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2025年1月4日土曜日

◎人の心の予測は一番むすかしい

◎人の心の予測は一番むすかしい 日下: 以前、「未来研究」という雑誌を出そうという話が来て、このときも私は巻頭言を一年間書いたことがある。そのとき書きながら心の中でブツブツ思ったことは「未来は結局、わからない。予測ははずれるよ」ということ。 社会の未来予測で一番確かなことは将来人口の年齢別構成。今年、生まれた赤ん坊が二十年後に二十歳になるのであって、二十歳の人が突然現れることはない。これが一番確かな予測で、アメリカでも未来予想はそこからはじめる。 武田: 何年後には、「人口がこうなって、人口分布がこうなる。購買はこうなる」というわけですね。 日下: はい。アメリカの場合は、あとは移民の分をちょっと足す。日本は移民の出入りがないのだから、こんな楽なことはない。 が、それでもあやしくなってしまう。戦争や流行病はないと仮定しても技術や都市の規模が変わる。それから、一人当たり生産性とか一人当たり教育率とか一人当たり医療費などと、いろんな加工をやっていくと、だんだん不確かになってくる。また、浪費しないで資本の蓄積をするかどうかは国民の気持ち次第です。また技術進歩の方向が分らない。 一番の問題は、「将来の人が何を求めるか」ということ。今の私たちの欲求は分っているが、子供たちの欲求や選択は分らない。たとえば、「自動車でぶっ飛ばすなんてことはもう流行らないのではないか」と私が言うと、昔は「そんなことはない」と言う。 私は免許を取れる年齢になったときすぐに免許をとって、バイク、自動車と運転してきたから、ドライブの楽しみはよく知っている。あのころは本当にうれしかった。しかし、だんだんつまらなくなってきた。それは警察の取り締まりがどんどん厳しくなってきたからで、これからはますますうるさくなるのだから、ドライブの楽しみはますますなくなるだろう。 そうなれば若者は自動車免許をとらなくなる。そのとき、たとえば北海道は道州制による自治権を使って交通取り締まりは廃止ということにしたら、ドライブ好きは北海道へ行って自動車に乗る。トヨタ自動車はトヨタ北海道という自動車会社になる。 つまり、ドライブはスキーのようなレジャーになって日常の移動は新幹線と市電や小型の電気自動車になる……。こういうのは、それほど飛躍していない機械的な予測ですが、人々の実感がついてこないから、あまり相手にされない。でも、ひそかに「三十年もたてば当たるぞ」と思っていた。自動車はいつか飽和するんだから、これは簡単な予測(笑)だ。 そうは言っても、計算はしたんですよ。このままいくと、一家でクルマを二台持つようになる。駐車場面積をかけると東京都内では持てない。駐車場がない。それから、日曜日に一斉にドライブに行くと道路がいっぱいになってしまう。 となると、ドライブにも行けない自動車をなぜ人が買うのかとなる。しかし、みんなが求めているならそのための道路をつくるだろう。日曜ドライブしか使い道のない道路を何兆円もかけてつくることになる。 すると、東京でも一家に一台の駐車場になる。浅草あたりの商店街では、夜になると、みんな一階に自動車が突っ込んである。人は二階に住む。当時、そろそろそうなりかけていた。 いま、日本ではもう自動車は飽和状態になってきている。だから、自動車会社は、国内需要よりも、輸出に頼るしかない。その輸出がサブプライムローン問題以後はガクンと落ちたのだから、自動車会社の売上が落ちるのは当然で、いまだに毎年売上を上げていこうという計画を立てること自体が無茶ということになる。 そういうふうにある程度予測できることもあるが、そんなことをしていても、結局、未来はどうせわからない。その日暮らしという人生観が強くなれば、職業観、進歩観、技術観が変わるが、もともと世界中は九九%がその日暮らし。それも一万年も前からそうだと思うと、人々が予測を求めるようになるのは先進国の特徴で、それは社会全体に貯蓄が過 剰になって、金利がほとんどゼロになるからではないか。カネの使い道探しが個人でも政府でも盛んになって、それが長期計画の時代になる。 使い道は個人であれば子供の教育費、政府であれば長大橋の建設とか月までエスカレーターをつけるとかだが、こんな金あまりがなくなれば、人々の気持ちはその日暮らしに戻って、そのときは環境汚染問題も変わるでしょう。 たとえば、田舎に住もうとか、自動車には乗らなければよいとか、冷凍食品はやめようとか、病院行きは七十五歳までにしようとか、別の解決を考えるようになる。自然保護も身の回りの小自然保護に気持ちが移る。小鳥、小虫、小枝が可愛くなる。 人の心の予測は一番むずかしいですね。 『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より R070104 P151

2025年1月3日金曜日

新年なのに🇺🇸はヤバいことだらけ!テロ、爆弾、カオスも🇯🇵でも起こる可能性大‼️ New Year is Off to a Rough Start WTF is Going On

新年なのに🇺🇸はヤバいことだらけ!テロ、爆弾、カオスも🇯🇵でも起こる可能性大‼️ New Year is Off to a Rough Start WTF is Going On

暗黒迷画座正月特番・油井昌由樹インタビュー前編/黒澤明監督スペシャル

暗黒迷画座正月特番・油井昌由樹インタビュー前編/黒澤明監督スペシャル

◎イノベーションは大昔から同じようにあった

◎イノベーションは大昔から同じようにあった 日下: 「どう思う?」とのご質問ですが、まじめな答えの前に思い出したことを言います。 イノベーションは大昔から同じようにあったはずなんです。 一番大きなイノベーションでいままで残っているものは何なんだろうか?たとえばネアンデルタール人あたりのころの発明品と考えてみると、たとえば「紐(ひも)を結ぶ」というのがそうかもしれないと思った。蔦を結んだら紐になって、力を合わせて引っ張ったり何かに引っ掛けたりするのに使えるようになる。 牧畜民族にとって、ロープは命ですよね。ロープで馬や羊を捕まえたりつないだりする。それだけ手が延びることになる。紐を結んで長くするというのは、画期的なことで、イノベーションとして一番古いもののひとつでしょう。 そのあとになると、馬に鐙(あぶみ)をつけるというのがある。十字軍がアラブに惨敗したのは、十字軍は鐙を知らないので、ただ座っているだけだったから押されて、馬から転げ落ちたからという(笑)。これも簡単なことですが、大発明。当時としては、戦争に勝つための原子爆弾的大発明。 近ごろの発明だけが大きく見えて、昔の発明はいまでは当然で常識だと思っている。最近の発明だって、将来は、当たり前のものになっていたり、そんなものは「要らない」と、なくて済むようなものになったりしている。イノベーションというと、私は、そういうことを思い出します。 武田: 私の思い出したことは、たとえば自動車は四輪で、もちろんバイクなど二輪車もありますが、四つの車輪で走るのが昔からずっといまでも続いているといったことです。 そこでクルマ以外のものができないのかと。 クルマの一番最初は、よくわかりませんが、紀元前くらいに発明されて、楢(そり)みたいものだったのでしょう。はじめは人間が引っ張っていて、それを馬など家畜が引っばるようになった。そしてそれがいまはエンジンが引っ張るようになってきている。ただし、ずっと同じ形のクルマを引っぱっているわけですね。少しずつ回転の摩擦が小さいほうがいいと応用されてきたのですが、それはなかなか崩れないで来ている。 それではクルマを使わない方法はないのか。たとえば道路を全部水銀にしてしまえば少し浮く。あるいは、地面にエアをふきながら走るという方法もある。それがいまのリニアモーターカーにつながっています。 それによって、環境に与える影響とか人間の生活に与える影響は変わるけれども、それは日下さんの言われたとおりロープもそうですが、いろんなものは少しずつ新しいものができてくるという過程を歩んでいる。これからどうなるのか、よくわからないですけどね。 『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より R070103 P147

昨日、羽田空港に行ってきました

昨日、羽田空港に行ってきました。昨年大きな事故があって、一般機の乗客は全員無事でしたが、能登地震の救助に向かっていた海上保安庁の搭乗者は、一命をのぞいて、殉職されたあのまさに、一年後です。今年は、温かい、良い新年の幕開けでした。この状態が、一年を通じて、ずっと続きますように、、、









2025年1月2日木曜日

◎「持続性」は「節約」などではなく、イノベーションがもたらす

◎「持続性」は「節約」などではなく、イノベーションがもたらす 武田: 私は新しいいろんなイノベーションが社会を発展させてきたと考えています。たとえば、環境問題も一九七0年から見たら圧倒的によくなっているし、悲観的なこと、まずいところも一~ニ割はあるでしょうが、全体としては発展している。たとえば心配されている少子高齢化も、精神面は別にして、労働量などでは、情報革命であっさりと解決さ れるでしょう。 人間社会の歴史を見ても、同じ時代がずっと続いて、そのまま行くなんてことはない。「持続性」はイノベーションによってもたらされるのであって、「節約」などによってもたらされるようなものではないと思います。つまり、「持続性」という概念が新しいもののように言われていますが、これまでも人類はずっと「持続性」でした。もし「持続性」が「現状維持」を言っているなら中世がありますから。でも「持続的発展」というと、これは「今までと同じ」ということになりますね。 「イノベーション」にはある特徴があります。それは、今の私たちの頭にはないものです。 だから、ないものをつくり出せといっても仕方がない。私たちは、イノベーションができるような風土をつくるということしかできない。だから、学生たちにいま言ったようなことを言うのです。 日下: なるほど。そうやってイノベーションの土壌をつくると。 武田: 講演会などでは、「それでは、先生は、次にどういう社会が来ると思いますか」と聞かれたりします。 「二歳のときに、脳の延髄のうしろに、電極をつけて、高圧をかけると、その人は生涯、暑さ、寒さがわからないで生活できるようになる。だから、これからは冷暖房はいらなくなる」などと言います。 そうすると、「それは本当ですか」と言うから、「いや、嘘に決まっている。イノベーションというのは、今、こういうものができると予想できるものじゃない」と言うのです。失礼な話ですが、このぐらいの瞥えをとらないと、イノベーションというのが分らない。なにしろ、今現在、自分の頭に入っているもので判断しようとしますから。 実際、二十世紀だけを見ても、それ以前の十九世紀の知恵というのは、いま、われわれの生活の中にほとんど残っていないくらいです。たとえば、蒸気機関は、いまはもうほとんど残っていない。われわれは電車で移動し、飛行機に乗り、冷房をつくり、テレビを見て、電話を使い、いまは携帯電話を使っている。それは全部、十九批紀にないもの。そして、ほとんどのことは十九世紀には想像すらできなかったことです。われわれの現在の生活を実際上、支配しているのは二十世紀の技術です。 こういう話があります。 百年前にアメリカ大統領が特許庁長官を呼んで、「二十泄紀はどうなるんだ?」と聞いた。 それで特許庁長官が、「あらゆる発明発見は十九世紀に完成した。二十世紀はそのアプリケーションの世紀になる」と言った。 人間の認識は、今日までの知識しかないから、次に何が起こるかがわからない。だから現状の延長線上でしか考えられないんです。 ところが、二十世紀になって、ライト兄弟によって飛行機、アインシュタインの相対性理論、レーザー光線から原子力など全部出てきた。 すると、今度は「二十一世紀はもう新しいものは出ない」となる。このように、つねに「もう出ない」と言う。歴史的にはそれを繰り返してきていて、いつも「終末論」なのです。 先日、ある大学で講演して、「いつの時代も、それまで想像もできなかったようなものが生み出されてきた。それがイノベーションの歴史だ」といったことを話したら、学生の一人から、「『いままではそうだったが、これからは違う』と識者が言っていたが、どうでしょうか」という質問が出ました。 日下: そんなことは大嘘のコンコンチキ(笑)。 武田: だから、私はこう答えました。 「いままで人類は何万年も過ごしてきて、ずっとイノベーションを繰り返してきた。いま、これでイノベーションがすべて終わるなら、そういう歴史的瞬間に私が生きたということは大変に名誉なことだ」と答えた(笑)。 私の流儀は、「牛肉を食べて、はじめて狂牛病になったんだったら嬉しい」というものです。そういう歴史的場面に立つことができたら光栄です。 そういう点で言えば、もし、私がはじめて人類が進歩しない時代に生きているのだとしたら、それはそれでこんな貴重な機会はない。「もう死んでもいい」と思うくらいです。 しかし、そんな時代は絶対に来ないと思っています。そのへんのところは日下さんはどう思われますか。 『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より R070102 P144

【ライブ】低緯度オーロラが北海道で出現/銀河の森天文台より 2025年1月1日(水)→2日(木)

【ライブ】低緯度オーロラが北海道で出現/銀河の森天文台より 2025年1月1日(水)→2日(木)