
佐久には、つらいことばかりが、あったわけでは、ない。
優しい、友も、何人か、できた。季節に、なれば、リンゴ狩りを、手伝った。土地の人と、汗を、かき、笑った。切り詰めた、暮らしの中で、そういう、温かさが、確かに、あった。
彼が、下宿していた、その周りは、一面の、リンゴ畑だった。
季節に、なると、落果が、たくさん、あった。枝から、落ちた、リンゴが、土の上に、転がっている。彼は、それを、箱に、詰めて、持ち帰った。当時は、リンゴの、コンポートにも、挑戦していた。煮詰めた、その甘い匂いが、安アパートの、台所に、満ちた。
けれど——これは、苦い、思い出でも、ある。
きれいごとは、言うまい。落果も、本来は、畑の、持ち主のものだ。それを、断りもなく、持ち帰った。理屈で、言えば、盗みだった。彼は、それを、盗みではない、とは、言わない。盗んだ、のだ。
ただ——ふと、思う。戦後の、混乱の頃、秩序を、守るべき、お巡りさんでさえ、闇市の、品を、買って、糊口を、しのいだ、という。あの時代の、ぎりぎりの、暮らしと、どこか、似ていたのかもしれない。罪は、罪だ。けれど、人には、生きねばならない、瀬戸際が、ある。彼も、その、瀬戸際に、いた。落ちたリンゴの、甘さの中に、ひとさじの、後ろめたさが、いつも、混じっていた。
そして——その、切り詰めた日々にも、終わりが、来る。
二〇〇八年。リーマンショック。世界の、経済が、軋み、揺れた。その波は、佐久の、ブレーキパッドの、会社にも、及んだ。
大きな、成果を、出せなかった、彼は——おそらく、真っ先に、切られる側の、一人だった。年齢は、五十六歳。一般の、企業なら、肩たたきで、追い出される、歳だった。海外部の、次長として、入った。けれど、インドの、工場は、思うように、ならず、世界は、不況に、沈んだ。彼の、居場所は、消えた。
また、職を、失った。
人の、ストレスには、大きなものが、三つ、あるという。一つは、肉親の、死。二つは、失職。三つは、病。彼は、その、三つを、すべて、知っていた。先妻を、失った。職を、何度も、失った。そして——病も、抱えていた。
糖尿病である。
それが、判明したのは、メルセデス・ベンツ日本の、時代だった。大型トラックを、乗り回していると、急に、胸が、苦しくなった。医療機関に、かかると、肺に、影が、あった。肺炎だった。そして、精密検査で——血糖の、値が、振り切れていた。HbA1cが、十六近く。即、入院だった。糖尿病の、治療も、含めて、人生で、初めての、入院だった。
その数値を、見た、担当の医師が、彼に、言った。
「よく、生きているな」
本来なら、倒れていても、おかしくない、数値だったらしい。それでも、彼は、ぴんぴんと、していた。入院中、食事は、一日、千二百キロカロリーほどに、絞られた。外出は、許されたので、彼は、芝の、病院を、中心に、半径、五、六キロを、毎日、歩き回った。体重は、十五キロ、落ちた。その頃の、写真が、今も、残っている。
四十年後の今、振り返って、思う。
「よく、生きているな」と、医師は、言った。彼は、そのとき、こう、答えたく、なった。けれど、言わなかった。——自分の、名前は、健康の分野が、百点なのです、と。
牧先生から、いただいた、名だった。環境も、自分も、ともに、百点。健康も、百点。だから、こんな数値でも、生きている。二度、三度と、遭った、交通事故でも、彼は、かすり傷ひとつ、負わなかった。何度かの、命の、危機を、いつも、間一髪で、堪えてきた。
これを、名前のせいだ、と、言えば、たいていの人は、眉を、顰めるだろう。迷信だ、と、笑うだろう。それは、わかっている。けれど——事実は、事実として、ある。HbA1c十六で、生きていた。事故でも、無傷だった。その、いくつもの、間一髪を、彼は、確かに、くぐってきた。名が、守ってくれている。彼は、そう、信じている。
だからこそ——つい、無茶を、してしまうのかもしれない。守られている、という、安心が、どこかで、彼を、大胆にする。それは、苦笑とともに、認める。名は、彼を、守る。けれど、名に、甘えて、命を、粗末には、できない。それも、また、わかっている。
失職した。病を、抱えていた。五十六歳で、また、振り出しに、戻った。それでも、彼は、生きていた。生かされて、いた。
そして、何より——彼は、自分の、名前が、好きだった。
牧先生が、彼のために、選んでくれた、その名。環境と、自分と、健康が、百点の、その名。何度、谷に、落ちても、その名とともに、彼は、立ち上がってきた。名を、好きだということは、自分の生を、肯定するということだった。師への、感謝でも、あった。どんなに、つらい、五十六歳の、冬でも、その一点だけは、揺るがなかった。
生かされて、今を、存在する。
HbA1c十六で「よく生きているな」と言われ、五十六歳でまた職を失っても、健康百点のこの名とともに、間一髪を堪えて生きてきたことを、そして自分の名前が好きだということを、四十年後の今、自分は、確かに、覚えている。
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