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2024年2月14日水曜日

通説より古くからあった「稲作文化」 問題は、「近隣諸国条項」による自国史の改竄だ

通説より古くからあった「稲作文化」 問題は、「近隣諸国条項」による自国史の改竄だ 「稲作」は、忘れてはならない日本を代表する文化、技術と言えるものの一つです。 学校の歴史教育などを通して、「稲作は中国から朝鮮半島を経由して日本に渡ってきた」と一般的には考えられています。稲の原産国は東南アジアのタイやベトナムあたりとされており、稲作は中国から朝鮮半島を経由して渡来したと考えてしまうのは不思議ではありません。 しかし、最近はDNAの解析が進んで、旧来有力とされていた朝鮮半島経由説ではなく、中国大陸の南方から、あるいは南方の島から直接渡来したのではないかという説が有力です。 日本の教科書検定基準の一つに、「近隣諸国条項」というものがあります。教科書として採用されるためには「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」が必要であるとする、1982年に規定された条項です。 稲作は中国発朝鮮半島経由であるという説がほぼ常識化してしまっているのは、この近隣諸国条項に大きく関係します。今でもそれは変わることはありませんが、一時期、教科書を検定する側が近隣諸国条項により、表記において中国や朝鮮の文化が優れているという前提を強要していた、という背景があるのです。 つまり、「日本は文化・文明の遅れた地域だった」という表現をしないといけない、と政治的に決められていました。

(近隣諸国条項とは直接の関係はありませんが、このような偏向した説明を掲載する歴史教科書が無数にあって、日本の子供たちの知識を曇らせています。楠木正成を悪人と呼び、本来の歴史的な働きを封殺しています。) 考古学者の江上波夫が「騎馬民族日本征服論」を提唱した1967年の『騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ』(中央公論社)が、近隣諸国条項が規定された直後の1984年に復刊して話題になったことがあります。 「日本は東北ユーラシア系の騎馬民族に征服されてできた国である」、という説ですが、これなどは、近隣諸国条項に従い、政府や他国に胡麻をすって名を売りたい反日学者ならではの説であると言えるでしょう。 そしてまた、日本の歴史学者や文部省は、日本の子供には日本の文化や技術や『古事記』『日本書紀』を教えないということを支持してきました。日本の素晴らしさには触れず、むしろ貶めることで相対的に中国や朝鮮の文化を高めるのが狙いです。世界のどこへ行っても、自分の国を事実より悪く言って喜ぶ国などありません、日本だけです。 よく言われる「すべての文物は朝鮮半島から渡ってきた」という説は、最近、むしろ逆であるとも考えられています。 1990年以降、朝鮮半島の南部で日本独特の「前方後円墳」が続々と発掘されています。時代考証によってその多くが日本から伝わったものであることがわかっていますが、現代の朝鮮の人や日本の文化人の多くは歴史的事実をそのまま認めようとはしません。 直近の研究によって、稲の渡来は中国南方、しかも縄文時代にはすでに渡来していた、と大幅に修正される可能性があります。縄文時代と弥生時代には土器の形態や文様など確かに文化的な違いはありますが、「縄文時代は狩猟生活」「弥生時代は稲作文化」という線引きはできないのです。 「稲作文化」というくくりで言えば、それはむしろ縄文時代のかなり古い頃から始まっていました。時期で言うなら縄文中期であり、つくられていた品種も独特です。 いずれにしても稲作文化は日本において、私たちが思っている以上に古くから始まっていました。そうした背景を持つ日本文明には、私たち日本人が自然を理解しながら育んできた自然への理解や愛情、そして技術と工夫があるのです。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060214 175

生配信】第382回 江崎道朗&伊藤俊幸が最新のニュースを独自目線で特別解説!

【生配信】第382回 江崎道朗&伊藤俊幸が最新のニュースを独自目線で特別解説!

R6 02/14【ゲスト:加藤 康子】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第308回

R6 02/14【ゲスト:加藤 康子】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第308回

2024年2月13日火曜日

高度な技術力を「軍事」から「美術」へ

高度な技術力を「軍事」から「美術」へ 興味深いことに、日本の建築技術の歴史を考えてみると、法隆寺や東大寺の大仏殿のような巨大なものからスタートして徐々に 精密さを増し建築物が小さくなっていく傾向があることがわかります。 わかりやすく言うと、「東大寺の大仏殿が、千利休の茶室になっていく」ということです。 建築物ばかりではなく陶器のようなものまで、大掛かりなものから小さく精密なものになっていきます。実はこの伝統は、縄文時代の遺跡などからもうかがい知ることができます。

日本は戦後の高度経済成長期に、電化製品などをコンパクト化する技術が高く評価されました。真空管を使っていたラジオをトランジスタを導入して小型化し、テレビも、自動車も小型のも のをつくりました。 韓国の文学博士である李御寧(イオリヨン)が著書『「縮み」志向の日本人』(講談社、2007年)で分析し、「縮み志向」という言葉が注目されたことがありましたが、大きなものから小さくて細かなものへ技術を深めていくことは日本の得意分野なのです。 これもまた、日本では伝統的に自然に向き合う気持ちから文化が育まれることの好例として考えて間違いないでしょう。 いずれにせよ、日本の大工の棟梁は、図面もないところで巨大な建築物をつくり上げ、地震や台風にも耐えて1000年を超えてなお揺らぐこともなくそびえ続ける建物をつくり上げるだけの建築技術を持っていました。 パソコンの図面やコンピュータによる計算、設計と施工の分離体制などは、どちらかと言えばむしろヨーロッパの低い技術の焼き直しなのです。 日本の技術に対する関心と興味は古来、世界のトップレベルにありました。そして、大砲や軍艦をつくるといった軍事目的より、工芸品や美術品などの方面に研ぎ澄まさ れた完成度を見せてきました。 日本刀は武器としても世界的にレベル の高いものですが、鋼の製造過程といった技術的な面、鍔(つば)や掠(こしらえ)といった工芸的な面において評価が高く、武器と言うよりむしろ美術品としてのレベルで語られています。 日本人の科学や技術についての研鑽がどれだけ平和的で合理性に富んだものなのか、それは東大寺の大仏建立時の日本以外の国々の技術と比較してもよくわかります。 日本人は古代から技術を芸術化していくという経験をしてきています。 そんな日本人が、明治維新では文明開化と称して、技術を軍事目的に使うという、より未熟な文化を持つヨーロッパを称賛しました。 そしてまた、いわゆる平和主義を掲げる文化人が未だにヨーロッパの文化を尊敬しているのはいかがなものでしょうか。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060213 171

【生配信】第381回 居島一平&田北真樹子×初登場!岩田清文(元陸上幕僚長)が話題の最新ニュースを解特別説!

【生配信】第381回 居島一平&田北真樹子×初登場!岩田清文(元陸上幕僚長)が話題の最新ニュースを解特別説!

R6 02/13【ゲスト:平井 宏治】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第307回

R6 02/13【ゲスト:平井 宏治】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第307回

2024年2月12日月曜日

世界で最大の木造建築 東大寺の大仏殿

世界で最大の木造建築 東大寺の大仏殿 長登鋼山の銅鉱床は、銅鉱石の含有率が5パーセントから8パーセントでした 。掘り起こした鉱床から銅を精錬して、船で近畿地方まで運びます。そこで再び銅を溶かして、鋳型に 流して大仏の部分的なところをつくります。 もちろん組み上がった時の強度などを計算して、厚みなどを決めなければなりません。大仏の下のほうは銅を厚くし、上に行くほど銅を薄くします。 さらに内部の空洞をどのくらいにすれば安定するのか、強度が保持できるのかなどを正確に計算し、仏像が自立できるようにしました。工学の理論もなく、計算機もない時代に よくやったものです。 さらに、銅ばかりでは表面が光り輝かないので、大仏全体に金箔を塗りました。貼るのではなく、塗ったのです。 金はとても柔らかい金属なので、叩けば叩くほど薄く伸ばすことができます。現代では金箔職人が金を叩いて延ばす技術が進み、1立方センチメートルの金から10平方メートルの金箔をつくることができます。その厚さは、実に0.0001ミリメートルです。 しかし、奈良時代にはまだ金箔技術が発達していませんでした。金を水銀に溶かして「アマルガム」をつくります。すると金が液体の水銀に溶けた状態となり、刷毛で大仏に塗ることができました。 アマル ガムを塗った後 、松明(たいまつ)を燃やして加熱し、水銀を蒸発させました。 大仏表面から水銀が除かれて金だけとなるので、金箔を貼ったのと同じような形となります。 水銀は人体にとって有害です。この作業に 従事した人々が水銀中毒になったという記録もあります。 銅鉱石の採掘、鋳造から大仏建立、金箔を施すまでの過程には想像を絶する技術の粋が集められていたとともに、苦心惨憎がありました。 大仏鋳造にともなう最先端の技術がなぜ8世紀の日本にあったのか、それは世界史的に見ても大きな進歩と言えるものでした。 日本では、銅の多くは火山が噴火する時にマグマとともに 地上に出てきます。その銅の鉱脈は地表近くで横に流れ、銅の鉱山をつくります。山口県には石見(いわみ)銀山もあり、四国には水銀の鉱脈もあります。 また、水銀は金や銅と同じ「銅族元素」と呼ばれるもので、一緒に出てくる傾向があります。奈良の大仏の建立は、そうした自然環境の中、当時の日本人が技術の粋を駆使して成し遂げた科学技術史上の奇跡と言っても過言ではありません。 奈良の大仏は地震や天災の多い日本列島を鎮める目的で聖武天皇が建造されましたが、偶然ではありません。 日本列島の地学的な意味合いと自然環境、日本人の科学への関心と勤勉さなどが総合的にかかわり合ってこそ、奈良の大仏は生まれたのです。 *

奈良の大仏に関連して、日本人の素晴らしさを示すものとして「大仏殿 」の話もしておきましょう。 東大寺の大仏殿は世界で最大の木造建築です。自然の木材を利用するという点でも、大仏殿は世界に誇れる文化の一つと言えます。 現代でも宮大工がその建築技術を受け継いでいます。法隆寺の建築物なども同様ですが、木組みが実に精密です。 一本の木を切り出してきて手斧で切り、鉤(かんな)で表面を削り、形を整えます。木の特性を見極め、一本一本の丸太が切り出した後に乾燥して膨張・収縮を繰り返すことも計算に入れ、釘をほとんど使わずに、びたりびたりと組み立てていきます。 現代のような、数字で計算されつくした建築技術ではありません。均一化された材木を組み立てるわけでもなく、そのほとんどが経験と勘の積み重ねの宮大工の力でつくり上げられます。そうした技術が結集して、大仏殿のような、巨大で、しかも頑丈な木造建築物が成立しています。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060212 168