何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
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2024年12月9日月曜日
2024年12月8日日曜日
◎九〇年代に、なぜダイオキシンの有害性が報道されたのか
◎九〇年代に、なぜダイオキシンの有害性が報道されたのか
日下: ということは、九〇年代になって出てきた論文には、ダイオキシンの有害性についてはどういうふうに?
武田: 私はダイオキシンについては専門家ではありませんが、当時、科学的なものを読んで調べていました。セベソの健康診断結果なども、英語でインターネットに出ていたので読んでいました。それらの論文を読むと、まず患者さんがでない。それで私は「おかしいな。なぜ患者さんがでないのかな」と不思議に思っていたのです。毒性があるのなら、患者が出ないはずはない。
当時は、科学者であっても、専門でない人間はみんな、「ダイオキシンに、果たして毒性があるのかないのか、はっきりとわからない」という状態だったと思います。
日下: それなら、なぜ九〇年代にダイオキシンの有害性が大きく報道されるようになったか、それが問題になりますね。
武田: 当時、ダイオキシンの本を書いた専門家がいるんです。その本を、最近になってあるきっかけで、読み直してみたのです。私の以前読んだ記憶では、その本{宮田秀明先生の『ダイオキシン』(岩波新書)です。当時、「ダイオキシンのバイブル」と言われていました。それを二〇〇七年に読み返してみました』には「ダイオキシンは毒物だ」と書いてあると思っていたんですね。
しかし、今回きちんと読んでみたら、第六章のタイトルに「人間に対するダイオキシンの影響」とある。しかし、そこには人間への影響のデータが―つもない。つまり、章タイトルはそうなっているけれど、著者は「人間にとって毒だ」と断言うしているわけではないんです。
私自身、科学的訓練を受けていて、ものを厳密に見る癖がついているにもかかわらず、社会の風潮に引きずられて、「人間に対する影響は書かれていない」という記憶を持っていないのです。先入観があって、ダイオキシンの毒性が書いてあると思い込んでいたので、人間についての悪影響も書いてあると何となく頭から思い込んでいたんですね。
考えてみたら、一九九〇年頃に書かれた本なので、まだ、そんなデータがないに決まっているんです。
日下: つまり、タイトルだけあったんですね。
武田: そう。タイトルをつけたのは編集者でしょうけれど、しかし、その著者である宮田先生も、やっぱり毒だと思っておられたのでしょう。それが行間に溢れていて、私たちもダイオキシンが毒だと、何となく思い込んでしまったんですね。
そして、九〇年代半ば以降、ダイオキシンの有害性の報道がどんどん出て来た。ダイオキシンの有害性については、一九九七年頃がもっとも盛んに報道されていました。「あそこの焼却炉の近くがダイオキシンに汚染されていた」といった報道です。その最たるものが先ほどお話ししたテレビ朝日の所沢の野菜からダイオキシンが出たという報道です。
ダイオキシンの患者さんが一人もいないというのに、ダイオキシンの患者さんの映像が撮れるはずがないんです。だから必ず違う映像を映す。
こういうことを、私は「創造型環境破壊」における「必然的に起こる誤報」と言っているんです。「創造型環境破壊」とは現実に存在しないものです。だから、それを映像化しようとすると必ず誤報になる。
『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
R061208 P58
2024年12月7日土曜日
◎ダイオキシンが毒であったら、日本人は大きな被害を受けていたはず
◎ダイオキシンが毒であったら、日本人は大きな被害を受けていたはず
日下: 人間への毒性がないということはセベソの事故ではっきりした?
武田: セベソの事故が一九七0年代半ばですから、それから二十年くらい経てば、だんだん、人間に対する影響がはっきりとわかってくるわけですね。
日本でも、一番ダイオキシンが多かったのが一九七〇年頃です。それは農薬の水田の除草剤(じょそうざい)の中にダイオキシンが入っていたからです。これは世界でもダントツに多くて、計算してみたら枯れ葉剤が一番多く撒かれていたときのベトナムの森林のダイオキシンの約八倍のダイオキシンが日本の水田に撒かれていたことになります。
ですから、ダイオキシンがもし毒であれば、人種の差はあっても、日本人は大きな打撃を受けたと想像されるのですが、実際にはそんな被害はなかった。
日下: ダイオキシンが除草剤として使われていたわけ?
武田: ダイオキシンを直接に除草剤として使ったわけではありません。あの頃は、塩素系の除草剤を使っていたのですが、それを合成するときにダイオキシンが不純物として入ってしまう。そうしたダイオキシンを含んだ除草剤が二種類あって、それが一般的に除草剤として撒かれていたのです。
ですから、日本の水田では、結果的にダイオキシンの量が一九七〇年に高くなった。現在の量のちょうど二十倍くらいです。
日下: ダイオキシンが毒だったら、その当時の農民や米を食べていた国民全体に影響があったはずだというわけだ。
武田: そういうことになります。いずれにしろ、すぐにわかることではなく、七〇年頃だとしたら、九〇年頃には影響が出てきているはずですから。
しばらくすると、ダイオキシンを通常人の千倍から一万倍も浴びている仕事というのがわかってきました。どういう仕事の人かといえば、煙突掃除夫であり除草剤の製造者であり、アメリカの枯れ葉剤作成者ですね。そういう人が世界でだいたい四十三万人いる。その四十三万人を追跡調査したわけですが、追跡調査に時間がかかったんです。
そうした仕事でダイオキシンを摂取しているのはだいたい男性です。女性で高度被爆は、セベソ事故くらいしかない。それもあって、最終的な結果が出るのが遅かったんです。
ダイオキシンの大きな毒性として考えられたのは、発ガン性と、催奇性つまり奇形児の問題です。発ガン性は、対象者がある程度まとまらないとガンがどのくらいで生じるかがわからないので時間がかかる。奇形については、子どもを産まなければわからないわけですね。
一般の人がダイオキシンが怖いというのは、下半身がつながった結合双生児として産まれた双子の兄弟ベトちゃん、ドクちゃんの姿からのイメージが大きいのでしょう。あれは、「ベトナム戦争で使われた枯葉剤の影響」と言われました。
日下: あのイメージは大きかったでしょうね。ベトナムの戦争博物館にはその写真が大きく展示されていて、アメリカ人観光客が一寸真剣な顔で見ていました。
武田: しかし、ベトちゃん、ドクちゃんとダイオキシンについては関係は認められていません。
それで、ダイオキシンの人間への害に対する結果が出てきはじめたのが、ようやく一九九〇年頃からで、ほとんど主な論文が一九九九年からのものです。
『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
R061207 P55
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