
ベンツの、商用車が、撤退したあと。彼は、また、職を、変えた。
次は、生命保険だった。アクサ生命。彼の、仕事は、保険を、売ることだった。
なぜ、金融の、世界を、選んだのか。今、思えば——あまり、深い、考えは、なかった。彼は、それまで、ずっと、メーカーばかりを、歩いてきた。日産も、ベンツも、ものを、作る、世界だった。だから、今度は、毛色を変えて、金融に。その程度の、単純な、判断だった。後から、振り返れば、自分の肌にも、師の教えにも、合わない世界だったのに。あのときは、そこまで、考えが、及ばなかった。
顧客には、土台が、あった。商工会議所の、会員企業である。新しく入った者は、まず、その会員の、ところへ、保険を、勧めに行く。その意味では、まったくの、飛び込みだけの、世界とは、違っていた。
けれど、すでに、顧客となっている企業から、新しい保険を、引き出すのは、至難だった。もう、入るものには、入っている。そこから先は、どうしても、新規の、開拓が、要る。つまり——見知らぬ扉を、叩くことに、なる。
その、飛び込みが、彼には、できなかった。
どうしても、できなかった。見知らぬ人の、暮らしや、商いの中へ、いきなり、踏み込んでいく。その一歩が、どうしても、踏み出せない。性格に、合わなかった。成績は、上がらなかった。当然だった。
当時の彼は、ただ、悩んでいた。
自分は、営業の、才が、ないのではないか。これだけ、長く、車を、売ってきたのに。なぜ、保険は、売れないのか。自分が、悪いのだ。自分の、能力が、足りないのだ。そう思って、彼は、自分を、責めた。真剣に、深く、責めた。
そのころの彼には、それ以外の、見方は、なかった。組織が、求めることが、できない。それは、ただ、自分の、不足だと、思っていた。ほかに、理由が、あるなどとは、考えもしなかった。
四十年後の今、振り返って、思う。
あれは、ただの、能力不足では、なかった。
人には、得手と、不得手が、ある。誰にでも、向く仕事と、向かない仕事が、ある。それなのに、その組織は、すべての人間に、同じように、飛び込みを、命じた。一人ひとりの、性質を、見ずに。型に、はめて。彼が、なじめなかったのは、その、画一の、やり方の、ほうだった。自分が、悪かったのでは、ない。ただ、合わなかった。それだけのことだったのだと、今なら、わかる。
そもそも——メーカーばかりだったから、たまには金融を、という、あの軽い判断が、もう、つまずきの、始まりだったのかもしれない。人は、時に、たいして考えもせず、人生の、舵を、切る。彼も、そうだった。
そして、もうひとつ。今だから、見えることが、ある。
彼の体の、奥には、田中喜助先生の、教えが、染みついていた。
田中先生は、ゼミ生に、ものづくりの、企業を、勧めた。金融や、マスコミのような、世界へ、進むことを、よしとされなかった。お金が、お金を、生む——その図式を、どこか、胡散臭いと、感じておられた。当時、流行していた、マルクス経済学の、破綻を、理論として、見抜いた、慧眼の師。その先生は、弟子たちが、ものを、作らない世界へ、入ることを、望まなかった。
金融や、マスコミは、口先だけだ——と。言い過ぎかも、しれない。先生も、彼も、それは、わかっていた。けれど、その根には、ものを、作るということへの、深い、敬意が、あった。
保険を、売ることが、悪い、というのではない。それで、救われる人も、いる。立派な、仕事だ。ただ、彼の体には、師から、受け継いだ、ものづくりへの、敬意が、染みついていた。だから、金が、金を、生む世界の、入り口で、彼の心は、無言のうちに、立ちすくんでいた。飛び込めなかったのは、性格のせいだけでは、なかったのかもしれない。
けれど——もう一度、言う。当時の彼は、そんなことは、何も、わかっていなかった。ただ、自分を、責めて、うつむいて、次の扉を、探していた。筋が、見えるのは、いつも、ずっと、後のことだ。
生かされて、今を、存在する。
見知らぬ扉を、どうしても叩けず、ただ自分の能力のなさを責めていた、あのアクサ生命の日々を、四十年後の今、自分は、確かに、覚えている。
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