何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
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2025年1月2日木曜日
◎「持続性」は「節約」などではなく、イノベーションがもたらす
◎「持続性」は「節約」などではなく、イノベーションがもたらす
武田: 私は新しいいろんなイノベーションが社会を発展させてきたと考えています。たとえば、環境問題も一九七0年から見たら圧倒的によくなっているし、悲観的なこと、まずいところも一~ニ割はあるでしょうが、全体としては発展している。たとえば心配されている少子高齢化も、精神面は別にして、労働量などでは、情報革命であっさりと解決さ
れるでしょう。
人間社会の歴史を見ても、同じ時代がずっと続いて、そのまま行くなんてことはない。「持続性」はイノベーションによってもたらされるのであって、「節約」などによってもたらされるようなものではないと思います。つまり、「持続性」という概念が新しいもののように言われていますが、これまでも人類はずっと「持続性」でした。もし「持続性」が「現状維持」を言っているなら中世がありますから。でも「持続的発展」というと、これは「今までと同じ」ということになりますね。
「イノベーション」にはある特徴があります。それは、今の私たちの頭にはないものです。
だから、ないものをつくり出せといっても仕方がない。私たちは、イノベーションができるような風土をつくるということしかできない。だから、学生たちにいま言ったようなことを言うのです。
日下: なるほど。そうやってイノベーションの土壌をつくると。
武田: 講演会などでは、「それでは、先生は、次にどういう社会が来ると思いますか」と聞かれたりします。
「二歳のときに、脳の延髄のうしろに、電極をつけて、高圧をかけると、その人は生涯、暑さ、寒さがわからないで生活できるようになる。だから、これからは冷暖房はいらなくなる」などと言います。
そうすると、「それは本当ですか」と言うから、「いや、嘘に決まっている。イノベーションというのは、今、こういうものができると予想できるものじゃない」と言うのです。失礼な話ですが、このぐらいの瞥えをとらないと、イノベーションというのが分らない。なにしろ、今現在、自分の頭に入っているもので判断しようとしますから。
実際、二十世紀だけを見ても、それ以前の十九世紀の知恵というのは、いま、われわれの生活の中にほとんど残っていないくらいです。たとえば、蒸気機関は、いまはもうほとんど残っていない。われわれは電車で移動し、飛行機に乗り、冷房をつくり、テレビを見て、電話を使い、いまは携帯電話を使っている。それは全部、十九批紀にないもの。そして、ほとんどのことは十九世紀には想像すらできなかったことです。われわれの現在の生活を実際上、支配しているのは二十世紀の技術です。
こういう話があります。
百年前にアメリカ大統領が特許庁長官を呼んで、「二十泄紀はどうなるんだ?」と聞いた。
それで特許庁長官が、「あらゆる発明発見は十九世紀に完成した。二十世紀はそのアプリケーションの世紀になる」と言った。
人間の認識は、今日までの知識しかないから、次に何が起こるかがわからない。だから現状の延長線上でしか考えられないんです。
ところが、二十世紀になって、ライト兄弟によって飛行機、アインシュタインの相対性理論、レーザー光線から原子力など全部出てきた。
すると、今度は「二十一世紀はもう新しいものは出ない」となる。このように、つねに「もう出ない」と言う。歴史的にはそれを繰り返してきていて、いつも「終末論」なのです。
先日、ある大学で講演して、「いつの時代も、それまで想像もできなかったようなものが生み出されてきた。それがイノベーションの歴史だ」といったことを話したら、学生の一人から、「『いままではそうだったが、これからは違う』と識者が言っていたが、どうでしょうか」という質問が出ました。
日下: そんなことは大嘘のコンコンチキ(笑)。
武田: だから、私はこう答えました。
「いままで人類は何万年も過ごしてきて、ずっとイノベーションを繰り返してきた。いま、これでイノベーションがすべて終わるなら、そういう歴史的瞬間に私が生きたということは大変に名誉なことだ」と答えた(笑)。
私の流儀は、「牛肉を食べて、はじめて狂牛病になったんだったら嬉しい」というものです。そういう歴史的場面に立つことができたら光栄です。
そういう点で言えば、もし、私がはじめて人類が進歩しない時代に生きているのだとしたら、それはそれでこんな貴重な機会はない。「もう死んでもいい」と思うくらいです。
しかし、そんな時代は絶対に来ないと思っています。そのへんのところは日下さんはどう思われますか。
『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
R070102 P144
2025年1月1日水曜日
第5章「節約」などで社会は発展しない ◎「いま考えていることは、ほとんどが間違っている」
第5章「節約」などで社会は発展しない
◎「いま考えていることは、ほとんどが間違っている」
武田: 私はずっと技術者として長年研究をやってきて、何がわかったかと言えば、「自分がいま考えていることは、ほとんどが間違っている」ということです。それは何回も自分が考えていることに裏切られてきたからわかってきた。
どんなふうに考えても、こっちからやって、あっちから考えて、「こうだ」と思う。しかし、研究の場合、間違いがわかるのは非常に簡単で、いくら自分が論理的に組み立てても、事実でもってあっさりと覆(くつがえ)されてしまう。
新しい発見があると、その前に組み立てるときの論理には、当然のことですが、その発見の事実が入っていない。そこで、それまでに論理的に組み上げたものは全部崩れてしまう。
「今度は絶対間違いない」と思っても、また覆される。それをくり返し経験すると、論理を組み立てて、それで進めていっても、組み立てたその結果は間違っているに決まっていると思うようになります。
日下: つまり、正しいことはつねに変わるということ?
武田: そうですね。いまは常識で正しいと思い込んでいても、明日にはそれが間違っているとわかる。私はそれをニュートンの万有引力を例にして、学生たちに話します。
名古屋大学で物理学を教えていて、十四回講義して十五回目の最後の講義のときに、私は学生にこう教えていました。ものを上から落として、「落ちるでしょ」と。
「これをニュートンが誕生するまでは物理の先生はどう教えていたか」と聞く。普通この説明は、物理学者でも難しい。というのは、ニュートンまでは、「万有引力」という言葉はない。
「いまきみたちに『これは万有引力だ』と教えているが、五百年前には、『地下の悪魔が引っ張った』と教えていた」と説明する。そしてさらに、「万有引力で落ちる」と言っても説明したことにはならない。なぜ下に落ちるのかを具体的に説明できなければならない。つまり、現在でもなぜ、物が落下するのか説明できる人は少ない。
日下: なるほど(笑)。
武田: そしてこう言ってまとめます。
「いまから千年後は、万有引力ですら必ず別の理屈で教えるに決まっている。平安時代に教えたのといまから千年後とではまるで教え方が違う。ということは、私がいままで十四回講義した物理の原則は、将来は全部間違いになるということです。きみたちがやるべきことは、私が十四回教えたことを否定するために研究することです。
でも、現在の知識の上に立たないと遠くを見られないから。私は一応、みなさんをニュートンの肩の上(既存の学問体系)に乗せて、遠くが見えるようにした。しかし、みなさんが見る遠くの景色のほとんどは全部間違っている。そういうことを理解しておくことが大切なんだ。僕は歳をとってここまでしかできないから、みなさんは僕が間違っていることを崩していくことで、次の新しい時代がくる」
私はいつもそういう意識があるんです。もちろん、もともと正しいこともあるのですが、すごく少ない。私の感じだと、いま、十使っているとすると、二くらいで、あとの八くらいは正しくはない。しかし、嘘も方便で、とりあえず、いまこれが正しいとしてやっていけるのだから、やっているだけのことです。
日下: なるほど感心いたします。
『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
R070101 P140
大祓詞 平和で普通の一年を祈念するのに相応しい、大祓詞で新年を祝います。あけましておめでとうございます。本年も、拙いブログにお付き合いください。
大祓詞 平和で普通の一年を祈念するのに相応しい、大祓詞で新年を祝います。あけましておめでとうございます。本年も、拙いブログにお付き合いください。
大祓詞 朗読は、湯島天満宮権禰宜 小野善一郎氏(國學院大学神道学博士)大祓詞(おほはらへのことば) 神拝詞(神社本庁蔵版より)音声は、DHCテレビ、馬渕睦夫先生の『和の国の明日を造る』 #45 ゲスト:小野善一郎氏より作成しました。 • 動画
字幕をクリックすれば、字幕が出てきます。
大祓詞おほはらへのことば
高天原たかまのはらに神留かむづまり坐ます 皇すめらが親むつ神かむ漏ろ岐ぎ 神かむ漏ろ美みの命みこと以もちて 八や百ほ萬󠄄神よろづのかみ等たちを神かむ集つどへに集つどへ賜たまひ 神かむ議はかりに議はかり賜たまひて 我あが皇すめ御み孫まの命みことは 豐葦󠄂とよあし原はらの水穗國みづほのくにを 安國やすくにと平󠄁たひらけく知しろし食󠄁めせと 事こと依よさし奉まつりき 此かく依よさし奉まつりし國中くぬちに 荒󠄄あら振ぶる神等かみたちをば 神かむ問とはしに問とはし賜たまひ 神掃かむはらひに掃はらひ賜たまひて 語こと問とひし磐根いはね 樹根きね立たち 草󠄂くさの片かき葉󠄂はをも語こと止やめて 天あめの磐座放いはくらはなち 天あめの八重やへ雲ぐもを 伊頭いつの千別ちわきに千別ちわきて 天降あまくだし依よさし奉まつりき 此かく依よさし奉まつりし四方よもの國中くになかと 大おほ倭やまと日ひ高見國だかみのくにを安國やすくにと定さだめ奉まつりて 下したつ磐根いはねに宮みや柱ばしら太ふと敷しき立たて 高天原たかまのはらに千木ちぎ高たか知しりて 皇すめ御み孫まの命みことの瑞みづの御み殿あらか仕つかへ奉まつりて 天あめの御み蔭かげ 日ひの御み蔭かげと隱かくり坐まして 安國やすくにと平󠄁たひらけく知しろし食󠄁めさむ國中くぬちに成なり出いでむ天あめの益人ますひと等らが 過󠄁あやまち犯をかしけむ種種くさぐさの罪事つみごとは 天あまつ罪つみ 國くにつ罪つみ 許許太久ここだくの罪つみ出いでむ 此かく出いでば 天あまつ宮事みやごと以もちて 天あまつ金木かなぎを本もと打うち切きり 末すゑ打うち斷たちて 千ち座くらの置座おきくらに置おき足たらはして 天あまつ菅麻󠄁すがそを本もと刈かり斷たち 末すゑ刈かり切きりて 八針やはりに取とり辟さきて 天あまつ祝詞のりとの太ふと祝詞のりと事ごとを宣のれ
此かく宣のらば 天あまつ神かみは天あめの磐門いはとを押おし披ひらきて 天あめの八重やへ雲ぐもを伊頭いつの千別ちわきに千別ちわきて 聞きこし食󠄁めさむ 國くにつ神かみは高山たかやまの末すゑ 短山ひきやまの末すゑに上のぼり坐まして 高山たかやまの伊褒理いほり 短山ひきやまの伊褒理いほりを搔かき別わけて聞きこし食󠄁めさむ 此かく聞きこし食󠄁めしてば 罪つみと云いふ罪つみは在あらじと 科しな戶どの風かぜの天あめの八重やへ雲ぐもを吹ふき放はなつ事ことの如ごとく 朝󠄁あしたの御み霧ぎり 夕ゆふべの御み霧ぎりを 朝󠄁風あさかぜ 夕風ゆふかぜの吹ふき拂はらふ事ことの如ごとく 大おほ津邊つべに居をる大船おほふねを 舳解へとき放はなち 艫とも解とき放はなちて 大海原おほうなばらに押おし放はなつ事ことの如ごとく 彼方をちかたの繁しげ木きが本もとを 燒鎌󠄁やきがまの敏と鎌󠄁がま以もちて 打うち掃はらふ事ことの如ごとく 遺󠄁のこる罪つみは在あらじと 祓はらへ給たまひ淸きよめ給たまふ事ことを 高山たかやまの末すゑ 短山ひきやまの末すゑより 佐久那󠄁太理さくなだりに落おち多岐たぎつ 速󠄁川はやかはの瀨せに坐ます瀨せ織おり津比賣つひめと云いふ神かみ 大海原おほうなばらに持もち出いでなむ 此かく持もち出いで往いなば 荒󠄄潮󠄀あらしほの潮󠄀しほの八百道󠄁やほぢの八や潮󠄀道󠄁しほぢの潮󠄀しほの八百やほ會あひに坐ます速󠄁開はやあき都比賣つひめと云いふ神かみ 持もち加加呑かかのみてむ 此かく加加呑かかのみてば 氣い吹ぶき戶どに坐ます氣い吹ぶき戶ど主ぬしと云いふ神かみ 根國ねのくに 底國そこのくにに氣い吹ぶき放はなちてむ 此かく氣い吹ぶき放はなちてば 根國ねのくに 底國そこのくにに坐ます速󠄁はや佐須良比賣さすらひめと云いふ神かみ 持もち佐須良さすらひ失うしなひてむ 此かく佐須良さすらひ失うしなひてば 罪つみと云いふ罪つみは在あらじと 祓はらへ給たまひ淸きよめ給たまふ事ことを 天あまつ神かみ 國くにつ神かみ 八百やほ萬󠄄よろづの神等共かみたちともに 聞きこし食󠄁めせと白まをす
2024年12月31日火曜日
◎一九八〇年代後半には公害は退治された
◎一九八〇年代後半には公害は退治された
武田: 昭和三十ご~四十(一九六O~一九六五)年頃に、日下さんをはじめ宇井さん、橋本さんなどが公害問題に取り組みはじめたということですね?
日下: はい。新聞記者にもぼつぽつ、公害専門という人が出てきましたね。
はじめに言ったように、昭和四十五(一九七〇)年前後に、私は「公害」という雑誌に毎号巻頭言を書いていた。そこで、日本が呼び掛けて、「国連環境会議を開こう」という提案をしたところ、経済企画庁や外務省や通産省が乗り気になって、そのための準備海外調査団ができた。団長は村上孝太郎氏で副団長は下河辺淳氏です。世界中を視察して歩いた。
高度成長は終わって、公害がひどくなっている。私は「公害問題の―つの原因は社会資本不足ですよ」とも主張していた。たとえば、上下水道をきちんとつくれば、工場も川に流さない。だから産業用下水道をつくって、料金をきちんととる、といったことを、みんな一緒にやれば安く済む。というような政策提言をしたから、建設省や通産省も乗ってく
国るわけ。役人たちは「これで予算をとれるぞ」と思ったのかも知れません。
世界を視察して歩いたときに、見て歩いたのは下水処理場とごみ処理場ばかり。帰国して「日本の下水処理場は遅れている」などと書いても、あまりだれも喜ばない(笑)。当時は町中、くみ取るためにバキュームカーが走っていた。
武田: あの頃は。それが普通だった。
日下: 出張で鳥取市に行ったとき、バーの女性にこの町の自慢は何ですかと聞いたら、「水洗トイレ」というのが真っ先に出てきた。下水道整備は喜ばれる社会開発だった。そして、下水処理技術の開発はやっぱりまじめな人がいて、まじめにやっていた。今は、当たり前になっているが、あれはいつ頃に全部完備されたんですか。
武田: 下水道の完備は一九八〇年代の終わりくらいかな[参考.一九七二年に「下水道事業センター」(後の「日本下水道事業団」)が設置された。一九八〇年、普及率が三割を超える。
日下: その当時は、下水にはいくらでも予算がついて、天文学的に金を使った。
武田: 公害についても、日本では、一九六〇年代頃から宇井さん、日下さんはじめ、いろいろな方が出てきて、社会的には非常に素早く対応してきた。もちろん、それにはいろいろご苦労はあったのでしょうが、日本のことですから、あっという間にひどい状態からよくなってきた。
それには脱硫技術とか脱硝技術とか、活性汚泥処理などの技術とかが実用化されていく。
そういう技術の確信があるわけですが。もちろん、当然、お金の面とか、政治的な面もあってですけど。そして、結果としては、一部は残っても、一九八〇年代の後半にはほとんど公害のようなものは退治されてきた。
しかし、その中で報道のひずみというものがあって、いまは、たとえば牛込の柳町の鉛公害事件(注15) などは、ずいぶん調べたんですけど、私の調べた限りではでっち上げた事件のようです。この頃からすこし報道は曲がってきた。
日下: それは車の排ガスが低地にたまると言って問題になった事件。
武田: そうです、有鉛ガソリン廃止のきっかけになったんです。東京都の健康診断などからですが、実際は健康診断自体が間違っていたようです。でも、社会には環境被害に対するあるトラウマが存在して、社会的な騒ぎになった。
この事件に対しては、間違っていても騒ぎになったことが、環境を改善する―つの力になったという評価もあるのですが、私などは、事実に基かないことで事態を解決しても、一時的によいだけで、結局は世の中は良くならないと思うのです。
(注15)牛込柳町鉛中毒事件
一九七〇(昭和四十五)年、東京都新宿区牛込柳町の交差点付近住民の健康診断で、多数の人が慢性の鉛中毒に罹患していると疑われ、その鉛は自動車排気ガス(有鉛ガソリン)に由来していると発表され社会問題化した。
この「牛込柳町鉛公害事件」は、マスコミなどで大きく取り上げられ、日本で有鉛ガソリンが廃止された直接の原因となった。ところが、詳細に調査してみると、健康診断のデータ自身が間違っていたことが判明した。体の不調を訴えた住民は実際の健康はどうだったのか、まだ明らかになっていない。この鉛中毒事件自体が、マスコミのイメージ先行のミスリードだったとも言われる。
『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
R061231 P135
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