
何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
このブログを検索
2025年8月2日土曜日
【北村晴男】朝日新聞のとんでもない記事が見つかりました…命がけで暴露するので覚悟して聞いてください…【朝日新聞/スパイ防止法】
【北村晴男】朝日新聞のとんでもない記事が見つかりました…命がけで暴露するので覚悟して聞いてください…【朝日新聞/スパイ防止法】


ナポレオンと東条英機の遺言 『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より
〈ナポレオンの遺言〉
我はローマ教会の信徒として死す。50余年前、その胸に抱かれて生まれたからである。私の遺体はセーヌ河畔に葬ってほしい。私が深く愛するフランス国民の中にありたいからである。
我が最愛の妻マリア・ルイーズは、常に私に満足を与えて来た。そこで世を去るにあたって心からの愛情を捧げた。我が息子は未だ幼少のため、願わくは世のさまざまの誘惑に陥らないよう守りたまえ。
〈東條英機の遺言〉
処刑は個人的には慰められるところがあるが、国内的の自分の責任は、死を持って償えるものではない。
しかし、国際的な犯罪としてはどこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。
ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。天皇陛下および国民に対して深くお詫びする。
ナポレオンの遺書には私的なことしか書かれていませんが、東條英機の遺言には自分の身を守ろうとする気持ちがまったくありません。そして、日本は正しかったが連合国の武力に屈したことを悔み、同僚や天皇陛下や国民に迷惑をかけたことを気にしています。
しかし歴史上の功績という点では、東條は卑下する必要も、開戦の責任を気にする必要もないと思います。天皇陛下、政府、軍部がともに御前会議で賛成して開始した戦争を、東條は負け戦(いくさ)になるかも知れないと知りながら、日本の勝利のために努力し、力尽きたというだけのことです。
そして、日本が行った戦争こそが、アジア、アフリカの人たち全体の願いであり、結果として、その願いを叶えたのですから、むしろ「輝かしい業績」と言えるでしょう。

『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016) 『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R072025080

『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016) 『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R072025080
2025年8月1日金曜日
ナポレオンと東條英機の遺言 『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より
ナポレオンと東條英機の遺言
日露戦争で白人に勝った後、日本がそれまでの白人がやったように「占領地を植民地として支配しよう」としていたら、むしろ白人は日本を支持した可能性が高く、その後の歴史は変わっていたかも知れません。
しかし本著で詳述するように、日本は大戦中の「大東亜会議」に見られるように、「人種差別撤廃」こそが第二次世界大戦後の世界のあり方であるとしていたのです。日本は、実に立派な国だったのです。
その中で、日露戦争の英雄である日本海海戦の東郷平八郎元帥(げんすい)、二〇三高地の激戦を制した乃木希典元帥、大東亜戦争のマレー作戦の山下奉文司令官や山本五十六(やまもといそろく)連合艦隊司令長官などに比べると、日本が最終的に戦いに敗れたので、敗戦の責任をとる立場になった東條英機首相は、日本人の中でも評価が低いと感じられます。
さらに敗戦後、アメリカが主体となって行われた「東京裁判」と呼称される「東京リンチ」で、東條英機がクA級戦犯クとして処刑されたことが、東條の低い評価を決定的にしました。こう考えると、フランス革命の後、ワーテルローの戦いで敗れてセントへレナ島に流されたナポレオンと、同じく戦いに敗れた東條の最期はかなり類似点が多いのに、両者の評価がまったく違うのはなぜでしょうか。
ここで、ナポレオンと東條英機の遺言を示したいと思います。

『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016) 『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250801

『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016) 『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720250801
登録:
投稿 (Atom)

