
東京へ、戻ることに、なった。
けれど、来たときのようには、いかなかった。福岡で、新しい暮らしを、構えていた。家財を、買いそろえていた。それらを、運んで帰るだけの、余裕は、もう、なかった。手元に残っていたのは、引っ越しの、片道分ほどの、金だけだった。
日産を辞めるとき、割増の退職金を、受け取る機会が、あった。彼は、それを、受け取らなかった。若かったのだろう。子が、三人いて、福岡で、四人目が、生まれていた。金銭の上では、苦しかった。それでも、受け取らなかった。なぜか、と、今、問われても、うまくは、答えられない。ただ、そういう金で、身を、固めたくは、なかった。
だから、帰り道は、ハードだった。
まず、ワンボックスを、運転して、家族の一部を、東京へ、運んだ。それから、単身で、また、福岡へ、とって返した。残った家族を、軽自動車に乗せて、もう一度、東京を、目指した。一度では、運びきれなかったのだ。
四歳の、次男が、長い移動に、耐えきれなかった。何度も、嘔吐した。車を、停め、背中を、さすった。また、走った。また、停めた。
福岡から、下関へ。関門の海を、渡る。
その海を、見ながら、彼の胸に、福岡での日々が、よぎっていった。
失意の中での、別れだった。追われるように、して、去る。それなのに——福岡には、良い思い出しか、なかった。豊かな、自然。おいしい、米。新鮮な、魚。湯気の立つ、温泉。西新の、声。すべてが、楽しく、すべてが、素晴らしかった。これほど、良い土地は、なかった。それを、去らねばならない。その矛盾が、海の色に、溶けていった。
そして、何より——心に残っていたのは、牧先生の、姿だった。
先生は、彼を、見送ってくださった。その後ろ姿が、寂しかった。慕って、福岡まで来た弟子が、去っていく。先生も、同じ気持ちだったのだと、思う。言葉には、しなかった。けれど、見送る、その背中が、すべてを、語っていた。
「馬鹿なことを、言うな」と、一喝した、あの先生が。来るな、と、止めた、あの先生が。それでも、来た弟子を、最後は、寂しげに、見送ってくださった。
関門の海が、後ろへ、流れていく。福岡が、遠くなる。
彼は、ハンドルを、握りしめた。次男の、小さな寝息が、後ろから、聞こえた。前には、東京が、あった。段ボールの山と、六人の暮らしと、先の見えない、明日が。
四十年後の今、振り返って、思う。
あの海を、渡るとき、彼は、何も、持っていなかった。金も、職も、確かなものは、何一つ。けれど、失ったものより、胸に残ったもののほうが、確かだった。福岡の、良い思い出。先生の、寂しげな、後ろ姿。それらは、軽自動車の、どの家財よりも、重く、彼の中に、積まれていた。
生かされて、今を、存在する。
軽自動車で次男の背をさすりながら関門の海を渡った、あの帰り道と、福岡で寂しげに見送ってくださった牧先生の後ろ姿を、四十年後の今、自分は、確かに、覚えている。
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