
家のどこかに、一本のカセットテープが、まだ、あるはずだった。
妻が、好きだった、オフコースの曲が、入っている。四十年経った今、ふと、それを、探してみようと、思った。引き出しを、開けてみる。押し入れの、古い箱を、覗いてみる。けれども、見つからない。あるはずなのに、見つからない。あの頃の、たくさんのものが、四十年の時間の中で、どこかへ、行ってしまった。
けれども、カセットを探しているうちに、曲のほうが、心の中で、流れ始めた。
妻は、オフコースが、好きだった。
妻との思い出には、必ず、オフコースの曲が、絡んでいる。眠れぬ夜。言葉にできない。さよなら。そして、愛を止めないで。どれも、若い夫の心の、どこかの場面に、流れている。デートのとき。二人で過ごした、休みの日。何でもない、夕暮れの部屋。そのどこかに、いつも、オフコースの曲が、あった。
結納の日のことを、覚えている。
あの日、妻は、バックに、オフコースの曲を、流していた。たぶん、「愛を止めないで」だったと思う。二人の人生が、これから、ひとつに、なっていく。そういう曲だった。これから始まる、二人の暮らし。その入り口に、その曲が、流れていた。妻は、その曲を、選んで、流していた。
若い夫は、その曲を、聴いていた。これから、この人と、一つの人生を、生きていく。そう、思っていた。
そして、あの告別式の日。
若い夫は、バックに、同じ曲を、流した。
「愛を止めないで」を。
結納の日に、妻が流した曲を、妻を送る日に、若い夫が、流した。出会いの曲が、別れの曲に、なった。二人の人生が、ひとつになっていく、その入り口に流れていた曲が、二人の人生が、別たれていく、その出口に、流れた。
そのことを、当時、はっきりと、意図していたかどうか、もう、覚えていない。ただ、若い夫は、その曲を、選んだ。妻が好きだった曲を、妻を送る場で、流したかった。それだけだったのかもしれない。けれども、結果として、結納の曲が、告別の曲に、なった。
四十年が経って、振り返って、思う。
あの曲は、二人の人生の、はじまりと、おわりの、両方に、流れていた。一本の曲が、二人の人生を、はじめから、おわりまで、貫いていた。それは、偶然だったのか、それとも、何か、見えない手が、そう、結んだのか。もう、わからない。けれども、確かに、同じ曲が、はじまりと、おわりに、流れた。
カセットは、見つからなかった。
けれども、不思議なことに、今は、その曲を、いつでも、聴くことができる。あの頃のように、カセットを、巻き戻したり、早送りしたりする必要も、ない。指先で、少し、触れるだけで、四十年前の、あの曲が、流れ出す。
もし、この物語を読んでくださっている方が、あの曲を、聴いてみたいと思われたら、オフコースの「愛を止めないで」を、探してみてほしい。一九七九年の曲である。今も、配信や、さまざまな形で、聴くことができる。その曲の中に、二人の人生が、ふたつから、ひとつへと、向かっていく、その響きが、ある。
あの結納の日に、妻が流した、その響きが。あの告別式の日に、若い夫が流した、その響きが。
カセットは、なくなった。けれども、曲は、消えていない。
あの病室の窓の桜のように。あの庭の白い猫のように。形を変えて、その曲は、今も、どこかに、ある。指先で触れれば、いつでも、流れ出す。妻が好きだった、あの曲が。
生かされて、今を、存在する。
結納の日と、告別式の日に、同じ曲を流していた若い夫と妻を、四十年経った今、自分は、確かに、覚えている。
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