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2026年6月4日木曜日

第四章・覚醒の時代 連載第八十八話 父と母の手の中で

第四章・覚醒の時代 連載第八十八話 父と母の手の中で
至誠の覚醒
第 四 章 ・ 覚 醒 の 時 代
連載第八十八話
父と母の手の中で

若い夫は、父母と、一緒に、暮らしていた。

妻が逝った後も、その家は、続いた。父と、母と、若い夫と、四歳になったばかりの息子。四人の暮らしが、そのまま、続いた。家の中の、毎日の食事も、息子の世話も、父母が、若い夫を、支えてくれた。

直納部の仕事に、若い夫は、悲しみを、ぶつけていた。朝、家を出る。夜、帰ってくる。その間、息子は、父母の手の中に、いた。

父母は、息子を、我が子のように、育ててくれた。

それは、若い夫が、頼んだことではない。頼むまでもなく、父母は、そう、してくれた。母が逝った四歳の孫を、自分たちの手で、育てる。それは、父母にとって、当然のことだった。若い夫は、その手の中で、息子が、育っていくのを、見ていた。

朝、息子が、起きてくる。母が、朝ご飯を、用意する。父が、新聞を、読みながら、息子の様子を、見ている。父母と、息子の、当たり前の朝の景色。若い夫は、その景色を、横で、見ながら、自分の朝食を、食べていた。

夕方、若い夫が、帰ってくる。息子が、父母と一緒に、夕食の支度をしていたり、テレビを見ていたりする。「お父さん、おかえり」。父母の手の中から、息子の声が、聞こえてくる。若い夫は、その声を、聞きながら、家に、迎え入れられていた。

休みの日には、父母が、息子を、旅行に、連れて行ってくれた。父母と、息子の、三人で、いろいろなところへ、行った。その時の写真が、今も、何枚か、残っている。父と、母と、息子の、三世代の、笑顔。

息子は、父母の手の中で、四歳から、五歳に、五歳から、六歳に、育っていった。

けれども、若い夫は、知っていた。

息子の、心の底に、何かが、残っていることを。あの三月二十八日の、処置室の三十分。四歳の息子は、終始、無言で、母の最期を、見守っていた。あの三十分の間、四歳の子供の心の中で、何が、起きていたのか。それは、もう、誰にも、わからない。本人も、覚えていないかもしれない。けれども、確かに、何かが、息子の心の底に、刻まれていた。

父母の手の中で、笑顔で、過ごしているように見える日も、その底には、母を失った、四歳の子供の、深い、深い、何かが、ある。若い夫は、それを、感じていた。けれども、それを、どう、どうしてやればよいのか、わからなかった。

若い夫自身も、悲しみを、抱えていた。

妻を、失った悲しみ。それは、嫌いで、分かれたわけでは、なかった。自ら、選んだ別れでは、なかった。運命が、二人を、引き離した。その別れを、若い夫は、まだ、受け入れ切れていなかった。

息子のためには、新しい母が、必要だ。そう、頭では、わかっていた。けれども、心が、ついてこなかった。あの妻の、家の畳の上の、笑顔を、見送ったばかりの心が、すぐに、別の人を、迎え入れる気持ちには、なれなかった。自ら選んだ別れではなかった分、なおさら、そうだった。

息子の中の、深いものを、感じながら、自分の中の、深いものも、抱えていた。父母の手の中で、息子が育っていくのを、ありがたく、見ていながら、自分の心の中の、暗いものを、整理しきれずに、いた。

それでも、毎日は、過ぎていった。

朝、家を出る。仕事をする。夜、帰ってくる。父母の手の中の、息子の声を、聞く。それを、繰り返しているうちに、息子は、四歳から、六歳に、なっていった。

四月になれば、小学校に、上がる。

息子の、新しい時間が、始まる。妻が、夢に見ていた、息子の成長が、ひとつの節目を、迎える。

若い夫は、息子の、ランドセルを、買った。父母も、一緒に、選んだ。ランドセルを、初めて、背負ってみた息子の姿を、父と母が、嬉しそうに、見ていた。妻が、いれば、その喜びを、一番、共にできた人だった。けれども、その人は、もう、ここには、いない。父母が、その代わりに、一緒に、喜んでくれていた。

四十年が経って、振り返って、思う。

あの四歳から、六歳までの、息子の二年間を、父母の手が、まるごと、支えてくれていた。若い夫は、仕事に、悲しみを、ぶつけていた。父母は、その若い夫を、責めもせず、ただ、息子を、自分たちの手で、育ててくれた。それが、どれほど、ありがたいことだったか。当時の若い夫は、そのありがたさを、半分も、わかっていなかった。

父母の手の中で、息子は、小学校に、上がる年齢に、なった。

そして、若い夫の中にも、息子のために、何かを、しなければならない、という気持ちが、少しずつ、芽生えていった。けれども、それが、形になるのは、もう少し、先のことだった。

生かされて、今を、存在する。

父母の手の中で、四歳から六歳までを過ごした息子と、その手に、まるごと、息子を、預けていた若い夫を、四十年経った今、自分は、確かに、覚えている。

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