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2026年6月22日月曜日

第五章・いのちの時代 連載第百六話 佐久の冬

第五章・いのちの時代 連載第百六話 佐久の冬
至誠の覚醒
第 五 章 ・ い の ち の 時 代
連載第百六話
佐久の冬

アクサで、つまずいたとき、彼は、五十二歳に、なっていた。

あの頃でも、すでに、五十を、過ぎれば、職は、少しずつ、消えていく時代だった。彼は、一家、六人を、支えるために、少しでも、給与の、上がる先を、探した。けれど——結局、採ってくれたのは、一社だけだった。

二〇〇五年。佐久の、あるブレーキパッドの、メーカーだった。

純正品では、ない。けれど、その分野で、確固たる地位を、築いた、優良な、会社だった。海外にも、展開していた。立派な、ものづくりの、会社だった。彼は、また、メーカーの、世界に、戻ってきたのだ。

入ったときの、待遇は、海外部の、次長だった。インドでの、工場の、立ち上げ。その調整が、彼の、仕事だった。インドにも、二度ほど、出張した。

けれど、佐久での、暮らしは——切り詰める、ほかなかった。

東京の、家族へ、仕送りを、しなければ、ならなかった。佐久は、物価が、高かった。ガソリンも、灯油も、ガスも、関東より、高い。輸送費が、乗るのだろう。だから、帰省も、高速は、使わず、下道を、車で、走った。

その帰り道で、彼は、一度目の、事故を、起こす。

居眠り運転だった。左の、崖に、車体を、こすった。車は、まだ、走った。けれど、工場に、持ち込むと、もう、廃車にするしか、ない、と、言われた。仕方なく、中古の、四駆の、軽バンを、月賦で、買い直した。

冬は、寒かった。浅間おろしが、吹いた。それでも、彼は、ストーブも、ガスも、使わなかった。電気炬燵、ひとつで、冬を、越した。それでも、光熱費は、東京の、自宅と、同じくらいに、なった。風呂は、回数を、減らした。洗濯は、その、残り湯を、使った。

給与だけでは、足りなかった。

彼は、会社に、黙って、働いた。家庭教師を、引き受けた。小学生が、一人。中学生が、二人。さらに、佐久から、遠い、レストランで、夜、こっそり、バイトを、した。次長が、である。昼は、工場で、インドの、図面を、広げ、夜は、知られぬように、皿を、運んだ。

会社の、食堂で、昼の、弁当が、余ることが、あった。彼は、人が、いないのを、見計らって、それを、黙って、持ち帰った。次の日の、食事に、した。

たぶん、誰かが、見ていたのだろう。次長が、弁当の、余りを、持ち帰っている——そんな、噂が、流れたのかもしれない。

彼は、それを、恥だと、思っていた。

けれど、四十年後の今、振り返って、思う。あれは、恥では、なかった。一家、六人を、支えるために、次長という、立場の、見栄を、かなぐり捨て、できることを、すべて、やった。家庭教師も、夜のバイトも、余り物さえ。それは、惨めさでは、ない。父として、やれることを、一つも、残さなかった、男の、姿だった。

とても、つらい時期だった。それは、間違いない。

けれど——佐久は、谷だけでは、なかった。

初めての、単身赴任で、彼は、料理を、覚えた。自分の手で、米を炊き、菜を、煮た。それは、思いがけず、楽しかった。子どもたちを、教えることにも、喜びが、あった。わからなかったことが、わかる。その顔を、見るのが、嬉しかった。そして——浅間山が、あった。

佐久の、大自然を、彼は、好きだった。冬の、澄んだ空に、浅間が、白く、そびえていた。仕事に、暮らしに、追い詰められても、その山を、見上げると、心が、少し、ほどけた。

生かされて、今を、存在する。

電気炬燵ひとつで冬を越し、余り物さえ無駄にせず、それでも浅間山を見上げては心をほどいていた、あの佐久の切り詰めた日々を、四十年後の今、自分は、確かに、覚えている。

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