何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
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2023年11月14日火曜日
「個別の正しさ」に基づく「増産の原理」
「個別の正しさ」に基づく「増産の原理」
この「個別の正しさ」に基づく「増産の原理」は日本の産業界全体をおおっています。この原理から逃れられる会社の社長さんがいたら、その人こそ、日本人のことを本当に考え、日本の将来を語れる指導者と言えるでしょう。多くの社長さんは、なんとかして環境にも貢献したい、それでも会社が潰れたら従業員や株主に申し訳ない、どうしようもないという狭間にいて、苦しんでいるのです。国民はそのとばっちりを受けて毎年、お酒を余計飲むようになります。
お酒は必ずしも体に悪いわけではありません。アルコールを飲めば気分が陽気になるし、血行も良くなりますし「酒は百薬の長」と言われるくらいですから健康に良いとも言えます。全くお酒を飲まない人を基準にすると、一日一合(約一八〇CCのお酒(ビールなら一本弱)を飲む人の死亡確率は 〇.八七とお酒を飲まない人より低くなっています。つまりお酒は健康に良く、飲むことで寿命が長くなるようです。
でも、「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、二合以上飲むと死亡確率が高くなり、一日四合も飲む人は飲まない人に比べて三割も死ぬ確率が高くなるという結果が得られています。また、適量の一合飲む人と四合以上飲む人では実に五割も死亡確率が変わるのですから、お互いに注意しましょう。
一方、もし日本の酒造メーカーが計画通りアルコールを年率四パーセントで増産することに成功したとします。そうすると酒造会社は業績が安定して潰れませんが、そのお酒を飲むのは口本人ですからわたしたちは一八年で二倍のアルコールを摂取しなければなりません。また、会社は十年で潰れてよいというわけにもいきませんので、会社が三〇年間安定であるとすると、わたしたちは現在の三倍以上のアルコールを飲むことになり、会社が潰れなければこちらが潰れると、いうことになります。この関係を(下の図)一四三頁に示しました。

人間の体は限界がありますが、企業は限りない成長を求めます。それはやがて限界点を越えることになります。限界点を越えると、欲望としてはお酒が飲みたいのですが、生物としての体は、アルコールを増やしてもらうのは迷惑になっています。それでも、会社は日本人の肝臓の強さによって原理原則が変わるものではありませんから、相変わらず一年に四パーセントずつ販売量を増やし、一八年に二倍のお酒を造ることを計画していくのです。 個別の会社の発展は「個別の正しさ」ですが、日本全体で酒造会社がもつ責任は「お酒で国民を肝臓病にしない」ということです。酒造会社の組合や連合会などの全体のための組織が全体としての正しさに向かって動くことを望みます。 製造と消費のこの矛盾した関係をバートランド・ラッセルは近代社会と道徳の本質的なものとしてとらえ、次のように言っています。 「ある時点に、ある数の人間がピンの製造に従事しているとしよう。彼らは世界の人間が必要とするだけのピンを(たとえば)一日八時間の労働でつくっているとする。同じ数の人間が以前の二倍のピンをつくることのできるような発明がなされたとする。しかし、世界は二倍の数のピンを必要としない。ピンはすでに非常に安いので、より安い値段でそれ以上購入されることはほとんどないであろう。賢明な世界ではピンの製造に携わる人がすべて八時間のかわりに四時間の作業をするようになり、他のすべては以前のとおりに進むであろう。しかし現実の世界ではこれは不道徳的であると考えられるであろう。彼らは依然として八時間働き、あまりにも多くのビンがつくられ、幾人かの雇用主は破産し、以前ビンの製造に従事していた人の半数は失業してしまう。」(Bertrand Russell, In Praise of Idleness and Other Essays (London: Allen and Unwin, 1935)) もともとみんなが欲しくないか、あるいは欲しいものに気がついてないものを作り、それを全カで売り込む方法が知られています。これを「需要を喚起する」「内需を拡大する」あるいは「需要を創生する」と表現します。 このうちでも特に「需要を創生する」というのは「ものの時代」の典型的な道徳です。この言葉は、もともと社会が必要と考えていなかったものを創造し、それを製造して売り込むというものです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231114 142

人間の体は限界がありますが、企業は限りない成長を求めます。それはやがて限界点を越えることになります。限界点を越えると、欲望としてはお酒が飲みたいのですが、生物としての体は、アルコールを増やしてもらうのは迷惑になっています。それでも、会社は日本人の肝臓の強さによって原理原則が変わるものではありませんから、相変わらず一年に四パーセントずつ販売量を増やし、一八年に二倍のお酒を造ることを計画していくのです。 個別の会社の発展は「個別の正しさ」ですが、日本全体で酒造会社がもつ責任は「お酒で国民を肝臓病にしない」ということです。酒造会社の組合や連合会などの全体のための組織が全体としての正しさに向かって動くことを望みます。 製造と消費のこの矛盾した関係をバートランド・ラッセルは近代社会と道徳の本質的なものとしてとらえ、次のように言っています。 「ある時点に、ある数の人間がピンの製造に従事しているとしよう。彼らは世界の人間が必要とするだけのピンを(たとえば)一日八時間の労働でつくっているとする。同じ数の人間が以前の二倍のピンをつくることのできるような発明がなされたとする。しかし、世界は二倍の数のピンを必要としない。ピンはすでに非常に安いので、より安い値段でそれ以上購入されることはほとんどないであろう。賢明な世界ではピンの製造に携わる人がすべて八時間のかわりに四時間の作業をするようになり、他のすべては以前のとおりに進むであろう。しかし現実の世界ではこれは不道徳的であると考えられるであろう。彼らは依然として八時間働き、あまりにも多くのビンがつくられ、幾人かの雇用主は破産し、以前ビンの製造に従事していた人の半数は失業してしまう。」(Bertrand Russell, In Praise of Idleness and Other Essays (London: Allen and Unwin, 1935)) もともとみんなが欲しくないか、あるいは欲しいものに気がついてないものを作り、それを全カで売り込む方法が知られています。これを「需要を喚起する」「内需を拡大する」あるいは「需要を創生する」と表現します。 このうちでも特に「需要を創生する」というのは「ものの時代」の典型的な道徳です。この言葉は、もともと社会が必要と考えていなかったものを創造し、それを製造して売り込むというものです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231114 142
2023年11月13日月曜日
“効率”が環境を破壊する
“効率”が環境を破壊する
人間、そして生物は、もともと、どのようにできているか、章を終わるにあたって、二〇世紀の社会、効率を第一にする社会が、どのように環境に影響を与え、わたしたちの体にどのような攻撃をしてくるのかを「お酒の生産」と「飲酒癖」を中心として整理をしたいと思います。
この節で説明したいことは、お酒の販売競争のことや経済活動ではありません。人間の社会は「発展」「成長」そして「競争」をもとにして組み立てられています。それに対して自然は「進化」「持続」そして「共存」で成立しています。つまり、人工的な社会環境と自然の環境を形作っているものの違いを明らかにすることです。
二〇〇〇年のある日の新聞にビール会社の決算が発表されました。それによるとそのビール会社の年初の計画では、アルコールの販売撮を前年度比七パーセント増に設定してあったのですが、現実には販売量がそれほど伸びず、二パーセント程度になったこと、それによって約 一〇〇億円ほどの赤字になったことが報じられていました。
もともと製造会社はその会社の持つ技術や伝統をもとにして、製品を作り、その製品に適正な利益をのせて販売します。「適正は利益」というのは、社会に対してその会社が貢献している分だけいただく、という意味です。個人でも苦労して仕事をしてもらったときにはそれなりの謝礼が必要で、それと同じと考えたらよいでしょう。そして、それによって会社は収益をあげ次の仕事の資金にします。
ところが、現代の会社のシステムでは、毎年、同じ金額を売り上げていては赤字になるので、「売上高」を増加させなければならないのです。例にあげたビール会社が去年の販売量に対して七パーセントも多く売ろうとするのがその例です。
どうしてこのような変なことになるのでしょうか?
日本ではメーカー同士が激しい技術革新をしています。去年より今年、今年より来年というふうに毎年、新製品を開発し、少しでも安く効率的に生産する方法を開発します。さらに作った製品の移動・管理の方法や販売ルートも毎年、改善されていきます。このことは消費者にとってはとても良いことで、少しでも安く良いものを買うことができます。
しかし、会社にとっては辛いことになります。製造したり販売したりするものは少しずつ安くなりますが、一方では従業員は毎年一歳ずつ歳をとりますし、生活水準も向上していきますので、給与は高くなっていきます。しかも、日本のような終身雇用制度の場合には解雇も自由にはできません。
もし、製造方法が改善されて、去年は一〇人でやっていたものを今年は八人でできるようになっても二人を解雇することはできません。売上高を維持するには二割余計に作って売ることになります。まして日本にビール会社は数社あり、激しい競争を展開しています。このような販売競争のなかで販売価格を高くすることができず、もし、値段が一割も下 がりますと、また製品を一割多く売らなければなりません。
このように、どんなに経営力のある社長がいても、この原則の前ではほとんど無力。ただ販売量の増加に邁進するしかないのです。
例にあげたビール会社の場合でも「おいしいビールを作ってお客さんに喜んでもらう」ということだけでは会社が持たず、毎年七パーセントも販売鼠を増大させていかなければならないということになります。この事情は他のビール会社やお酒を扱っているメーカー・販売会社も同じですから、結局、日本全体の酒類の生産凪は増大する結果を招きます。日本人は常に「アルコールをもっと飲め」というプレッシャーのなかで生活をすることになるのです。
実際には、販売量が落ちる会社もあって、日本の純アルコールの摂取鍼は毎年、おおよそ四パーセント増えています。毎年、四パーセントの増加ということは、一八年に二倍という量です。
つまり、一八年前と比べるとお酒を二倍飲んでいることになります。
平均的な飲酒の量が増えると、大量にお酒を飲む人も増えて来ます。それが日本人の健康や社会に良いかどうかという「全体としての正しさ」は問題にされません。お酒の会社が個別に生き残れるかだけが問題になります。その点で「個別の正しさ」が強調されているのです。
『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊)
20231113 140
2023年11月12日日曜日
免疫力を低下させる「抗菌剤」
免疫力を低下させる「抗菌剤」
同じような例に「抗菌剤」があります。
人間は四五〇万年前に誕生して以来、他の生物と共存してきました。「他の生物」はウマやウシ、ヤギなどの家畜はもちろん、鳥や獣、魚との共存も大切でした。そればかりではありません。人間の腸のなかには多くの細菌が生きていて消化を助けたりしています。
また、人間の環境は「良いもの」だけに囲まれて生活をしているわけではありません。多くの細菌は人間の命をも奪いかねませんが、そのような危険な細菌も人間にとって何らかの役割を果たしていると考えるべきなのです。
現代の社会は「現実を喪失」しているところがありますから、目に見えない細茜を怖がり、「抗菌剤」を使った商品が誕生してきました。もちろん衛生状態は良くなければなりませんが、それは普通の生活をしていれば体の防御反応が有効に働くのであり、もし、そうでなければ人間はとうの昔に死に絶えています。
ところが現代は架空の環境のなかで、頭脳だけが異常な反応をします。そして「どんなものでも細菌があっては困る」という極端な潔癖症が生まれ、抗菌剤で囲まれた生活を送ります。人間にとって細菌が要らないと言っているようです。
もともと土のなかには何億という細菌や微生物がいて、その土を裸足で踏んでいるから人間は健康という側面があるくらいですから、日本のように土足で家のなかに入らない国民は十分に綺麓な環境に住んでいるのです。
さらに抗菌剤を使うので免疫力が低下し、それを狙って細菌が繁殖します。例えば、腸球菌という細菌は、二〇年ほど前に病院で見られるようになった耐性菌で、免疫力の下がった人を狙って、尿感染症、創傷感染を起こし、治療が不能であると言われました。つづいて、一〇年ほど前にはアシネトバクター属といわれるものが出現、免疫力の下がった患者が敗血症になる例が見られるようになったのです。
もともと人間を含めた生物は他の生物との共存によって生きていること、他の生物は細菌や微生物も含まれることを忘れかけているのです。
このような仕組みで、より複雑な例を示します。
それは、なぜ人間が老化するのかという研究です。最近では、人間が老化するのは、人間のDNA内の端の部分が年齢とともに徐々に短くなり、それが死ぬ準備をしているということが判ってきました。このことをより本質的に表現すると、体のなかのDNAが体細胞を捨てたいと考えるからだと言われています。
生物の体のなかの追伝子、つまりDNAは「からだ」自体ではありません。
DNAにとっては体は「自分の宿主」にしかすぎませんので、生物としての体が弱ってくるとDNAも住み心地が悪いので、新しい体に変えようとします。これが生殖活動であり、子供という新しく新鮮な体の生命に「DNA」が移動するのです。
ウェステンドルフ博士はごく最近、一七柑紀から一九世紀のイギリス貴族の家系データを調べ、死亡年齢別の子供数を集計しました。それによると六〇歳までは長生きする貴族ほど子供数が多かったのですが、七〇歳、八〇歳と当時としてはかなり長生きする人の場合には子供数が減っていることが判ったのです。つまり、この結果は、「早く死ぬ体質の人は体の抵抗力が低く、DNAの補修能力も低いのですが、その場合は子供をたくさん作り、反対にDNAの補修能力が高い人はそれだけDNAにとっては安全なので、子供を産む能力が弱いことを示している」と解釈されて、ショウジョウバエなどの実験動物でも観測されています。
この事実は自然が常に全体の調和をよく考えていて、全体のためには「部分的な正しさ」を犠牲にしていることが判ります。また、人間の集団である社会にも深い意味を持っています。もし、長寿によって子供の面倒をより長い期間にわたって見ることができるようになると、DNAは生き残こるチャンスが増えるので子供をより少なく作るようになると考えることもできます。そのために、現代の日本で一人の女性が出産する子供の数が減るのは、女性の教育水準の向上や女性の自立能力が高くなるなどに帰する考えもありますが、DNAの指令とも言えるのです。さらに、うがった見方をすると、内分泌撹乱化学物質によって男性の精子の数が減少していると言われていますが、もう少し視野を広くして見ると、DNAが男性の精子の数を減らしつつあるともとれます。
生存環境の悪い社会ではそれほど多くの生命を維持できません。そのために、DNAは様々な方法で出生率を低下させ、全体としての調和をはかっているのでしょう。
一日でも寝ていると骨のカルシウムが失われるように、体の順応力は、いらないと判断するとすぐその機能を捨てようとしますし、反対に危機と感じたらそれに敏感に応じるだけの用意もされています。ウエステンドルフ博士の研究のように、一つ一つのことを取り上げるといかにも正しいように見えても、全体として考えるなら不都合だというときに、「部分的な正しさ」を重んじるか、それとも全体の調和を考えるかというときになると、生物はとたんにその態度を変えているのが判るのです。
『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊)
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