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2024年1月24日水曜日

R6 01/24【ゲスト:広沢一郎】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第293回

R6 01/24【ゲスト:広沢一郎】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第293回 00:00:00 準備画面 00:00:42 番組開始 00:23:35 本日のニュース項目一覧 00:28:36 宏池会 66年の歴史に幕 林芳正座長「重い決断だがけじめ」 00:52:47 「裏金は一切ありません」西村康稔議員が地元駅前でビラ配り 01:11:42 本日のゲスト紹介 01:22:40 名古屋市が一転導入へ“コンビニで住民票受け取り” 01:55:28 クルドの祭りに「県の公園貸すな」音楽が「テロ賛美」指摘も 02:12:42 締め挨拶

2024年1月23日火曜日

虎ノ門サイエンス改 虎ノ門ヒストリ- ガザ地区と広島原爆

【虎ノ門ニュース】2023/12/8(金) 武田邦彦×須田慎一郎 虎ノ門サイエンス改 虎ノ門ヒストリ- ガザ地区と広島原爆

2000年以上続く日本の皇室

2000年以上続く日本の皇室 紀元前12世紀、ヒッタイトは、東地中海沿岸を船に乗って荒らし回っていた「海の民」と呼ばれる謎の民族に滅ぼされたとされていますが、内紛によって国力が落ちて自滅したという説もあります。 ヒッタイトが支配していたアナトリアは、エーゲ海ないし地中海を経由してメソポタミアやエジプトと連絡する交易の要衝でした。ヒッタイトが覇権を握っていた時代も諸国の干渉には激しいものがありましたが、ヒッタイトの滅亡以降、遊牧イラン人が建設したアケメネス朝ペルシアが紀元前6世紀にオリエントを統一するまで混乱は続きました。 アケメネス朝ペルシアは紀元前5世紀にギリシア侵攻を目指すペルシア戦争に失敗し、紀元前330年、マケドニアのアレ クサンドロス大王の遠征軍によって滅ぼされます。 マケドニアはペルシアを滅ぼしたことでギリシアからオリエントにまたがる大帝国となりましたが、アレクサンドロス大王の死後、ディアドコイと呼ばれる後継者たちによって領土は分断され、内紛状態となりました。 当時、実力を増してきていたのがギリシアの都市国家から始まったローマでした。 マケドニアはローマの進出に対抗しておよそ50年間の間に3度の戦争を試みますが紀元前168年のピュドナの戦いを最後に滅亡し、ローマの属州となりました。 ローマは紀元前1世紀末までには地中海全域の支配を完成させ、紀元前27年に初代アウグストゥスを掲げて共和政から帝政へと移行します。 このローマ帝国の成立をきっかけとして、現在のヨーロッパ諸国が歴史の表舞台に登場し始めることになるのです。 強国大国が衝突し合う激動と動乱の約2000年、これはすべて紀元前2000年頃のアーリア人の大移動が元となっています。西洋文明のバックボーンはここにあると言っていいでしょう。 ちなみに、エジプトは砂漠と海に囲まれて比較的安定した王朝が続いたと言われていますが、記録に残る紀元前3150年に始まる初期王朝から紀元前30年の最後の王朝プトレマイオス朝までの約3000年の間に31の王朝が興亡を繰り返しました。 1王朝あたり100年とは続いていない計算です。 覇権争いが激しいと言われる中国大陸の王朝の興亡を見てみると、多分に伝説的ですが「夏」という紀元前2070年に興った王朝から1912年に滅んだ「清」まで、三国時代という約360年間の分裂時代を挟むものの、約4000年間のうちに11の王朝の交代がありました。 1王朝あたり、およそ400年間です。 京都府京都市上京区に、794年の平安遷都以来明治維新まで1000年以上天皇が住まわれた京都御所が残っています。古来の内裏の形態が保存されている皇室関連施設です。 京都御所を目にして驚くべきことは、堀もなければ石垣もなく櫓(やぐら)もない(外敵から御所を防衛するための設備が何もない)ということです。 これは、観光名所としての意義を持って近年そうしたわけではありません。古来、天皇のお住まいにおいては外敵の襲来を想定していないのです。 海外の王朝ということに準(なぞら)えて言えば、日本は2023年現在で皇紀2683年です。つまり一つの王朝が2683年間続き、今後もまた続いていく―――という国なのです。 令和の御世で126代の天皇の下、天皇を殺して取って代わろうとする者などおよそ出現しない、平和的な文明を持続させてきたのが日本でした。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060123 102

順調に開発している日本の新型戦闘機「GCAP」の開発状況とややこしい用語の違い

https://www.msn.com/ja-jp/sports/other/mlb-%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E7%BF%94%E5%B9%B3%E3%81%AF-%E5%BC%95%E9%80%80%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AB500%E6%9C%AC%E5%A1%81%E6%89%93%E3%81%AB%E5%88%B0%E9%81%94%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%8B-%E7%B1%B3%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%8C%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%E5%AE%9F%E6%96%BD-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E6%9C%AA%E5%88%B0%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%81%B8%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7%E3%81%AF/ar-BB1h18J1?ocid=msedgntp&pc=U531&cvid=1f69912683e4424fa03fb12bd5b3703f&ei=10 【ゆっくりウエポンズ】順調に開発している日本の新型戦闘機「GCAP」の開発状況とややこしい用語の違い

【生配信】第366回 江崎道朗&中川コージが話題の最新ニュースを解特別説!

【生配信】第366回 江崎道朗&中川コージが話題の最新ニュースを解特別説!

R6 01/23 百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第292回

R6 01/23 百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第292回

2024年1月22日月曜日

第3章 西洋の歴史 「破壊」とともに歩んできた西洋文明

第3章 西洋の歴史 「破壊」とともに歩んできた西洋文明 興亡と紛争が繰り返された古代オリエント史西洋の文明は古代オリエントに始まります。オリエントは「東方」という意味です。古代オリエントは、具体的に言うと、西アジアからエジプト、東地中海岸を含んでインダス川流域に至る地域を指します。ヨーロッパから見て東方(オリエント)ということです。 日本と西洋の歴史を比較検証するために、このオリエント、そしてヨーロッパというものが登場するまでの歴史をまず簡単に振り返ってみましょう。「興亡と紛争が繰り返された」ということがよくわかります。 古代オリエントの歴史のポイントは、アーリア人と呼ばれる民族の大移動と拡散にあります。アーリア人は元々中央アジアに現住していましたが、紀元前2000年頃、その大部分は中東からヨーロッパヘ、他はインドヘと移動していきました。 移動した理由は、「気候変動による寒冷化を避けたため」「遊牧民の必然として牧草を求めて拠点を移していったため」などと言われています。アーリア人は文字を持たず、記録がありませんから明確なところはわかっていません。 言語の祖先を一つにするグループを「語族」と言います。英語、フランス語、ロシア語、ギリシア語、ヒンディー語、ペルシア語などは同じ語族で「インド・ヨーロッパ語族」と呼ばれていますが、このインド・ヨーロッパ語族の分布範囲はアーリア人の大移動の範囲と重なっています。 古代オリエントに「ヒッタイト」という紀元前1800年頃から前1200年頃にかけてたいへん栄えた民族がいました。他の周辺民族に先駆けて「鉄器」を活用した民族として知られています。 世紀初頭のヒッタイト語の研究からインド・ヨーロッパ語族に属するとわかり、元々はアーリア人だった民族だろうとされています。 鉄器の使用で強化されたヒッタイトの軍事侵攻が、古代オリエント諸国の存亡を決めていきます。 紀元前19世紀頃に小アジアのアナトリア(現在のトルコ共和国のアジア側の半島部)に移動したヒッタイトは、紀元前17世紀半ば頃にハットウシャ(現在のトルコ共和国ボアズキョイ)に首都を置く王国を建て、紀元前16世紀、ハンムラビ法典で知られるメソポタミアのバビロン第一王朝を滅ぼしました。紀元前13世紀に最盛期を迎え、エジプトなどの強国とさらに抗争を展開します。 抗争の大きなものとしてよく知られているのは、紀元前13世紀初頭、シリアの覇権をめぐって、北進してきたエジプト新王国のラムセス2世と争った「カデシュの戦い」です。 この時に交わされた講和条約の内容が書かれた粘土板が、20世紀にハットウシャで出土しました。カデシュの戦いは、人類史上初めて記録に残された戦争、ならびに結ばれた条約は史上初の成文化された講和条約であり、粘土板のレプリカがニューヨークにある国際連合本部ビルに飾られています。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060122 98