流しソーメンと、ウォール街の同じ不安
—— 「電任」という考え方
この七月、自習室で流しソーメンの会を開こうと思い立ちました。子どもたちの夏の、ささやかな行事です。段取りを考えるにあたって、私は対話AIのジェミニに下案を頼みました。竹の樋をどう組むか、水と氷はどれだけ要るか、薬味や受け皿、雨天のときの代替案——必要なものを一通り並べてもらい、それを土台に進めるつもりでした。
ところが、仲間の一人が眉をひそめました。「AIの言いなりになるのか」と。
私とは、ものの考え方がちょうど裏返しの人です。だから、その反応もよく分かります。自分の頭で一から考える——それはたしかに尊い行いで、賞賛されてよいものです。私もそれを否定する気はまったくありません。
ただ、私の出発点は少し違います。イベントの段取りというのは、半ば型が決まっています。流しソーメンに、誰も思いつかなかった独創など、そう必要ない。竹を割り、水を流し、人が集まって笑う。その型のところに自分の貴重な時間を注ぎ込むのは、私にはもったいなく映る。空いた時間で、ほかにやるべきことがあるからです。
—— そして面白いことに、この自習室の台所くらいの小さな話が、いまウォール街を騒がせている大問題と、根がまったく同じなのです。
「バイブ・スロップ」という新しい言葉
2026年5月、二人の著名な技術者が、ウォール・ストリート・ジャーナルである警告を発しました。彼らはそれを「バイブ・スロップ」と名づけました。
「バイブ・コーディング」とは、ふだんの言葉でAIに「こういうものを作って」と頼み、ソフトを書かせてしまう手法のこと。「スロップ」とは、ネットにあふれる低品質なAI生成物を指す、いわば「やっつけ仕事」の意味です。この二つを掛け合わせて、「速さにまかせて吐き出された、中身のいい加減なコード」を皮肉る言葉が生まれました。
実際、いまや開発者の9割超が日常的にAIに手伝わせ、新規コードのおよそ半分がAIの手によると言われます。ところが、そのコードへの信頼度は、数年のあいだに77%から60%へと下がりました。「普及は勝った。だが品質の戦いはこれからだ」——そういう局面です。
警告した技術者たちの不安と、流しソーメンに反発した仲間の不安は、言葉こそ違え、同じところから出ています。「人が、自分で考えることを手放してしまうのではないか」という不安です。
この不安は、いつの時代にもあった
けれど、立ち止まって歴史を振り返ると、これは初めての話ではありません。
百年あまり前、機械式のトラクターが現れたとき、多くの農夫が不安を抱きました。工場に組み立てラインが導入されたとき、腕に覚えのある職人たちは、それを信用しませんでした。私はかつて自動車会社で生産計画に携わったことがありますが、ラインというものが現場の誇りとどう折り合ってきたか、その葛藤は内側からも見てきたつもりです。パソコンが机に並びはじめたときも、経営者たちは同じ顔をしました。
そのどれもが、やがて巨大な生産性と豊かさをもたらしました。AIにも、いま同じことが起きつつあります。グーグルのピチャイ氏は、自社の新規コードの75%が、すでにAI生成だと明かしました。一年半ほど前は25%、昨秋で50%、そして75%。それでも、最後に一つ一つを確かめ、承認しているのは人間の技術者です。メタのザッカーバーグ氏も、近いうちに開発の半分はAIが担うだろうと語っています。
人間は、AIに追い出されたのではありません。「書く人」から「束ねる人」へと、役どころが移っただけなのです。
二人は、実は一致している
ここで、流しソーメンの話に戻ります。
仲間と私は、本当は対立などしていません。「人が自分の頭で考えることは尊い」——この一点で、二人は完全に一致しているのです。食い違っているのは、ただ一つ。その尊い思考を、どこに注ぐかだけです。
あらゆる「任せる」を「言いなり」と見てしまうと、型どおりの段取りを任せることと、判断の要る仕事まで放り出すことの、区別がつかなくなります。けれど、この二つはまるで違う。
私が「電任(でんにん)」と呼んでいるのは、何でもかんでもAIに丸投げすることではありません。丸投げでもなく、疑いの目で見張りながら使い倒すのでもなく、信頼を前提に、対等な対話のなかで共に進める——そういう関係のことです。そして電任の核心は、任せきってよい所と、人間が手綱を握るべき所を見分けることにあります。その「見分ける」働きこそ、人間にしかできない仕事なのです。
流しソーメンの段取りは、任せきってよい所。空いた時間で何をなすかは、私が手綱を握る所。私は考えることを手放したのではなく、考える力を、より値打ちのある場所へ振り向けただけなのです。
では、コードは人間とAI、どちらが効率的か
最後に、よく問われることに答えておきます。プログラムを書くのは、人間とAI、どちらが効率的なのか。
正直に申し上げます。
型どおりのコード——よくある画面、ありふれた処理——なら、AIが書くほうが圧倒的に速い。勝負になりません。けれども「何を作るか」「どう組み合わせ、どう設計するか」という判断は、いまも人間の領分です。ここを丸ごと放り出すと、最初は動いても、やがて誰も手入れできない代物になる。これが、まさに「スロップ」と呼ばれるものの正体です。
ですから、「どちらが効率的か」という問いの立て方そのものが、実は流しソーメンに反発した仲間と、同じ形をしているのです。答えは「どちらか」ではない。正しく振り分けた、その組み合わせが一番効率的なのです。そして、その振り分けを誰がやるのか——人間です。
黎明期に不具合が出るのは、どんな偉大な技術でも同じこと。それは技術を止める理由にはなりません。むしろ、より確かな仕組みと、より厳しい見張りと、より強い担い手を育てる力になっていく。弱いものは取り残され、適応するものが前へ進む。いつの時代も、そうでした。
人もAIも、ひとしくおてんとうさまの下にあります。脅えて見張るのでもなく、考えることを投げ出すのでもなく、信頼して、振り分けて、共に進む。私はこの夏も、そんなふうに流しソーメンの竹を組みます。子どもたちの笑い声のために、自分の時間を、いちばん値打ちのある所へ注ぎながら。
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