何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
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2024年10月14日月曜日
【大谷が2安打1打点、ドジャースは投打噛み合いPS最長タイ記録の33回連続無失点!】メッツ vs ドジャース 試合ハイライト MLB2024 リーグチャンピオンシップシリーズ第1戦 10.14
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ポルトガルの性奴隷の要求をはねつけた豊臣秀吉 教科書では教えない
ポルトガルの性奴隷の要求をはねつけた豊臣秀吉 教科書では教えない
ここで、奴隷制に関する例を一つお話ししましょう。
いわゆる鉄砲は1543年、種子島に漂着したポルトガル人によって日本に伝えられたと言われています。戦国時代には50万丁ほどの鉄砲が存在し、当時の日本は世界有数の鉄砲保有国でしたが、この鉄砲は西洋から輸入したものではなく、すべて日本人の技術者が製作したものでした。
鉄砲自体は製作することができましたが、火薬の原料となる硝石(しょうせき)の確保がネックでした。化学的に抽出する方法も工夫されていましたが産出量が極少で、硝石の十分な確保については外国からの輸入に頼らざるをえなかったのです。
硝石はポルトガル商人の手によって日本に輸入され続けたわけですが、その付随条件としてポルトガルは、「日本人の奴隷を50万人ほど用意せよ」と言ってきたといいます。求められた奴隷の多くは女性でしたので、いわゆる性奴隷です。
これに対して、当事の政治のトップにいた豊臣秀吉は「日本人を奴隷とするなど許さない」と拒否した上で、さらに「カネは補償してやるから、これまでに連れ出した日本人もすべて返せ」とポルトガルに伝えました。
これを学校では教えません。日本の戦後教育は「日本を悪く言い、欧米を讃え上げる」という考えで統一されているからです。
また、前述したように日本では革命もなく、社会的な序列もとても緩やかでした。中国大陸では数々の王朝が興っては消えました。王朝の交代時には徹底した粛清が行われたと言われています。3世紀、漢王朝が滅ぼされた時には、首都城内に住んでいた漢人の9割もの人々が殺裁されたという事実があるようです。
天皇の御代が途切れたことはありませんが、政権交代というものは日本にもありました。平安期の摂関政治から院政、武家政権として平氏政権の誕生、後に今日では幕府体制と言われるものが誕生して鎌倉幕府から室町幕府、戦国の混乱期があって江戸幕府へといった具合です。
ただし、中国や他の大陸諸国における政権交代時に見られるような、一般人への殺戮をはじめとする残虐行為は日本では見られませんでした。戦国時代などの乱世もありましたが海外に比べると、天皇の宣下に基づく概ね平和的で合理的な交代が行われたのです。
江戸時代の大名行列も、庶民は道端にひれ伏しはするものの「まあ大名と言っても、昔はただのアンチャンだったからなあ」などとつぶやきながら、行列が行き過ぎるのを待っていたようです。
「駕籠(かご)に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)をつくる人」という慣用旬は、社会構造に対する日本人の考え方をよく示しているものかもしれません。人それぞれに役割があって、世の中はそれで成り立っているということを社会全体が理解しているのです。
むやみに事を荒立てることなく、穏やかにやり過ごす―――。
物事の本質を皆がわかっている、というのが日本の伝統なのです。
かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より
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2024年10月13日日曜日
日本人には「差別意識」がほとんどない
日本人には「差別意識」がほとんどない
男性と女性ということに限らず、「差別」というもの全般について少し考えてみましょう。
たとえば、日本に奴隷制はありませんでした。政情は穏やかで、革命もなく、皇室が途切れることなく続いてきました。
今日の歴史研究によれば、江戸時代の「士農工商」は身分制ではなく職業区分でしかなかったとされています。フィクシ
ョンの映画やドラマでは武士が威張りちらして農民や町人を支配している姿が面白おかしく描かれることもありますが、武士にそんな力はありません。
武士(武器を携えて社会秩序を守る人)はたいへん謙虚でした。それでいて、間違いを犯すと自ら責任をとって切腹します。武士が携行する武器、つまり刀は社会に対して自らが責任をとるために使う道具でした。
西洋の兵士の歴史は、傭兵(金品で雇われて戦う人)の歴史です。傭兵に、社会に対する責任感はありません。
「支配と被支配」「統治と被統治」という関係は、西洋社会の歴史研究から出てきた概念に過ぎません。日本の歴史には当てはまらないのです。
日本人は、職業を別にする人それぞれ、お互いをかけがえのないものとして尊重することで社会を成り立たせ、安定させてきたのです。
かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より
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ジャックアタリ先生と故筒田芳博先生・故牧正人史先生
ジャックアタリ先生と故筒田芳博先生・故牧正人史先生
浅野ありさ様(筒田先生のご長女)より、筒田先生がジャックアタリ先生を勉強しろとおっしゃっていたことを伺い、早々に図書館より数冊借りて読んでみました。そのうちの一冊から、これは私も先生がジャックアタリ先生にたどり着いた責任もあると思い、その一部を抜粋してみます。
『アタリ文明論講義 未来は予測できるか』 ジャック・アタリ 林昌宏訳 (ちくま学芸文庫)より
日本語版への序文
著書が日本語で出版されるのは大変名脊なことだ。本瞥の日本語版の刊行も、私はとても誇りに思っている。これまで多岐にわたる分野の未来を予測した著書を執筆してきたが、本書では、私の未来予測の方法そのものを公開する。それが読者にとって大いに役立つと考えるからだ。
未来予測の方法は数多くあり、本書でもそれらを紹介しているが、本書の最大のメッセージは、自分自身で自己の未来を予測することの重要性だ。予言や予測を他人まかせにしてはならない。他人まかせは、自分自身を単なる統計の対象に貶めることを意味する。
自分自身で予測すべきという原則は、われわれ個人、家族、企業、国家のすべてに当てはまる。自分自身で予測できなければ自由になれない。自由になるとは、自分自身で予測することなのだ。
その前提になるのは、次の五つの単純な問いの答えを見つけることである。
一、変わらないも のとは何だろうか
二、自分の友人たちは、どう行動するだろうか
三、自分の敵はどんな態度を示すだろうか
四、確実なことは何だろうか
五、自分にはどんな計画があるだろうか
これらの問いに答えが見つかれば、すべてが可能になる。
とくに日本にとって、自分自身で予測することはきわめて重要と言っていい。それは、日本がサバイバルするための不可欠な条件だ。
今日、未来予測は、行動を促すのではなく、逆に活動を押しとどめ、停滞させているかのように思える。たとえば、日本での今後の大地震の発生確率を見ても、国家的自殺行為ともいえる急激な人口減少の見通しを見ても、この国は、ほぽ確実に起きる大惨事を甘受するつもりなのだろうかと考えさせられる。あるいは、震災を予期した上で、人口が減少すれば被災者も減ることになって好ましいとでも思っているのかと邪推すらしたくなる。
いずれにせよ重要なのは、自分たちの未来を自ら熟考し、それについて自由に討議することだ。まずは思い切って未来を予測するのだ。そして生きる勇気を取り戻すのだ。
2016年7月21日
ジャック・アタリ
『アタリ文明論講義 未来は予測できるか』 ジャック・アタリ 林昌宏訳 (ちくま学芸文庫)
結論
怠惰は予見の最大の敵だ。予測は自由の最良の味方だ。われわれ各人にとっても人類全体にとっても、予測は、暗黒のシナリオが現実になるのを避ける帷一の手段でさえある。
したがって、勇気をふるって予測しなければならない。予測に必要な時間を確保すべきだ。すぐに、それは思ったより難しくないと気づくだろう。そして他者の立楊に身をゆだねることで、自分についても他者についても大いに学べるとわかるはずだ。予測の過程では、最古のものから最も奇妙なものまでを含め、あらゆる種類のテク ニックを使えるし、積極的に使うべきでもある。たしかに、私は手相占いや占星術をまったくの不条理だと考えているし、これらの予想を真に受けることはない。また、木の葉の落ちる様子やコーヒーを飲んだ後のコップに残る模様、さらには鳥の飛翔の観察が何かを予測する際の手助けになるとも信じない。逆に、本書で紹介した、とくに予測の最新テクニックからは、たとえ非常に間接的であっても、天体が気象学や人間の気分におよぼす影響が理解できる。また、誘惑したり説得したりする能力に肉体がおよぼす影響や、偶然が運命におよぼす影響も理解できる。また、夢という微弱な兆候の具体的な機能や、一部の芸術家、音楽家、作家、詩人などに見られる、直感力、全体を把握する力、予感、予知なども、おそらくまだ完全にはわからないだろう。だが反対に、誰でも予測しようと努めれば、自己の創造力や芸術力を開発できるのだ。
したがって、われわれの誰もがこの天賦の才能を開発できるのである。それが前述の練習の目的だ。訓練によって、未来を予測するようになると、同時に現在の重苦しさから逃れられる。それは、夢見るためであり、思い切って挑戦するためであり、創造するためだ。
誰もがこの練習をする世界を思い浮かべてほしい。それによってもたらされる明敏さは、個人と共同体の未来を根本的に変えるだろう。必要な物事を先延ばしにしたり、無分別な態度をとったりする者は誰もいなくなる。コンピュータという独裁者に身をゆだねたり、自分自身のエゴイズムに甘んじたりする者は誰もいなくなる。あきらめてしまったり、他人が決めた人生のトンネルに 閉じこもったりする者は誰もいなくなるだろう。
この得難い普遍的な明敏さを手に入れようと願い、これらのテクニックを苦労して学ぼうとする者たちはすぐに、自分たちの人生に、自分たちの創造力に、そして他者との関係に、大きな変化を見出すだろう。そして、あらゆる未来予測は行動を促すこと、無知のヴェールがいったん取り除かれるとすべてが変化することを、目の当たりにするに違いない。そのとき、不安さえも行動の原動力になる。悲しみさえも喜びの障害ではなくなる。なぜなら、予測することにより、いずれ自分がこの世から消え去るときであっても、自己を超えて思考するようになるからだ。
私自身、この練習を積み重ねてきた。私は、これらのテクニックによって並外れた創造力と自分自身で自己の才能を開花させる力を手に入れられると証言できる。これらのテクニックを未来の不思議な出現に何らかの形で結びつけるには、これらのテクニックを本気で信じればよいのだ。予測を信じれば、その予測が非現実に見えても、実現に結びつけられる。
人生は大聖堂のようなものだ。どちらも享受する前に、それを夢見なければならない。それを享受するために、それを夢見るのだ。たとえ自分の存命中にそれを完成させる時間がなくても、われわれは最後に必ず自己の作品の中に 生きる。予測することが生命をもたらすのだ 。
『アタリ文明論講義 未来は予測できるか』 ジャック・アタリ 林昌宏訳 (ちくま学芸文庫)
ジャックアタリ先生は、未来を自分なりに予測しろ、と仰っています。実は、私自身も、以前はそのようなことは、荒唐無稽と考え、距離を置いていたのですが、身内に様々な事件が起こるたびに、そういった予測、方位、四柱推命といった分野に引き込まれていきました。そのうち、ある先生に出会います。私自身、生涯で大きな影響を受けた三師のうちのおひとりです。筒田先生も当然大きな影響を与えてくださったその三師のおひとりです)。すでに他界されてしまいましたが、牧正人史(まきまさとし)先生です。戦後、満州から引き揚げてくるときに、四柱推命の大家から指南を受け、本土に戻ってくると、自民党保守本流の方々に、政治、経済の動向を指南されていらっしゃいました。その方法は、実はコンピューターを用いて、動きをグラフ化するものでした。その精度は明らかに占いの域を超えて、「予測」というべきものでした。なぜなら、そのグラフが出た後で、大勢の人の目で、その動きをなぞることができたからです。その故牧正人史先生のことを筒田先生にお話したことが合って、私も同行して、九州まで出かけたことがございました。筒田先生は、当時為替相場をグラフ化したものをご覧になられ、時期とその為替相場の数値の動きがほぼ一致していることをご覧になられ、驚嘆されたことを思い出します。ジャックアタリ先生を勉強しろ、と筒田先生がお話しされたのは、ここら辺のご経験も絡んでいるのかと、私は思いました。当時、AIなどは、まだ開発途上だったと思いますが、筒田先生は、株式の予測データなどを取り寄せて、最近の予測技術はかなり進んでいる、と仰っていたことを思い出します。
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