何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
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2023年10月18日水曜日
地雷排斥運動よりもっとほかに……
地雷排斥運動よりもっとほかに……
その一つの例が「地雷排斥運動」です。
手榴弾(しゆりゆうだん)や地雷のような小型の爆弾の場合は、脚や手をもぎとられます。それを見るといかにも残酷ですから、平和運動に関心のある人や、こころのやさしい人たちが「地雷をなくす運動」をおこします。たしかに、地雷の被害に遭い片足をもぎとられた子供を見ると可哀想でなりません。一刻も早く、その子供たちを救い、幸福な人生をと願います。
「部分的」にはまったく正しいのです。
しかし、わたしたちは同時に、全体のことも考えなければならないでしょう。
地球上にはあの八月六日の広島に落とされたものと同じ原子爆弾が一万発分以上もあります。第二次世界大戦後の人類は、一つの狂気に支配されてしまいました。そして、たった一発の原子爆弾でも極悪非道なのに、その原子爆弾を一万発分も作ってしまったのです。そして、冷戦の終わった今でも、膨大な数の爆弾は、いつでも使える状態でわたしたちの頭上を脅かしているのです。
それでも、そして日本はこの極悪非道な兵器の被害を受けた世界で唯一の国であるにもかかわらず、廃棄運動はそれほど盛り上がりません。もう一度、強調したいのですが、「広島に落ちた原子爆弾と同じ威力の爆弾が一万発分以上」世界にあるのです。ひとたび戦争が起きたり、戦争にはならなくても何かの間違いでそのうちの一つでも炸裂したら、その悲惨さは地雷どころではありません。
「地雷排斥運動」が悪いということはありません。そして、「地雷」の悲惨さにこころを痛めるのは当然です。しかし、それより命や 環境を大事にするときには、「目に見えるものだけに注目する」というのでは限界があります。
もし、本当に地球の環境というものに強い関心を持つとすれば、地球上の人間が何回も殺される兵器がある、ということが大きな汚染源として感じられると思うのです。それと同時に、わたしたちの周辺にあるゴミや、毒性のある物質が漏れる廃棄物貯蔵所よりなにより、大量の核爆弾の存在が気になってしかたがないはずです。
「環境」は「全体」であり、「調和」です。一見して善いこと、現境に良い活動のように見えるものが、実は環境全体に痛手をおよぼしていることも多く見られます。つまり、善意が、かえって社会全体として、命を軽視したり、本当の環境問題を隠すことになっていたら残念です。
環境問題への取り組みでは、「まず、自分でできることから」、「市民としてできること」と言われます。そのような考え方や行動は、「地球環境を守りたい!」という善意からスタートしてはいますが、危険な側面を持っています。それは、「部分的な正しさ」を求めるあまり、その本来の目的である「環境」を壊すことが多いからです。
全体を見る目を失い、冷凍食品や空中の就寝がわたしたちの感覚を失わせ、矛盾に気がつかなくなっているのです。
それは、アンデルセンの話に出てくる『裸の王様』に似ているように感じます。自分は何も着ていない裸なのに、取り巻きの人たちが「素晴らしい洋服です」と誉めれば、そう思ってしまう、子供が見ればどう見てもその王様は裸なのに、大人たちはそれを認めない。
「自然との共存」と言いながら、コンクリートで土を覆い、その下で全滅する虫の叫び声が聞こえない。
小学校は「ゆとりの教育」を教育目標に掲げて授業時間を減らし、小学生は学校が終わると塾に走って行き、さらにゆとりが無くなる。
大学を「最高学府」と称し、そこで勉学に励むはずの大学生は四年間全く勉強しないで卒業したいと願う‥‥昭和の初めに比べれば、生産効率は飛躍的に向上しているのに、働く時間は増え続けて、むしろ年々、時間に追われるようになった。
倫理が叫ばれ、成人式の若者の振る舞いに眉をひそめているのに、その当人は赤信号を平気でわたる。
このようなことが環境でも同じように見られます。次章で本当の喋境と見かけの環境を取り上げてみたいと思います。
『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊)
20231018 49
【宮沢孝幸】命がけの告発!ウイルス学者の絶望と苦悩【デイリーWiLL】
【宮沢孝幸】命がけの告発!ウイルス学者の絶望と苦悩【デイリーWiLL】
日本人は勧善懲悪が大好きです。でも、世の中は必ずしも善人が勝ち進んでいることは稀です。悪貨は良貨を駆逐する、の言通り、長いものには巻かれろ、で何も言わずにへらへらしているのが良いのでしょうか。私は、黙ってそんな奴らに自分の命を差し出すようなことはできません。
2023年10月17日火曜日
人類初の原子爆弾
人類初の原子爆弾
その第二ステージはアメリカで起こります。第二次世界大戦も終わりの頃の一九四五年七月一六日、アメリカのニューメキシコ州「ホルナダ・デル・ムエルト」に「世界の頭脳」が集結して、人類初の原子爆弾の実験が行われました。
予想されていたとはいえ、そのすさまじい爆発の威力に、それを見たすべての人に強烈な印象を与えたのです。当時、迫害を逃れてイタリアから移住し、初期の原子力科学をリードした、天才エンリコ・フェルミは、爆風で飛んできた紙切れをみて、爆発のエネルギーを計算したと言い伝えられています。
このエピソードはフェルミの頭の良さを物語るものですが、それほど頭の良い世界の頭脳が集まったのに、あの爆弾を市民の上に落としたら、その下で何の罪もない少年少女が地獄の苦しみを味わうという当たり前のことすら気がつかなくなったのです。頭の悪い人たちです。
「現代は想像力の欠如の時代」と言われますが、まさにそれは「ホルナダ・デル・ムエルト」で始まったとも言えるでしょう。
そして第三ステージは中東です。
一〇年ほど前、イラクのフセイン大統領のクウェート侵略に端を発して「湾岸戦争」が起こりました。国連軍を主とする、いわゆる多国籍軍の爆撃は全世界にテレビ放映され、その画面は居間に入りこみ、弾頭にテレビカメラを装着した巡航ミサイルがイラクの施設を爆撃する様子を映しだしたのです。
戦闘はむごたらしいもので、血の通った人なら、平静な気持ちでは人の死を見ることができないものですが、この湾岸戦争では、お茶の間で、しかも自分の楽しみのために人が死んでいくのを見物したのです。
イラクがいくら遠い国でも、日本とは違う砂漠の国であっても、そこに住んでいる人は日本と同じ、おそらくは現代の日本人より人情の深い、素晴らしい人たちかもしれません。そして、砲弾がイラク軍の戦車に炸裂すれば、その戦車のなかにいる兵士はあえない最期をとげます。
それでも、兵士は死を覚悟して戦場にでているのですから、ある程度はしかたないかもしれません。しかし、その兵士には愛する家族や、彼を心配している母親もいます。その人たちは自分の家族が国を守るために出征しているとき、愛する人がのっている戦車が砲撃を受けるのを見ていられるでしょうか?
人間のこころの憤れや変化は恐ろしいほどです。機関銃は目の前でばたばたと倒れていく人間を人形のように見る術を人間に与えました。あまりに連続的な死は一人ひとりの死の苦痛を感じさせなくなったのです。原子爆弾は、その力があまりにも大きいために、人の想像力を超えていたようです。そして、湾岸戦争ではテレビでした。映像は「バーチャル・リアリティー」と言われますが、実際には、リアリティー(現実感)を持たない、架空の世界のできごとのようにわたしたちに語りかけたのです。
いったい、機関銃や原子爆弾、そして巡航ミサイルはなんのために創造され、誕生してきたのでしょうか? もちろん、人間を殺すためです。機関銃はそれまでの小銃に比べて、格段に高い「効率」で人間を殺せるようになりました。機関銃ができてみると、いちいち、引き金を引くたびに一発しか弾丸がでない小銃はバカらしくなります。それより、一度、引き金を引けば数十人を殺せる方が「効率的」であるのは間違いありません。
さらに、原子爆弾の殺人効率は抜群です。一発の原子爆弾を使えば、一〇万人を殺傷することができ、さらに水素爆弾を投じれば、一〇〇〇万人も一度に殺すことができるのです。目的さえ間違っていなければ、こんなに「効率」が良い方法はありません。
しかし、原子爆弾で判ったことは、人間はすでに一度に一〇万人も殺傷する兵器を前にして、その想像力が追いつかなくなったということです。「これを使ったらどうなるか」が判らないで使うほど恐ろしいことはありません。そして、それが現実に、広島、長崎で起こったことなのです。広島、長崎でわたしたちが学ぶことの.一つは、単に戦争が悲惨であるということに加えて、感性が乏しくなり、想像力がなくなることの恐ろしさでしょう。
湾岸戦争もそうでした。テレビ画面で見る映像から、わたしたちの感性が、どの程度の範囲を感じることができるのか、その限界を示したのです。あのテレビを見ていた多くの人たちのなかには、目の前で人が殺されるのをとても見ることができない、人間性豊かな人だったと思います。本来、人間性豊かで、繊細な人が、「巡航ミサイルがイラクの戦車を破壊する」という画面では、想像力が働かないのです。
目の前にある「ほんの小さなこと、手に触れるもの」は、気がつき、それが気になってしかたがないけれども、「大きなこと、全体的なこと、そして遠くのこと」に対しては、感受性が失われてきているのです。
『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊)
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