何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
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2024年7月21日日曜日
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片貝祭り 世界一大きい4尺玉打上、失敗と成功 420kg Giant Firework Shell Story | The YONSHAKUDAMA ★ ONLY in JAPAN
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【手に汗握る壮絶なシーソーゲームは劇的な結末に!】レッドソックス vs ドジャース 試合ハイライト MLB2024シーズン 7.21
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2024年7月20日土曜日
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「抽象概念」を神とした日本人
「抽象概念」を神とした日本人
この本は特に日本文化を述べるものではありませんが、「科学的思考」をより理解するためにも最低限度、日本文化に対する錯覚を直しておくのは大切なことだと考えます。
その意味で、もう 一つ挙げておかなければならないのが「日本の宗教 」についてです。
信教の自由とか、一神教や多神教といったことに対する考え方というのは、日本と日本以外の国ではまったく違います。
日本人の考え方の根本には、先ほど述べたように「自然をじっくりと観察したら、どうも自分たちは自然の中から生まれてきたものであり、自然も人間も同じな のだ」ということがあります。
あたりまえのことなのですが、太陽がなければ、地球上の生物は生まれない。山や川や海がなければ、作物も収穫できないし獲物もとれない。だから太陽はもちろん、山や川や海は私たちをつくったものであり、動物もそうで植物もそうである。
そういう考えから、まず「自然」全体を、自分たちをつくったものということで神様として位置づけました。そのために「お天道様の下ではウソをつかない」というような考えも生まれたのです。
つまり、日本人にとってお天道様は神様です。そして、山も神様ですから山のふもとに神社をつくって山の神様が下りてくるというように考えます。海にも岩があったらそこにしめ縄を張って、海の神様に感謝する。そのようにすべての自然が日本の神様なのです。
もう一つの日本の神様は「ご先祖様」です。
そうした考えが生まれたのは縄文時代ではないかと言われています。その時代にはまだ遺伝という考え方はありませんでしたが、自分には父母という2人の人間がいるということはよくわかります。
その父母を生んでくれたおじいちゃんおばあちゃんというのは父母でそれぞれ2人ずつの計4人いる。この4人がいなければ自分は生まれない。そうやって600年ぐらいさかのぼっていくと、自分をつくってくれた人はだいたい100万人ぐらいいるということになります。100万人となると、自分も含めて見渡す限りの人々よりも人数が多く、そうなると自分とか周りの人たちをつくったのは共通の親なのだろうという考えに至るわけです。
私たちはみな兄弟であり、100万人の先祖が自分たちをつくってくれたのだと考える。そうしてご先祖様をみんなで神様として崇めようということになりました。
このように日本は自然とご先祖様、この2つを神としてきたわけです。
だから、たとえばお釈迦様に対してもまったく拒否感はありません。お釈迦様もご先祖様の一人ですから当然崇拝するわけです。
それはイエス・キリストでも同じことです。キリスト教式で結婚式を挙げて、イエス・キリストの前で愛を誓う。これはこれで別に構わない。イエス・キリストもご先祖様の一人で神様なのですから。
お正月になると神社へ初詣に行くのも構わない。お彼岸のお墓参りでお寺へ行ってお坊さんの説教を聞くのも構わない。クリスマスだハロウィンだといって海外の風習を真似るのも構わない。
日本にとっての宗教というのは、一神教でも多神教でもないのです。日本のことを多神教という人もいますが、それは日本のような宗教の形がなかったヨーロッパ式の分類に過ぎません。
日本の宗教は数が多数なのではなくて、自然とご先祖様という「抽象概念」を神様としているのです。
『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060720 P220
2024年7月19日金曜日
日本に男女差別など存在しない みな 同じ ということ
日本に男女差別など存在しない みな 同じ ということ
このように日本人にとってはすべてのものが「同じ」なわけですから、当然「男」と「女」も同じだと考えます。ですから、日本人は「男女平等」という思想はありません。外国のような差別の思想ではないからです。
日本列島にあるものはすべて同じですから「奴隷」も生じませんでした。
江戸時代には士農工商というのがあって、以前はこれを「身分制度」だと言っていましたが、今では単なる「職業分類」であったと考えられています。
本当の身分制度というものがあったならば、いくら頑張っても木下藤吉郎は豊臣秀吉にはなれなかったはずです。しかし、日本の職業分類に おいては優れた人であれば職業を変えることができたので、お百姓さんが侍になったり侍がお百姓さんになったりする例が多くありました。
この士農工商の考え方は、お金のない武士が権力を持ち、お金のある商人は権力を持たないという「権力とお金の分離」という意味もありました。さらに、年貢が「米」だったのは「権力者は税を取るが、それは蓄積できない米でなければならない」という思想が入っているのです。
男女平等に話を戻します。日本にはそもそも「平等」という概念がなくて、「みんな同じに生活している」という考え方なのです。だから女性は女性に適したことをやり、男性は男性に適したことをやる。どちらも同じなのだからお互いに都合のいいことをやればいいという考え方があっただけです。
いわゆる日本流の「分業」です。これはお互いの特徴を活かすという良い意味になります。
ところがヨーロッパも中国も中東もそうですが、日本以外の国では「男が女を所有する」というのが古来の考え方だったのです。
支配層が被支配層を所有して、男が女を所有するという考え方は日本とはまったく異なるものです。日本では女性が衣食住と、あとは記録文書の作成を担当しました。
だから、紫式部 が『源氏物語』を書き、清少納言が『枕草子』を書いたのです。
女性は「山の神」と言われて家事全般を統括し、結婚すると夫は妻から外に派遣されて働いて帰ってくるという存在でした。最近の言葉で言えば、派遣労働者です。男は朝に家から出て、仕事をして帰ってきて、そこで得た金品を妻にすべて渡しました。
このすべて渡すというところにも分業の思想があるわけです。
外で稼いでくるのは夫ですが、管理するのは妻だから妻にすべて渡す。そうして妻が夫に必要な小遣いを渡すというシステムになっているのです。
こんな国もやはり日本以外にはありません。
日本文化というものをよく知らないと、いろいろなことで間違いが起こります。日本以外の国では「女性が男性と比べてどのくらい仕事をするか」ということに点数をつけたりして、女性解放度というのを示したりするのですが、そんなことは日本では必要ありません。
日本には伝統的に、女性には女性の特性に合わせた特権的な仕事があったのですから、それを男性と同じ仕事をさせるというのはむしろ女性をバカにしていることだからです。
このように、日本と他の国では考え方が逆なのですから何でも海外のマネをすればいいということではありません。錯覚を取り除くためにも、日本文化というのをよく把握するということが非常に大切なのです。
『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060719 P216
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