このブログを検索

2023年12月10日日曜日

「オオカミ少年」「オオカミ少女」の意味

「オオカミ少年」「オオカミ少女」の意味 家族の破壊で一番大きいのが「両親の不慮の死亡」です。人間と違い、動物は天命を全うする個体はほとんどありません。動物の死亡原因調査によりますと、病気で死ぬ動物より他の動物に食べられたり、戦いや事故で死んだりする個体の方が多いのです。 そこで、オオカミは事故で親を亡くした「他のオオカミの子供」を引き取って育てる習性を持っています。子供は家族の中で育つのですから、家族が崩壊したら子供は死ぬしかありません。 それでは家族が助け合うという長所がそのまま欠点になるので、それを補っているというわけです。このような習性は野生の動物のなかではイヌ科だけに見られる生態です。時々、森のなかに迷い込んだ人間の子供が、オオカミに育てられ「オオカミ少年」「オオカミ少女」として発見されることがありますが、オオカミの習性なのです 。 それを、「オオカミが人間の孤児を育てる」というので、オオカミのこころがやさしいとか、オオカミが社会福祉体制を持っていると勘違いしてはいけません。オオカミは人間の子供とオオカミの子供の区別ができないだけです。 ところで、オオカミの子供は夏になると親と一緒に歩けるようになり、一年後にはほぽ体重は成獣と同じになります。そして、おおよそ二年で性的にも成熟して親の群れを離れるのです。寿命はだいたい一五年。 このように一見して幸福なオオカミの家族も厳しい自然に晒されているのは他の動物と同じです。一組の夫婦が毎年、子供を五頭ずつ産み、一〇年間産み続けると、一組の夫婦で五〇頭ほどの子供ができることになります。生まれたすべての子供が成長して成人になり、伴侶を見つけて次の世代の子供を産むと、オオカミはすごい勢いで増えることになりますが、もちろん、現実はそうではありません。乳児で死亡したり、若いときに事故で死んだり、病気もあります。結局、大昔からオオカミの数はあまり増えも減りもしないということは、生まれた子供のほとんどは若いうちに死に、幸福な家庭を持ち、その一生を全うするオオカミはほんの僅かしかいないことが判るのです。動物の社会は、常に死と隣り合わせですから、それも自然の摂理というものでしょう。 このように、オオカミの社会と一生は、人間よりも立派なように思えます。夫婦の関係はまことに羨ましく、お互いにするべきことをして、しかも、いたわりのこころを持ち、ケンカもしなければ、一生、不倫もしない。他の家族の両親が死ぬとその子供の面倒まで見ますが、他人の子供を育てるときも夫婦の間で意見が食い違ったり、争ったりはしません。黙々とオオカミの伝統に従って他人の子供を育てる。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 2023112110  218

2023年12月9日土曜日

【続・虎ノ門サイエンス】タバコと肺がんは無関係!科学者・武田邦彦は語る「タバコはやめない方がいい」理由とは?

【続・虎ノ門サイエンス】タバコと肺がんは無関係!科学者・武田邦彦は語る「タバコはやめない方がいい」理由とは?

オオカミ家族の一生

オオカミ家族の一生 さて、こうして戦いの季節が終わるとオスの間で序列が決まり、強い順番に好みのメスを獲得したり、狩りのときの指揮官を選任したり、さらには獲物の分け前などの社会的な順番を決めます。強いオスは集団で狩りをするときはその指導者になり、獲物は最もおいしいところを最初に食べますが、強いオスが栄養が十分にとれるので、それだけ子供も多く作ることができ、その結果としてその群れは子孫が増えて、栄えるという具合です。 一方、力の強いオスが結婚相手に選ぶメスは、肉付きが良く健康で、子供をたくさん産めるメスです。動物のなかにはメスがオスの選択権を持っていたり、表面上はオスが選択権を持っていても、実際はメスがコントロールしている場合もありますが、オオカミの場合にはメスの方にはオスの選択権が無いようです。 それでもいったん夫婦関係にはいると、特別な事情がない限り夫婦は離婚することもなく、不倫を働くこともなく、一生貞節を守り、生涯の伴侶として添い遂げます。そして、夫婦間の愛情は実に細やかで、特に子供を育てるにあたっては、夫婦があい協力して育てるありさまは人間も見習わなければならないほど見上げたものです。 オオカミはもちろん教育は受けていません。人間でも大昔は小学校すら行かなかったのですが夫婦は今より仲が良かったと言われます。どうも、家庭生活が愛情細やかで幸福なのは教育とは無関係のようです。 さて、オオカミの話に戻りますが、メスは二か月ほどの妊娠期間を経て、一回で五頭ほどの子供を産みます。一カ月半ほどで乳離れをするが、おおむね狩りをするのは父親で、母親はもっぱら子供の養育に精を出します。このときでも、父親は家族のために犠牲になります。出産後、父親は一カ月ほどは巣のなかにも入らずに外で暮らし、もっばら餌だけを運び、巣のなかで子供を育てている母親のもとにそっと置きます。 単身赴任で家族のためにせっせと働く人間の父親を思わせる風景です。 このようにオオカミは家族を思う気持ちが強く、家族に依存して生活をしますが、それが裏目に出ることもあります。物事は、何でも良いことだけではありません。何か良いことがあると、だいたいはそれと同じくらいの悪いことがあるものです。オオカミの場合は、あまりに家族思いで家族中心に生活をしているので、いったん、家族が崩壊したらその打撃も大きいのです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 202311209  216

【出版妨害事件】トランスジェンダー「活動家」に屈したKADOKAWA「言論の自由」は死んだ!【デイリーWiLL】

【出版妨害事件】トランスジェンダー「活動家」に屈したKADOKAWA「言論の自由」は死んだ!【デイリーWiLL】

2023年12月8日金曜日

深刻ライブ「話題の本を読みました。そこから見た絶望と希望」

深刻ライブ「話題の本を読みました。そこから見た絶望と希望」

第五章 日本復活のカギを握る“エコロジー”発想 「もの」から「こころ」へで何が必要か

第五章 日本復活のカギを握る“エコロジー”発想 「もの」から「こころ」へで何が必要か 本著では動物の生態、人間の体について多くのページをさいてきました。それは「もの」が無機質で機械的であり、架空の現境を作るものであるのに対して、「こころ」は人間の奥深いところにあり、生命であり、それが本当のものであるからです。それは人間と動物の関係をより密接にするものであり、あまりに他の生命と離れたわたしたちを回帰させるものだからです。 ここに本著を閉じるにあたって、オオカミの夫婦愛を示し、ものの時代に疲れたわたしたちがこころの時代に帰る場所の描写に代えたいと思います。 オオカミは夫婦仲が大変良いことで有名です。一つの群れはだいたい一〇頭程度ですが、一〇頭という数は、一組の夫婦を中心としてその年に生まれた子供、前の年に生まれた子供が集まって一つの群れを作るからです。リーダーは父親で、父親はその腕力で家族の縄張りを確保し、群れの食糧を保証します。そして、何事も起こらなければ、この一つの群れで狩りをしますが、非常のときや大型の獲物を捕るときには数個の群れが協力することもあります。 秋にツンドラ地帯を移動するトナカイの大群を追うときは群れが合同します。時によっては五〇頭ものオオカミが一斉に行動を起こしますが、トナカイの大群を追うオオカミの行動は「狩り」という一つの目的だけを持っているわけではありません。 集団での狩りは同時に、若いオオカミ同士の「お見合いの場」。人間でもそうであるように、多くの場合、血が近い結婚は良い結果を生みません。遺伝学はおろか、祖先からの言い伝えもないオオカミも、できるだけ遠い血と交わるのが種族にとって良いと長い進化の歴史で学んでいます。 この狩りのチャンスを生かして多くの若いオオカミが結婚します。その意味で、トナカイの狩りは「オオカミの集団お見合い」と言えるのです。 オオカミの家族は常に父親を中心に行動します。特に強力な敵が来たときには父親が家族をかばって戦い、母親は子供を連れて避難させますが、父親は自分の命を賭けて敵と戦い、子供を守るのです。敵が自分より強力で死ぬと判っても父親は逃げません。家族のために戦って死ぬのがオオカミです。 一方、父親が戦っている間に、母親は子供を逃がすのですが、オオカミはそのときのために数カ所の巣をもっています。母親は戦いの様子を見て最も安全な巣に子供を移動させるのです。このように、オオカミの夫婦の間には「役割分担」がありますが、それは合理的なように見えます。だからといって人間の夫婦に役割分担が必要とは思いませんが。 ところで、オスの戦闘力はこのように敵と戦い、家族を守るために備わっていますが、発情期のときは別です。オオカミは冬の間に発情し、オスはメスを争って激しい戦いを繰り広げます。 「最も強いオスが望みのメスと結婚する」 というのがオオカミの繁殖の決まりだからです。このルールは多くの動物で採用されていますが、オオカミには特別に 難しい問題があります。あまり戦闘力のない動物の場合にはオス同士は互いの力を存分に出し切って戦ってもよいのですが、オオカミはもともと敵と戦うために鋭い牙や俊敏な運動神経を持っていますので、この武器を仲間との争いに本気で使うと、そのまま仲間の死を意味することになるからです。 そうはいっても、本気で戦わないとどのオスが本当に強いか判らなくなり、ルールが正確に適用できません。そこで、この矛盾を解消するために、オオカミの戦いには「戦いの仁義」、つまり人間で言えば、スポーツのルールに相当する規則を決めています。 オス同士の戦いの場合は、「死を賭けた本当の争い」を「序列を決めるための仮の争い」に転化させるのです。オオカミ の戦いのルールは、「これ以上戦っても勝ち目がないと思ったら、負けた方が急所の首筋を無防備のままにさらけ出す」というものです。戦いに負けたオスが、この姿勢をとると戦いはただちに終わりです。勝利したオオカミはそれ以上は決して攻撃をしません。このようなルールはオオカミばかりでなく、強力な武器を持つ動物が仲間内で戦うときにしばしば見られる仁義で、例えば、猛毒を持つコブラも仲間同士で激しい戦いをしますが、決して仲間の間の戦いには毒は使わないことが知られています。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 202311208  209

2023年12月7日木曜日

環境の三つの意味

環境の三つの意味 最後に、わたしたちが普段、なにげなく使っている「環境」という言葉についてまとめてみます。環境には、少なくとも三つの意味があります。まず、 ● 第一は普通に使われるいわゆる「環境」で、人間に対して外的な存在です。「周囲環境」と言ってもよいでしょう。 周囲環境は本著で「架空である」と表現したように、ものの時代に破壊されてしまいました。だから、わたしたちはそれを作り直す必要があります。それも、日本中をコンクリートで固める前に思い直さなければなりません。 そしてこれから作り直す周囲環境は、「ものの時代」の名残をいっさい消し去るくらいの覚悟が必要です。例えば、ガラスのリサイクルが進められていますが、ガラスのリサイクル自体はそれほど問題はありません。リサイクルしやすいガラス製品は、混じると性能が落ちるアルミニウムを丁寧に除いてリサイクルすれば有効でもあります。 そのなかで、ガラスをリサイクルするとクロムという元素が徐々にたまる問題もあります。こちらの方は、環境という意味で別の問題を投げかけます。クロムの蓄積は、ガラスが汚いグリーンの色に染まる結果をもたらします。 「ものの時代」には環境を次のように考えます。 ……ガラスはリサイクルした方がよい。ものは大切にしなければならない。色が少しぐらい汚くても、ものを大切にすることの方が重要だ……。 それに対して「こころの時代」はこう考えます。 ものは大切にした方がよいが、それより大切なのはこころだ。汚い色のビンに入った飲みものを飲むくらいなら飲まないほうがマシ。 ● 第二の環境は自分の体とこころです。それについても本著では宇宙人や骨が盗まれる、そしてお酒などを例にとって説明をしました。現境は周囲環境だけで成立しているのではありません。 いかに優れた自然環境が提供されても、それを受け止める体とこころがなければムダというものです。その点で、環境とは、周囲環境と、自分という一つのまとまった宇宙としての、内的環境があることを指摘したいと思います。 著者の友人で自然派の人がいます。その人があるときこのように言いました。 「北海道に自転車旅行に行ったときのことです。そのとき、強烈に感じたことがあります。それは不思議なことに、それまでオートバイで行ったときと同じ景色を見ているのに、自転車で行ったときの方がものすごく美しいのです!」 額に汗をかかなければ景色は美しくない……このことは、環境が周囲環境と内的環境でできていることを端的に示しています。そして、 ● 第三の環境は人間のつながりでできる「つながりの環境」です。 この社会は、自然や人工物というもので組みあがった環境(周囲環境)と、人間の体とこころという環境(内的環境)、そして、多数の人間がお互いの関係で成立する「情報環境」でできているように思われます。この人間同士のつながりによってできる環境はまだ明確にその存在が示されているわけではありませんし、自然や人工物のように物質で示すこともできません。しかし、多数の人間がかもしだすある特定の情報は、それが組み合わさり、常に高密度の情報が交換され ることによって実体をもつものになっているように感じられるのです。そしてこの傾向はインターネットなどの情報技術が進んだ世界では、より主要な役割を果たすようになると考えられます。 生物の世界には原始的なボルボックスの生態研究などである程度、研究が進んでいますが、まだ「環境」という視点ではとらえられてはいません。ただ、本著が時間、感動、そして愛用品について触れたのは、環境が単なる周囲環境や内的環境にとどまらず、人と人の関係によって生じる情報環境にも目を向けてもらいたいとの願いからです。 わたしたちは、人類の叡智を信じたいと思います。それは地球上のすべてのものを食べ尽くす凶暴な草食動物ではなく、部分の正しさを主張して全体を見失うほどおろかでもない、そういう存在でありたいと願います。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 202311207  209