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2024年11月8日金曜日

【座頭市('89年版)】居島一平・坂本頼光の暗黒迷画座 第167回【映画紹介】

【座頭市('89年版)】居島一平・坂本頼光の暗黒迷画座 第167回【映画紹介】

「四国艦隊下関砲撃事件」と「薩英戦争」

「四国艦隊下関砲撃事件」と「薩英戦争」 幕末に欧米各国が日本に迫った「開国」とは、実質的に日本に植民地化を迫るものでした。 西洋列強の激しい嵐はすでにトルコ、インドから東アジア、中国に吹きすさんでいました。これは、まさに「蒸気の力」と「鉄の生産力」という工学がもたらした結果です。 元々攻撃的な狩猟民族であり、さらにはキリスト教の教義をバックボーンとするヨ ーロッパ人は、我々こそは世界を征服するに足る立派な民族だ、と確信していました。 アフリカは言うまでもなく、インド、インドネシア、ベトナム、中国、そしてフィリピンに至るまでが欧米の植民地と化しました。 そうした中、幸い日本は植民地とはなりませんでしたが、欧米列強との激しい衝突がたびたび起こっています。 1864年、「四国艦隊下関砲撃事件」と呼ばれる事件が起こります。四国とは、イギリス、フランス、オランダ、アメリカの列強国のことです。 前年の1863年、孝明天皇の強い要望で将軍徳川家茂が外国を排撃する攘夷実行を約束、幕府は軍事行動を予定していなかったものの、長州藩が現在の関門海峡である馬関海峡を通過するアメリカ、フランス、オランダの船に対して砲撃を実施しました。四国艦隊下関砲撃事件はその報復のために列強国が起こしたものです。 1863年 、薩摩藩と大英帝国の間に「薩英戦争」も起こっています。下関における戦闘も薩英戦争も日本側が一方的にやられて終わったと教えられることが多いのですが、事実はまったく違います。 薩英戦争は、1862年の「生麦事件」をきっかけに起こりました。生麦事件とは、横浜港に近い武蔵国橘樹郡生麦村付近で薩摩藩主島津茂久の父島津久光の行列に遭遇したイギリス人たちを供回りの藩士たちが斬り付け、1名が死亡し、2名が重傷を負った事件です。 イギリス人は馬に乗っていました。行列の先頭にいた薩摩藩士が馬を降りて道を譲るように伝えましたが意思疎通は叶わず、イギリス人を乗せた馬は行列の中を逆行しました。久光の乗る籠に近付いたところで殺傷事件は起きました。 生麦事件は国際問題となり、イギリス側は江戸幕府に対して損害賠償請求を行い、幕府は賠償金を支払いました。イギリスはさらに薩摩落に対して報復すべく、大英帝国艦隊を薩摩湾に派遣して砲撃し、薩英戦争が始まります。 清を相手にした1840年の「アヘン戦争」で、イギリス軍は大勝利を収めていました。3回ほどの海戦で、清軍の戦死者2000人に対して、イギリス軍は7、8人という圧倒的な結果でした。地方政府に過ぎない薩摩藩を相手とする戦争などは推して知るべしでした。 実際、戦力においては薩摩藩と大英帝国艦隊では比較にならず、大砲の飛距離にも命中精度にも段違いの差がありました。 しかし、薩摩藩軍は強かったのです。砲撃を受けた鹿児島の街には損害がありましたが、藩主や住民の避難はほぽ完了しており、人的被害は少ないものでした。イギリス議会においては翌年1864年、鹿児島砲撃は一般市民を対象とした不当な戦闘行為であるとして問題となり、時のヴィクトリ ア女王が遺憾の意を表しています。薩摩藩軍は、大砲の射程は短いものの効率的な砲台の準備の下、砲撃を繰り返しました。その結果、薩摩側の被害も大きいものでしたが、イギリス側の被害のほうが大きく、指揮官を中心に多くの戦死者を出しました。 この結果は、イギリス側のみならず当時の世界を驚かせました。薩英戦争を経て、イギリスと薩摩藩は双方の関係を見直すこととなります。 幕藩体制は封建制度です。封建制度とは土地の支配権を分与することによって主従関係を形成するという制度であり、日本では、天皇から征夷大将軍に任命された徳川将軍が諸藩を統治するという形をとっていました。つまり、薩摩藩は領地統治において独立している状態です。 イギリスは薩摩藩を評価し、中央の江戸幕府よりも緊密な関係づくりを図りました。西郷隆盛が薩摩藩総大将として江戸に上り、幕臣 .勝海舟との間で江戸城の無血開城を取り決めた偉業の背景にはこうした経緯があります。 四国艦隊下関砲撃事件では長州藩が、薩英戦争では薩摩藩が、欧米列強と直接相対しました。これによって長州・薩摩の両藩が国際情勢のリアリズムを中央の徳川幕府よりもはるかに深く知ることになり、明治維新を牽引していくことになるのです。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060206 144  R061108

2024年11月7日木曜日

11/7【前半】竹田恒泰ch第607回+【11月特番】日本の首相がトランプ新大統領に持ちかけるべき7つの事※後半は⇒https://youtube.com/live/PK9euI4cyxU

11/7【前半】竹田恒泰ch第607回+【11月特番】日本の首相がトランプ新大統領に持ちかけるべき7つの事※後半は⇒https://youtube.com/live/PK9euI4cyxU

世界を唸らせた日本の造船技術

世界を唸らせた日本の造船技術 「蒸気船」という当時最先端の交通機関についても、当時の日本人は旺盛な好奇心と知識欲を見せました。 江戸幕府が西洋の中で唯一外交を保持していたオランダが 1855年、スームビング号という蒸気船を寄贈します。スームビング号は後に軍艦・観光丸として活躍することとなります。 1853年のペリー来航で軍用蒸気船を目の当たりにしたそのわずか数年後には、長崎海軍伝習所で勝海舟や佐賀藩士を中心に蒸気船に関係する技術の習得が始められていました。 燃料となる石炭の扱いなど細かなことも含め、初めて手にした鉄製の工具を握り、機関の細かな仕組みや操舵技術、修理法を学んでいったのです。 挿絵は観光丸 当時オランダから長崎海軍伝習所に派遣されていた技官カッテンディーケは「 普段 は浴衣のような服に刀を差して 、夕方になると甲板から立小便をするような連中が実に熱心に 、しかもしつかり技術を身に付けていく」と驚きました 。 伝習所学生は勝海舟を船長としてスームビング号に乗り組み 、蒸気船を回航、ヨーロッパ人の手を借りることなく操縦して江戸に到達しました 。カッテンディーケは「とても信じられないことだ」と書いています 。 長崎海軍伝習所の伝習取締りだった幕臣の永井尚志は、軍艦の操舵ができるだけでは不十分だと考え、絶え間なく起こる船の破損や修理に対応するための造船所の必要を幕府に訴えます。 そこで1857年に生まれたのが「長崎造船所」の前身、日本初の造船所とも言える「長崎溶鉄所」でした。 当時の日本は、工具はもちろん補助的な器具もほとんど持っていない状態でした。必要品は逐一、オランダに発注して入手しなければなりません。ならば、必要品一切を製作できる造船所をつくつてしまおうという発想で、まさに「自分の国のことは自分の国でやる」という思想そのものでした。「長崎溶鉄所」は日本初の重工業の誕生ということでもありました。 造船所の周囲には、細かい部品を供給する小規模の製作工場が建つようになりました。「優秀な中小企業の集合体」という日本の産業の伝統は、幕末に始まっているのです。 当時、造船所を見学したイギリスの軍医レニーは、「オランダ人の管理下にあって機械類はすべてアムステルダム製であった。所内の自由見学を許された我々は隅々まで見て回ったが、なかなかの広さであった。そしてこの世界の果てに、日本の労働者が船舶用蒸気機関の製造に関する処々の仕事に従事しているありさまを見たことは確かに驚異であった」と述べています。 この造船所はやがて三菱重工に引き継がれ、戦艦「武蔵」などを建造することになります。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060205 140   R061107

【速報】トランプ、歴史的勝利!米大統領選・最新情報

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【ニッポンジャーナル】「米大統領選挙トランプ圧勝でどうなる!?世界と日本!」中川コージ&井上和彦が最新ニュースを解説!

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R6 11/07 百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第493回

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