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2025年5月9日金曜日

野々宮さんの来宅 『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より

野々宮さんの来宅 ところへ野々宮さんが庭木戸を開けて入ってきた。皆が賑やかに笑っているので聞いたら、今‘与次郎が英語の翻訳で先生に叱られたと言う。少し言葉を詰め過ぎたが、当たり前に延ばすと 「可哀想だとは惚れたということよ」 ということである。美禰子が原文を 「Pity’s akin to love」 と綺麗な発音で繰リ返した。野々宮さんは感心しているが、三四郎は野々宮さんの美禰子に対する態度と視線が気になった。野々宮さんは、 「先生‘折角大久保に越したが、またこっちに出てくるようになリそうです」 と言う。 妹が学校の行き帰リに戸山の原を通るのがいやだとか、夜遅くまで待っているのが淋しいと我侭を言っているようで‘美禰子によし子を食客として預かってくれないかと頼んでいる。美禰子は気楽に 「いつでも置いてあげますわ」 と答えた。 ところで、よし子が団子坂の菊人形が見たいと言っているので皆で行かないかという話になった。美禰子は、 「小川さんもいらっしゃい」 と誘った。広田先生も 「菊人形はいいよ」 と乗り気である。 「じゃあ先生もいらっしゃい」 と美禰子が言った。野々宮は、 「では、これで失礼します」 と腰を上げて、出ていこうとするので、美禰子は、 「もうお帰リ。随分ね」 と不満そうである。広田先生が 「この前のものはもう少し待ってくれ給え」 と言うので、野々宮さんは、 「ええ‘ようござんす」 と受けて庭から出て行った。美禰子は急に思い出したように 「そうそう」 と言いながら庭の下駄を履いて野々宮の後を追いかけた。三四郎は無言のまま座っている。野々宮が 「大久保からまたこちらに出てくるので、よし子を預かってほしい」 と言った時、美禰子は内心ドキリとした。しかし皆の前なので 「いつでも置いてあげますわ」 と平然と答えたが、野々宮の気持ちはどうなのかと不安を覚えた。野々宮は自分の用件を済ますと、すぐ帰ると言い出した。美禰子は心配になり後を追いかけたが、美硼子にはプライドがあるから、自分を抑えて、野々宮には 「菊人形展には必ず来て下さいね」 と確認するに留まった。美礁子はできるだけ彼と一緒にいる時間を作りたかった。 『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より  R0720250509

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2025年5月8日木曜日

広田先生の帰宅 『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より

広田先生の帰宅 ところへ広田先生がフロックコートて天長節の式から帰ってきた。今度は四人で片付け始めた。先生の書物は多い。先生はあまリ人の読まない本、アフラ・ベーンの小説も読んでいる。三四郎も与次郎も感心して、あれだから「偉大なる暗闇」だという。 美禰子が昼食に沢山のサンドウィッチを持ってきたので、座敷に集まった。 アフラ・ベーンのことを与次郎が先生に聞いた。イギリスの十七世紀の閨秀作家で、彼女の『オルノーコ』(注2) という小説を読んだと言う。 与次郎が冗談混じリに色の黒い三四郎を主人公にして『オルノーコ』でも書いたらと美禰子に言っている。美禰子は小説も書けるらしい。三四郎に 「書いてもよくって」 と半ば真面目な顔である。三四郎は無論断った。皆が気楽に談笑している。 美禰子が広田先生の脱ぎ捨てた洋服を畳んでいる。先生に和服を着せたのも美禰子らしい。 まるで、細君気取りであるが、これも無意識の偽善である。三四郎は気になった。 先生は『オルノーコ』に ついて、その後サザーン(注3)という人が同名で脚本を書いたと言う。その脚本の中に有名な句がある。 「Pity’s akin t love」 という句だそうだ 。与次郎が代表して、俗謡で、 「可哀想だた(だとは)惚れたってことよ」 と翻訳した 。先生は 「それはいかん下劣の極だ」 と忽ち苦い顔をした。三四郎と美禰子は笑っている。 (注2 ) 『オルノーコ』〈Oroonoko,the Royal Slave〉 イギリスの女流作家アフラ・ベーンが一六八八年に書いた小説で彼女の代表作である。副題は「王国の奴隷」。奴隷解放運動を先取りすると同時に、イギリスのリアリズム小説の先駆として評価されている。イモインダという娘との恋も織り込まれ、逃亡を図ったオルノーコは最後に殺されるというストーリー。 (注3 ) T・サザーン〈Thomas Southerne〉 イギリスの劇作家トーマス・サザーンは、アフラ・ベーンの小説『オルノーコ』を脚色した。 その中に「Pity's akin to love」という布名な旬がある。その意味は、哀れむという同情心は、愛情に近いものである。ここでは一人の将来の愛を暗示する言葉。 将来、美禰子も三四郎も、心の中にこのような愛の感情を持ちながらも四郎の感性の鈍さに、すれ違いが生じて、お互い悩むことになる。 『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より  R0720250508