、机の主の顔とが、結びついてくる。新参者は、その結びつきを、何週間かかけて、少しずつ覚えていった。

◇ ◇ ◇

船積み班の仕事の幅は、日に日に、自分の中で広がっていった。

中近東向けの注文を、自分の机の上で生産計画にまとめる。それを出荷指示の紙に書き起こして、船積み班に持っていく。そこから先が、彼女たちの机の上で展開する仕事だった。神戸港から出る船便、横浜港から出る船便、その月にどの便が中東のどの港に向かっているか——船会社の運航スケジュールを、彼女たちは頭の中に持っていた。こちらが「来月、サウジ向けに二百台」と言えば、向こうから「じゃあ神戸の月末便と、横浜の月初便で振り分けます」と即答が返ってくる。

用船契約の言葉も、彼女たちは机の上で操っていた。

船腹の確保、運賃の交渉、積載スペースの組み合わせ——海上輸送の専門用語が、彼女たちの口から、迷いなく出てくる。船会社の担当者と電話で折衝するときの声には、相手と同じ高さで仕事を進めている人の、独特の落ち着きがあった。受話器の向こうの船会社が、若い男性営業から取った粗いオーダーを、彼女たちが机の上で正しい契約の形に整えていく——そういう仕事を、彼女たちは毎日、何件も並行で動かしていた。

信用状のチェックも、彼女たちの机の上だった。

バーレーンの販売店から、湾岸の小国の銀行から、英文の信用状が届く。一通の文面は、A4で何ページにもわたる。期日の表記、金額の通貨、引受銀行の名前、必要書類のリスト——一字一句に、後の代金回収を左右する仕掛けが埋め込まれている。彼女たちは、その文面を、辞書を引きながらではなく、目で読み取って判断していた。「この一行、表現が普段と違うから、確認させて」——そう言って、彼女たちは販売店との往復を、自分から動かしていく。

為替予約、原産地証明、輸出許可——これらも、それぞれ別の机の上で、並行して動いていた。

為替の動きを、朝のうちに新聞の経済欄で確認しておくのが日課になっている女性。原産地証明書類を、商工会議所まで届けに走る若手の女性。通産省宛の輸出許可申請の書類を、定型文と非定型文の境目を見ながら整える先輩格の女性。一日のフロアの中で、これらの机が、それぞれ独立して動きながら、最後には一本の出荷の流れに収束していく——その光景を、若い自分は、何度も眺めていた。

◇ ◇ ◇

彼女たちのほとんどが、高卒だった。

この事実を、自分は、第五十六話に書いたとおり、後から知って驚いた一人である。学歴という社会の物差しと、現場の働きの実態とが、ここまで一致しないとは、それまでの自分は知らなかった。営業部から、あるいは大卒の女性総合職から、彼女たちの机にオーダーが流れてくる。発信側の言葉が、商務の様式から少し外れていたり、必要な要件が抜けていたりすることは、決して稀ではなかった。それを、彼女たちが受け取った瞬間に、抜けていた部分が補われ、ずれていた部分が直され、出荷の形に整えられていく。

こちらが「あ、抜けていたところ、ありましたか」と訊くと、彼女たちはにこりと笑って、「いえ、こちらで補っておきました」と答える。

補ったことを、彼女たちは、決して恩に着せなかった。あれが当たり前の仕事である、という顔つきで、紙の束を次の机に渡していった。あの態度の中に、自分は何度も、頭を下げた。「すみません、次からは、もう少し詰めて出します」——若い自分は、そう言って、自分の机に戻る。彼女たちは、そんなこちらに、また静かに笑顔を見せた。

あの笑顔の中には、何か、深いものが入っていた。

十年、二十年、机の上で仕事を積んできた人たちの、自信と、寛容と、そして仕事に対する素直な誇りとが、一つの笑顔の中に、自然に混ざっていた。声を立てて自慢することもない。学歴の差を恨むこともない。ただ、目の前の仕事を、毎日、確かに動かす——その姿勢の中から立ち上がってくる笑顔だった。あれは、教えて身につくものではない。机の上で、毎日繰り返して、染み込ませていくものである。

◇ ◇ ◇

船積み班の机の中央付近に、束ねる人の席があった。

小柄で、眼鏡をかけた、男性社員である。年齢は、自分よりだいぶ上。背の高さは、フロアの中でも目立って低いほうだった。声を立てて統率するタイプではなかった。前面に立って指示を飛ばすタイプでもなかった。むしろ、班の中に静かに溶け込んでいて、最初の頃の自分は、彼が船積み班のまとめ役だと、しばらく気がつかなかったくらいだった。

気がついたのは、よく見ているうちに、ある種類の動きが目に入るようになってからである。

フロアの中で、調子の悪い女性が出てくることが、時々あった。風邪気味の朝、家庭の事情で気持ちが揺れている日、業務の山が一人の机に集中してしまっている時——そういう時に、彼は、ふっと、その机の前に立っていた。声をかけるわけではない。机の上の紙の束を一枚、二枚、自然な手つきで引き取っていく。「これ、あちらに回しておこう」——軽く、それだけ言って、彼は別の机に紙を渡しに行く。引き取られた女性は、彼の背中に向かって、軽く目礼を返している。

あの動きが、毎日のように、フロアの中で繰り返されていた。

大袈裟な配慮の言葉は、彼の口からは、ほとんど出なかった。「大丈夫か」とも訊かなかった。「無理するな」とも言わなかった。ただ、紙を一枚引き取って、別の机に回す。その動作だけで、調子の悪い女性の負荷が、その日のうちに、目立たないように軽くなっていた。本人にも、たぶん、引き取られたことの全部は気づかれていなかった。気づかれずに、誰かを助ける——あれは、なかなかできることではない。

仕事が終わると、彼は、班の女性陣を連れて、よく飲みに出かけていた。

フロアの近くの、いくつかの店が、彼らの定番の場所だった。彼が音頭を取り、女性陣が連れ立って、フロアを出ていく。あの飲み会の風景を、自分は何度か、廊下で見送ったことがある。彼の表情は、フロアでの仕事中とほとんど変わらない、穏やかなものだった。班の女性陣は、彼を、上司というよりも、班の親父のような目で見ていた節がある。船積み班の机の周りには、家族の食卓に近い、ある種の温度があった。

◇ ◇ ◇

外向きの顔も、彼は持っていた。

船会社との折衝の最終局面で、難しい用船の組み合わせが、どうしても通らないことがあった。船腹が足りない、運賃の折り合いがつかない、積載のスケジュールが合わない——そういう時、班の女性陣の机からは、もう手の打ちようがなくなる。最後に、彼が、自分の席で受話器を取る。短い電話だった。多くの場合、五分か十分で通話は終わる。受話器を置いたあと、彼は、班の机に戻って、軽く一言、「通したよ」とだけ言う。

それで、難局が、いつも、すっと抜けていた。

船会社の側にも、彼を信頼している担当者がいたのだろう。長い年月をかけて積み上げた、人と人との信頼が、受話器の向こうとこちらとの間に、確かに通っていた。声を荒げない、無理を言わない、しかし必要なことは、きちんと頼む——あの種類の人徳が、彼の中には、当たり前のように入っていた。班の中では女性陣の親、外では船会社の信頼の核——その二つを、小柄な体の中に、彼は静かに同居させていた。

人事管理の鉄人、と、後年の言葉で呼んでもよかったかもしれない。

当時の自分は、そんな言葉は知らなかった。ただ、フロアの中で起こっている彼の動きを、若い目で見ながら、何かを学んでいた。統率するとは、声を上げることではない、ということを、自分はこの人から学んだ。数字で部下を縛ることでもない。規律で並ばせることでもない。一人ひとりの調子を見て、その日に必要な手を、目立たないように打つ——それが、本当の差配だった。

◇ ◇ ◇

第三章で出会った「できる人」たちのことを、ここで一度、思い返してみたくなる。

隣の島の東出さん——北米担当の重い数字を一手に動かしながら、フロアでいちばんニコニコしていた人。年度計画の修羅場で、二万のマスの中から一発でずれを当てた、生産手配班の係長——名人芸の人。そして、船積み班の中央で、調子の悪い子の机から紙を一枚引き取っていた、小柄な眼鏡の彼。

三人とも、声を荒げなかった。

三人とも、前面に立って号令をかける人ではなかった。それぞれの机の上で、それぞれのやり方で、組織を確かに回していた。決めてくれる東出さん。一発でずれを当てる係長。負荷をそっと組み替える船積み班の彼。本当の力は、声の大きさには宿らないらしい——若い自分は、そのことを、本社のフロアで、複数の生きた見本を通して、骨で覚えていった。

本社の二年、三年は、自分にとって、後の管理職像の原型を、いくつも与えてくれた時間だった。

◆ ◆ ◆

半世紀近く経った今、あの船積み班の符丁の世界は、もうどこにも残っていない。

「ひょろりん」「おっかあ」——あの呼び方が交わされていたフロアの空気は、時代と共に消えていった。今のオフィスでは、まずあり得ない呼び方である。それでも、あの呼び方を交わしながら、彼女たちが互いに助け合い、信用状を読み解き、船腹を組み合わせ、世界の港に紙の束を渡していた——あの光景の確かさだけは、自分の中で消えていない。

束ねていた小柄な眼鏡の彼が、調子の悪い女性の机の前に、ふっと立ち止まる。

机の上の紙の束を、一枚、二枚、自然な手つきで引き取って、別の机に回しに行く。その瞬間の、彼の小さな身振りが、自分の中の管理職像の、ひとつの原型になっている。何かを決めるとき、何かを差配するとき、自分は、無意識のうちに、彼の動きを思い出していた気がする。声を上げて指示するより先に、まず、机の上の紙を引き取ることはできないか——そう、自分の中で、何度も問い直した。

人を動かすとは、人を見ることである。

船積み班の机の上で、彼が毎日、繰り返し示してくれていたことの核は、たぶん、その一行に尽きる。あの当時の自分には、それを言葉にする力はなかった。ただ、フロアの空気の中で、皮膚で感じていた。今になって、この一行が、ようやく自分の中で文字になる。彼の名前を、ここに書くことはしないでおく。「船積み班を束ねていた、小柄で眼鏡をかけた人」——あの普通名詞のままで、彼の輪郭は、十分に保たれる。

船積み班のフロアの紙のすれる音は、世界の港に届いていた。

(つづく) R080507

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2026年5月7日木曜日

5/7 竹田恒泰ch第682回&【5月特番】決定版!皇位継承問題~真の安定的皇位継承の為に必要なこと

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R080507(木)午前9時50分配信開始 【ニッポンジャーナル】伊藤俊幸×中川コージ 最新ニュースを解説!

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R8 5/7 百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第834回

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【パヘスが3HR6打点&大谷は2安打1打点1盗塁|試合ハイライト】ドジャースvsアストロズ MLB2026シーズン 5.7

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