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2025年1月3日金曜日

暗黒迷画座正月特番・油井昌由樹インタビュー前編/黒澤明監督スペシャル

暗黒迷画座正月特番・油井昌由樹インタビュー前編/黒澤明監督スペシャル

◎イノベーションは大昔から同じようにあった

◎イノベーションは大昔から同じようにあった 日下: 「どう思う?」とのご質問ですが、まじめな答えの前に思い出したことを言います。 イノベーションは大昔から同じようにあったはずなんです。 一番大きなイノベーションでいままで残っているものは何なんだろうか?たとえばネアンデルタール人あたりのころの発明品と考えてみると、たとえば「紐(ひも)を結ぶ」というのがそうかもしれないと思った。蔦を結んだら紐になって、力を合わせて引っ張ったり何かに引っ掛けたりするのに使えるようになる。 牧畜民族にとって、ロープは命ですよね。ロープで馬や羊を捕まえたりつないだりする。それだけ手が延びることになる。紐を結んで長くするというのは、画期的なことで、イノベーションとして一番古いもののひとつでしょう。 そのあとになると、馬に鐙(あぶみ)をつけるというのがある。十字軍がアラブに惨敗したのは、十字軍は鐙を知らないので、ただ座っているだけだったから押されて、馬から転げ落ちたからという(笑)。これも簡単なことですが、大発明。当時としては、戦争に勝つための原子爆弾的大発明。 近ごろの発明だけが大きく見えて、昔の発明はいまでは当然で常識だと思っている。最近の発明だって、将来は、当たり前のものになっていたり、そんなものは「要らない」と、なくて済むようなものになったりしている。イノベーションというと、私は、そういうことを思い出します。 武田: 私の思い出したことは、たとえば自動車は四輪で、もちろんバイクなど二輪車もありますが、四つの車輪で走るのが昔からずっといまでも続いているといったことです。 そこでクルマ以外のものができないのかと。 クルマの一番最初は、よくわかりませんが、紀元前くらいに発明されて、楢(そり)みたいものだったのでしょう。はじめは人間が引っ張っていて、それを馬など家畜が引っばるようになった。そしてそれがいまはエンジンが引っ張るようになってきている。ただし、ずっと同じ形のクルマを引っぱっているわけですね。少しずつ回転の摩擦が小さいほうがいいと応用されてきたのですが、それはなかなか崩れないで来ている。 それではクルマを使わない方法はないのか。たとえば道路を全部水銀にしてしまえば少し浮く。あるいは、地面にエアをふきながら走るという方法もある。それがいまのリニアモーターカーにつながっています。 それによって、環境に与える影響とか人間の生活に与える影響は変わるけれども、それは日下さんの言われたとおりロープもそうですが、いろんなものは少しずつ新しいものができてくるという過程を歩んでいる。これからどうなるのか、よくわからないですけどね。 『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より R070103 P147

昨日、羽田空港に行ってきました

昨日、羽田空港に行ってきました。昨年大きな事故があって、一般機の乗客は全員無事でしたが、能登地震の救助に向かっていた海上保安庁の搭乗者は、一命をのぞいて、殉職されたあのまさに、一年後です。今年は、温かい、良い新年の幕開けでした。この状態が、一年を通じて、ずっと続きますように、、、









2025年1月2日木曜日

◎「持続性」は「節約」などではなく、イノベーションがもたらす

◎「持続性」は「節約」などではなく、イノベーションがもたらす 武田: 私は新しいいろんなイノベーションが社会を発展させてきたと考えています。たとえば、環境問題も一九七0年から見たら圧倒的によくなっているし、悲観的なこと、まずいところも一~ニ割はあるでしょうが、全体としては発展している。たとえば心配されている少子高齢化も、精神面は別にして、労働量などでは、情報革命であっさりと解決さ れるでしょう。 人間社会の歴史を見ても、同じ時代がずっと続いて、そのまま行くなんてことはない。「持続性」はイノベーションによってもたらされるのであって、「節約」などによってもたらされるようなものではないと思います。つまり、「持続性」という概念が新しいもののように言われていますが、これまでも人類はずっと「持続性」でした。もし「持続性」が「現状維持」を言っているなら中世がありますから。でも「持続的発展」というと、これは「今までと同じ」ということになりますね。 「イノベーション」にはある特徴があります。それは、今の私たちの頭にはないものです。 だから、ないものをつくり出せといっても仕方がない。私たちは、イノベーションができるような風土をつくるということしかできない。だから、学生たちにいま言ったようなことを言うのです。 日下: なるほど。そうやってイノベーションの土壌をつくると。 武田: 講演会などでは、「それでは、先生は、次にどういう社会が来ると思いますか」と聞かれたりします。 「二歳のときに、脳の延髄のうしろに、電極をつけて、高圧をかけると、その人は生涯、暑さ、寒さがわからないで生活できるようになる。だから、これからは冷暖房はいらなくなる」などと言います。 そうすると、「それは本当ですか」と言うから、「いや、嘘に決まっている。イノベーションというのは、今、こういうものができると予想できるものじゃない」と言うのです。失礼な話ですが、このぐらいの瞥えをとらないと、イノベーションというのが分らない。なにしろ、今現在、自分の頭に入っているもので判断しようとしますから。 実際、二十世紀だけを見ても、それ以前の十九世紀の知恵というのは、いま、われわれの生活の中にほとんど残っていないくらいです。たとえば、蒸気機関は、いまはもうほとんど残っていない。われわれは電車で移動し、飛行機に乗り、冷房をつくり、テレビを見て、電話を使い、いまは携帯電話を使っている。それは全部、十九批紀にないもの。そして、ほとんどのことは十九世紀には想像すらできなかったことです。われわれの現在の生活を実際上、支配しているのは二十世紀の技術です。 こういう話があります。 百年前にアメリカ大統領が特許庁長官を呼んで、「二十泄紀はどうなるんだ?」と聞いた。 それで特許庁長官が、「あらゆる発明発見は十九世紀に完成した。二十世紀はそのアプリケーションの世紀になる」と言った。 人間の認識は、今日までの知識しかないから、次に何が起こるかがわからない。だから現状の延長線上でしか考えられないんです。 ところが、二十世紀になって、ライト兄弟によって飛行機、アインシュタインの相対性理論、レーザー光線から原子力など全部出てきた。 すると、今度は「二十一世紀はもう新しいものは出ない」となる。このように、つねに「もう出ない」と言う。歴史的にはそれを繰り返してきていて、いつも「終末論」なのです。 先日、ある大学で講演して、「いつの時代も、それまで想像もできなかったようなものが生み出されてきた。それがイノベーションの歴史だ」といったことを話したら、学生の一人から、「『いままではそうだったが、これからは違う』と識者が言っていたが、どうでしょうか」という質問が出ました。 日下: そんなことは大嘘のコンコンチキ(笑)。 武田: だから、私はこう答えました。 「いままで人類は何万年も過ごしてきて、ずっとイノベーションを繰り返してきた。いま、これでイノベーションがすべて終わるなら、そういう歴史的瞬間に私が生きたということは大変に名誉なことだ」と答えた(笑)。 私の流儀は、「牛肉を食べて、はじめて狂牛病になったんだったら嬉しい」というものです。そういう歴史的場面に立つことができたら光栄です。 そういう点で言えば、もし、私がはじめて人類が進歩しない時代に生きているのだとしたら、それはそれでこんな貴重な機会はない。「もう死んでもいい」と思うくらいです。 しかし、そんな時代は絶対に来ないと思っています。そのへんのところは日下さんはどう思われますか。 『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より R070102 P144

【ライブ】低緯度オーロラが北海道で出現/銀河の森天文台より 2025年1月1日(水)→2日(木)

【ライブ】低緯度オーロラが北海道で出現/銀河の森天文台より 2025年1月1日(水)→2日(木)

2025年1月1日水曜日

第5章「節約」などで社会は発展しない ◎「いま考えていることは、ほとんどが間違っている」

第5章「節約」などで社会は発展しない ◎「いま考えていることは、ほとんどが間違っている」 武田: 私はずっと技術者として長年研究をやってきて、何がわかったかと言えば、「自分がいま考えていることは、ほとんどが間違っている」ということです。それは何回も自分が考えていることに裏切られてきたからわかってきた。 どんなふうに考えても、こっちからやって、あっちから考えて、「こうだ」と思う。しかし、研究の場合、間違いがわかるのは非常に簡単で、いくら自分が論理的に組み立てても、事実でもってあっさりと覆(くつがえ)されてしまう。 新しい発見があると、その前に組み立てるときの論理には、当然のことですが、その発見の事実が入っていない。そこで、それまでに論理的に組み上げたものは全部崩れてしまう。 「今度は絶対間違いない」と思っても、また覆される。それをくり返し経験すると、論理を組み立てて、それで進めていっても、組み立てたその結果は間違っているに決まっていると思うようになります。 日下: つまり、正しいことはつねに変わるということ? 武田: そうですね。いまは常識で正しいと思い込んでいても、明日にはそれが間違っているとわかる。私はそれをニュートンの万有引力を例にして、学生たちに話します。 名古屋大学で物理学を教えていて、十四回講義して十五回目の最後の講義のときに、私は学生にこう教えていました。ものを上から落として、「落ちるでしょ」と。 「これをニュートンが誕生するまでは物理の先生はどう教えていたか」と聞く。普通この説明は、物理学者でも難しい。というのは、ニュートンまでは、「万有引力」という言葉はない。 「いまきみたちに『これは万有引力だ』と教えているが、五百年前には、『地下の悪魔が引っ張った』と教えていた」と説明する。そしてさらに、「万有引力で落ちる」と言っても説明したことにはならない。なぜ下に落ちるのかを具体的に説明できなければならない。つまり、現在でもなぜ、物が落下するのか説明できる人は少ない。 日下: なるほど(笑)。 武田: そしてこう言ってまとめます。 「いまから千年後は、万有引力ですら必ず別の理屈で教えるに決まっている。平安時代に教えたのといまから千年後とではまるで教え方が違う。ということは、私がいままで十四回講義した物理の原則は、将来は全部間違いになるということです。きみたちがやるべきことは、私が十四回教えたことを否定するために研究することです。 でも、現在の知識の上に立たないと遠くを見られないから。私は一応、みなさんをニュートンの肩の上(既存の学問体系)に乗せて、遠くが見えるようにした。しかし、みなさんが見る遠くの景色のほとんどは全部間違っている。そういうことを理解しておくことが大切なんだ。僕は歳をとってここまでしかできないから、みなさんは僕が間違っていることを崩していくことで、次の新しい時代がくる」 私はいつもそういう意識があるんです。もちろん、もともと正しいこともあるのですが、すごく少ない。私の感じだと、いま、十使っているとすると、二くらいで、あとの八くらいは正しくはない。しかし、嘘も方便で、とりあえず、いまこれが正しいとしてやっていけるのだから、やっているだけのことです。 日下: なるほど感心いたします。 『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より R070101 P140

大祓詞 平和で普通の一年を祈念するのに相応しい、大祓詞で新年を祝います。あけましておめでとうございます。本年も、拙いブログにお付き合いください。

大祓詞 平和で普通の一年を祈念するのに相応しい、大祓詞で新年を祝います。あけましておめでとうございます。本年も、拙いブログにお付き合いください。 大祓詞 朗読は、湯島天満宮権禰宜 小野善一郎氏(國學院大学神道学博士)大祓詞(おほはらへのことば)  神拝詞(神社本庁蔵版より)音声は、DHCテレビ、馬渕睦夫先生の『和の国の明日を造る』 #45 ゲスト:小野善一郎氏より作成しました。 • 動画 字幕をクリックすれば、字幕が出てきます。 大祓詞おほはらへのことば 高天原たかまのはらに神留かむづまり坐ます 皇すめらが親むつ神かむ漏ろ岐ぎ 神かむ漏ろ美みの命みこと以もちて 八や百ほ萬󠄄神よろづのかみ等たちを神かむ集つどへに集つどへ賜たまひ 神かむ議はかりに議はかり賜たまひて 我あが皇すめ御み孫まの命みことは 豐葦󠄂とよあし原はらの水穗國みづほのくにを 安國やすくにと平󠄁たひらけく知しろし食󠄁めせと 事こと依よさし奉まつりき 此かく依よさし奉まつりし國中くぬちに 荒󠄄あら振ぶる神等かみたちをば 神かむ問とはしに問とはし賜たまひ 神掃かむはらひに掃はらひ賜たまひて 語こと問とひし磐根いはね 樹根きね立たち 草󠄂くさの片かき葉󠄂はをも語こと止やめて 天あめの磐座放いはくらはなち 天あめの八重やへ雲ぐもを 伊頭いつの千別ちわきに千別ちわきて 天降あまくだし依よさし奉まつりき 此かく依よさし奉まつりし四方よもの國中くになかと 大おほ倭やまと日ひ高見國だかみのくにを安國やすくにと定さだめ奉まつりて 下したつ磐根いはねに宮みや柱ばしら太ふと敷しき立たて 高天原たかまのはらに千木ちぎ高たか知しりて 皇すめ御み孫まの命みことの瑞みづの御み殿あらか仕つかへ奉まつりて 天あめの御み蔭かげ 日ひの御み蔭かげと隱かくり坐まして 安國やすくにと平󠄁たひらけく知しろし食󠄁めさむ國中くぬちに成なり出いでむ天あめの益人ますひと等らが 過󠄁あやまち犯をかしけむ種種くさぐさの罪事つみごとは 天あまつ罪つみ 國くにつ罪つみ 許許太久ここだくの罪つみ出いでむ 此かく出いでば 天あまつ宮事みやごと以もちて 天あまつ金木かなぎを本もと打うち切きり 末すゑ打うち斷たちて 千ち座くらの置座おきくらに置おき足たらはして 天あまつ菅麻󠄁すがそを本もと刈かり斷たち 末すゑ刈かり切きりて 八針やはりに取とり辟さきて 天あまつ祝詞のりとの太ふと祝詞のりと事ごとを宣のれ 此かく宣のらば 天あまつ神かみは天あめの磐門いはとを押おし披ひらきて 天あめの八重やへ雲ぐもを伊頭いつの千別ちわきに千別ちわきて 聞きこし食󠄁めさむ 國くにつ神かみは高山たかやまの末すゑ 短山ひきやまの末すゑに上のぼり坐まして 高山たかやまの伊褒理いほり 短山ひきやまの伊褒理いほりを搔かき別わけて聞きこし食󠄁めさむ 此かく聞きこし食󠄁めしてば 罪つみと云いふ罪つみは在あらじと 科しな戶どの風かぜの天あめの八重やへ雲ぐもを吹ふき放はなつ事ことの如ごとく 朝󠄁あしたの御み霧ぎり 夕ゆふべの御み霧ぎりを 朝󠄁風あさかぜ 夕風ゆふかぜの吹ふき拂はらふ事ことの如ごとく 大おほ津邊つべに居をる大船おほふねを 舳解へとき放はなち 艫とも解とき放はなちて 大海原おほうなばらに押おし放はなつ事ことの如ごとく 彼方をちかたの繁しげ木きが本もとを 燒鎌󠄁やきがまの敏と鎌󠄁がま以もちて 打うち掃はらふ事ことの如ごとく 遺󠄁のこる罪つみは在あらじと 祓はらへ給たまひ淸きよめ給たまふ事ことを 高山たかやまの末すゑ 短山ひきやまの末すゑより 佐久那󠄁太理さくなだりに落おち多岐たぎつ 速󠄁川はやかはの瀨せに坐ます瀨せ織おり津比賣つひめと云いふ神かみ 大海原おほうなばらに持もち出いでなむ 此かく持もち出いで往いなば 荒󠄄潮󠄀あらしほの潮󠄀しほの八百道󠄁やほぢの八や潮󠄀道󠄁しほぢの潮󠄀しほの八百やほ會あひに坐ます速󠄁開はやあき都比賣つひめと云いふ神かみ 持もち加加呑かかのみてむ 此かく加加呑かかのみてば 氣い吹ぶき戶どに坐ます氣い吹ぶき戶ど主ぬしと云いふ神かみ 根國ねのくに 底國そこのくにに氣い吹ぶき放はなちてむ 此かく氣い吹ぶき放はなちてば 根國ねのくに 底國そこのくにに坐ます速󠄁はや佐須良比賣さすらひめと云いふ神かみ 持もち佐須良さすらひ失うしなひてむ 此かく佐須良さすらひ失うしなひてば 罪つみと云いふ罪つみは在あらじと 祓はらへ給たまひ淸きよめ給たまふ事ことを 天あまつ神かみ 國くにつ神かみ 八百やほ萬󠄄よろづの神等共かみたちともに 聞きこし食󠄁めせと白まをす