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2024年12月6日金曜日

【大谷翔平】【ドジャース】投手復帰は5月以降?!大谷翔平最新情報に補強や契約延長などオフの話題を総チェック!

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2024年12月5日木曜日

第2章 マスコミが煽った「つくられた環境問題」 ◎一九九〇年に環境庁は解散すべきだった

第2章 マスコミが煽った「つくられた環境問題」 ◎一九九〇年に環境庁は解散すべきだった 武田: 日本が環境問題をクリアしてきたのは、社長の命令以下、ホンダも松下もトヨタもみんなそうですが、一丸になってやってきたからです。だから十年くらい経つと、現実的には格段によくなって、ほとんど問題が解決できてしまう。 私は、そういう日本人の感受性と技術の応援をしたいんですね。 ところが、今や問題がないにもかかわらず、環境問題が大きく取り上げられるようになっている。それは、環境問題が創造されているからです。どこに問題があるかと言えば、「環境省」という役所が存続していることが大きい。だから、私は「一九九〇年に環境庁(今の環境省)は解散すべきだった」と言っているのです。 日下: なるほど(笑)。実際、問題はなくなったんですからね。 武田: 時々書いていることですが、これは日下さんに怒られる可能性があるんだけど。 日下: 怒らないよ。 武田: 私は、環境省を「戦争が終わった将校さん」に瞥(たと)えています。なぜかといったら、独立のために軍隊に入り、頑張って独立を獲得して功成り名をあげて将校になったら五十歳になっていた。独立は達せられ、戦争は終わってしまった。そこで、この人がどうするかが難しい。 どうして難しいかというと、将校にはなることができたけれど、将軍にはなれなかった。 将軍になるには、もう一回戦争を起こして、功績を上げなければならない。すでに独立という目的は達してしまったから、今度は別に戦争の理由をつくらなければならない。 たとえば、このままではある国が侵略してきて、独立が侵される可能性があるから、その相手国が侵略してくる前に、こちらから叩いてしまおうなどと。その戦争を起こすためには、「〇〇国が侵略してくるぞ」と、問題を提起して世論に訴えていく必要があります。 私が言いたいのは、環境省がそういうことをやってきたということです。環境省が無理矢理やったのが一九九〇年以降のいわゆる「つくられた環境問題」です。だから、これをもって私は「創造型環境問題」と呼んでいるんです。 実際、環境省の前身の環境庁ができたのが、環境問題が盛んだった一九七一(昭和四十六)年のことです。そして、省庁再編で「庁」から「省」に格上げになったのが、二〇〇一(平成十一 年。実際には環境問題が解消していたにもかかわらず、大きくなっている。 功績があったのだから大きくするというのは、そのお役所の対象が続く場合で、解消してしまったら、逆に縮小しなければならない。 もう―つのポイントとしては、環境省は科学者を利用したことです。これは意識してやったかどうかわかりませんが、環境問題を創造するためには、なにしろ将来のことなので、普通の人は予測できない。だから、科学者を動員しなければならない。たとえば、現在咳をしている人がいれば、それを治すお医者さんがいればいい。それと同様に、環境を改善するためには、当面の問題を解消するための技術者がいればいいわけです。 しかし、現在の問題ではなく、将来のことを言うので、どうしても科学者が必要になるのです。 そこで環境省では、科学者を連れてきて、「将来、こういう問題がひどくなる」と言わせるわけです。その一番の典型がダイオキシンです。 実際は、患者さんが一人も出ていないのだから何の環境問題もなかった。ラットが死ぬといっても、ラットが死ぬようなものはダイオキシン以外にも山ほどあります。私も国の原子力安全委員の審査をやっていますが、放射線に対する動物の影響などは、動物によって違いますからね。 『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より R061205 P48

【ニッポンジャーナル】オワコンメディアをぶった斬る!上念司&KAZUYAが最新ニュースを解説!

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R6 12/05【ゲスト:西岡 力】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第513回

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2024年12月4日水曜日

◎日本は一九九〇年には環境問題をすべて解決してしまった

◎日本は一九九〇年には環境問題をすべて解決してしまった 日下: それ以前の話に戻ると、一九六〇年代の東京の空は、本当に真っ黒けだった。その原因は、冬の暖房に石炭を燃やしていたからで、ビル ディングに煙突が出ていてそこからもうもうと黒煙が出ていたものです。スモックだらけだった。 通産省に石炭局というのがあって、「国産石炭会社は潰してはいけない」と考え、全部重油に依存したら日本はエネルギー自立ができないから、炭鉱保全のために無理矢理石炭を買い上げ、それを燃やすためビルディングには「必ず石炭ボイラーをつけろ」と設置命令があった。 武田: なるほど、「石炭を掘るんじゃなくて税金を掘る」という話があるくらいですからね。 日下: 通産省は「国産エネルギーを」と訴えていた。だから石炭屋が儲けて政治献金をしていた。当時、日比谷の交差点の巡査は椅子の下に酸素ボンベを置いておいて、それを吸いながら交通整理をしていたほどで、それがライフとかタイムスに写真で世界に紹介されたりしていた。 いまでは同じことが北京で行なわれている。北京オリンピックの期間はやらなかったけれど、北京の交通巡査が酸素を吸っていると世界中に言われた。 当時は東京の中心では、マンションを建ててもダメだと言われたくらいだ。それが今はマンションが建てられるようになった。北京の人はやっと東京に追いついたと喜んだが、公害も解決しなくては追いついたと言えない。 武田: スモッグと言えば、ロンドンスモッグというのは一九五二(昭和二十七)年の十二月五日から十日くらいの間に起こったんです。その日は寒かったので、いつもよりも多く石炭の暖房を使ったりした。ちょうどロンドンの交通機関が路面電車からディーゼルバスに切り替わったばかりで、暖房器具やそれらの交通機関から生じた二酸化硫黄などで 、高濃度の硫酸の霧を形成したんです。 人間は自分に被害が及ばないと気がつかないのですが、十二月の初旬に北海の寒気団がロンドン上空に来た。そこで大気の逆転現象が起こり、自分たちの煙で汚れていた上空の大気が地表に戻ってきたのです。 最初の日の午前十時には、すでに映画館では客席からスクリーンが見えないほどになっていた。そして、午後になると病院には気管支炎、気管支肺炎、心臓病などの患者が次々に運び込まれて、普段の冬よりも四千人も多くの人が死んで 、翌年の春までの犠牲者ということでは合計一万二千人も死んだと言われています。 当時のロンドンの人たちは、「自分たちの焚いたもので大気が汚れるの?」という感じで、人間のやったもので影響が出るなどとは思いもしなかったのですね。一九六二( 昭和三十七)年にレイチェル・カーソンが『沈黙の春』(注8)を出したときのアメリカのリアクションもそうでした。 石炭もそうですが、大気に出せば、大気は無限大だから吸収してしまうだろうと考えていた。基本的には、一九五〇年から七〇年くらいまでは先進国の間でも、そういう通念が一般的だったんです。その顕著な例が四日市ぜんそくで、最初は「なぜぜんそくになったのか」、全然わからなかった。 そのうち煙突のせいだということになる。あの頃は工場の周りにエ員住宅を置いた方が効率がいいというので、わざと近くに住宅をつくった。いまとは全然逆ですね。 その次の段階で、煙突から二酸化硫黄が出るからぜんそくになったとわかったら何をしたかというと、今度は、煙突を高くした。煙突を高くすれば解決するだろうと考えた。しかし、煙突を高くしたら、四日市全体にぜんそくが広がってしまった。患者がよけいに増えてしまったわけです。 最初は、わからないから煙を出した。出したら、ぜんそくで死んだり病気になったりする人たちが大勢出てきた。そこで、煙突を高くすればいいだろうと高くした。すると、煙の着地点が遠くなって、近くのエ員住宅の人だけでなく、遠くの四日市の一般市民がぜんそくになってしまった。 そういうことを通じて、勉強してきたわけです。だから、人間というのは、いかに学ばなければダメだということを示していると感じます。 そして、日本が優れているのは、学んだことを生かしてきたことです。私が持っている東京タワーの写真で煙っている写真は一九八五(昭和六十)年が最後で、それ以後はいまは煙っている写真は撮れません。当時予想していた以上に、われわれはきれいな環境をつくってきたと思います。 日下: それは本当にすごいことですよ 。東京タワーは中腹の百二十メートルあたりが汚れてペンキがはげた。逆転層のためでした。私は二百メートルの高さのパイプを立て、上空の新鮮な空気を吸い込んで都民に配るようにしてはどうか、上水道と「上空道」が……と書きました。 武田: それで日本の産業が非常に活発になり、脱硫(だつりゅう)設備、脱硝(だっしょう)設備など、次から次へとやっていく。さらに廃棄物や副産物の利用についても技術進歩が見られた。一部はできないものもありますが、とにかく進めてきた。 私は十五年ずつで区別しているので、一九六〇年から七五年までは高度経済成長、七五年から九〇年までは高度経済成長のひずみの解消をしながら非常に高度な社会に移ったと見ています。この後者の時期に、環境関係では環境省や市民の運動などが加わって、非常に大きく飛躍しています。それで先ほどの話に戻ると、一九九〇年にはすべては解決して しまったということになります。 日下: 他の先進国に比較して、日本は環境対策技術が進んでしかも普及しているということですね。 『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より R061204 P37

【ニッポンジャーナル】「韓国の尹錫悦大統領が非常戒厳令を宣布も数時間後に解除」など田北真樹子&江崎道朗が最新ニュースを解説!

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R6 12/04【ゲスト:武田 邦彦】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第512回

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