何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
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2025年2月10日月曜日
【世界的サイバー犯罪が日本に上陸!】大手企業のQRコードが次々乗っ取られ、スキャンで230万円奪われる事も!【手口と防衛策を解説します】
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2025年2月9日日曜日
幸福とは他人が幸せになったことによる自分の満足感
幸福とは他人が幸せになったことによる自分の満足感
実際的にもそうだと思うんですね。幸福の定義をあれこれと謡論するつもりはないんですが、定義は非常に大切ですけれども幸福とは「幸せだなぁ」「よかったなぁ」と思うことですから、定義をあまリこねくリ回しても良くはないとも思います。例えば、幸いとかラッキーというのは事実としての状態をいうような気がします。ところが、幸福というと、その事実とともに本人が満足であること。ですから、どちらかというと幸福といと自分が満足。ラッキーというと事実としてよかった。という感じがするんですね。
日本語の幸福などの言葉は、明治時代の福沢諭吉が作ったようで、それまでは幸いとか幸運とかの言葉があったような感じがするんですが、いずれにしても幸福というのは心の動きも含めた事実と心の両方なわけですね。
しかし、あくまでも自分なんですよ。
そうしますと、幸福とは他人が幸せになったことによる自分の満足感。
そのため、その中には他人と自分の二つが入っているのではないか。ですから、どういう状態が幸福かと聞かれましたら、それは「他人が幸せな状態である」と、こういう複雑なことをいろいろ考えてみる必要があるかと思います。
私の人生を振り返れば、自分の幸せは幸福感が少なく、家族や友人が幸せになったときの方が幸福感は高かったと‥‥そのように私は思います。
『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版) 20250209
2025年2月8日土曜日
我々の幸福というのは自分の幸福じゃない、他人の幸福なんだ
我々の幸福というのは自分の幸福じゃない、他人の幸福なんだ
そうすると、自分が満足するのと他人が満足するのと、どちらが満足するかというと、私なんかが生き物とか人間とかを見ていますと、やはリ私は自分が満足するよリか他人が満足する方が嬉しい感じがするんですよ。
嬉しいという感情は自分のものには限界があります。せいぜいお風呂に入って気持ちいいなと思うなど、そういうときに幸福感を昧わえないわけではないんです。幸福ではあります。ただ、何かを買った、手に入れたなんて、ほとんど幸福感が短いですね。
それに対して、子供の可愛い笑い顔を見たり、一所懸命子供を育てていますと、「やっばリこの子がもうめんどくさい。こんなことをいちいちゃるより早く育ってくれたらいい」と思うような辛いこともありますが、やはリ喜びも格段ですね。
例えば、自分が大学に合格したというのと、子供が大学に合格したというのでは、子供が大学に合格した方が嬉しいですよね。自分の合格は「まぁそうか」と思うだけですね。
それから見ますと、幸福とは自分ではないんじゃないかと思うわけです。
そうしますと幸福を論じるときに常にその人が幸福かという考え方をしてしまうわけで幸福だ」「あなたがこうなると幸福だ」となるわけです。
あなたが病気しないと幸福だけれども、家族が病気したときの方が自分が病気したときよリも辛いですね。自分が病気したときは、「病気したか…………まぁ仕方ないな」このように思えますが、家族が病気すると本当に心が痛みますね。友人でもそうです。友達が病気になったら非常に辛い感じがしますよね。
その意昧では実は幸福というのは利己ではなくて利他、利に代わる用語がないというか表現が難しいです。なんて言うんでしょうか………。
幸せという字を使うと、幸己、自分が幸せか、幸他、他人が幸せか。つまり、どちらかというと幸他、他人が幸せかどうかという方が自分の幸せを決定する。自分の幸せは他人の幸せによって決まる。利己と利他とは少し違うんですけれど用語がないという感じですよ。あるかもしれませんが………。いろいろ皆さんのお考えが浮かびついたら、ご連絡いただきたいと思います。
結局、我々の幸福というのは自分の幸福じゃない、他人の幸福なんだとなりますと、これはもう幸福というもの自体を考え直さなければならない。
『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版) 20250208
2025年2月7日金曜日
生物の基本は、その種のために生きること、でも、、、
生物の基本は、その種のために生きること、でも、、、
今回がたぶん、動物としての人間というのでは最後じゃないかと思うんですけれども、幸福の4「利己と利他」。
これは、このブログでも一度取り上げたことがありますが、実は、どんなものでも自分が良ければそれで良いということを言われることが多いんですね。自分が満足する、自分がいい生活をする、自分が病気にならない、もしくは家族・家庭が非常に充実している、それが幸福なんだ。
つまリ、幸福というのは本人の問題なんだという非常に強い認識があるわけです。
しかし、生物というものは、もともとそうではなくて利他、つまり自分は生きている価値がないんですよね。生物の一個体というのは、もともと生きている価値がないので、いわばどんなに狭く見ても1種族ですね。人間という1種族のために生きているんです。
もう少し狭く言いますと、例えば、日本のために生きている、もしくは家族のために生きている。これが生物の基本です。
どんな植物でも群れているわけで、例えば、ある植物の種をいろいろなところに撒きますとバラバラに撒いてもその結果としてあらわれるのは、同じような草はどこで咲く、同じような木はどこで生育するとなるんですね。
普通は、生育に非常に良いところは強い植物が繁茂して山の上とか、砂地のような悪い土地には弱い植物が繁茂するわけですね。けれども常にどんなものでも群れております。
群れているということはどういうことかというと、我々の体が細胞でできているように、また日本というのも1億2000万人でできているように、常に我々生物は自分であり他人であるんですね。
ですから自分が満足しただけでは、幸福感を味わえないはずなんですね。
他人が満足して初めて幸福感が味わえる。
『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版) 20250207
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