何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
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2024年1月14日日曜日
日本人の道徳心に驚いた、西洋の人々
日本人の道徳心に驚いた、西洋の人々
江戸時代の末期、日本を新たなマーケットあるいは研究対象として考える西洋人が大勢来日しました。それぞれに手記や研究記録を残していますが、その多くに共通するのは、「日本人の道徳心の高さに驚いている」、ということです。
たとえば、外国人に対して川の渡し賃を吹っ掛けることがない日本人の正直さに驚くなどしています。
江戸時代、幕府の本拠地・江戸を防衛するために意図的に、国境を形成する川には橋をかけない政策がとられていました。川は渡し船を使って渡る以外にありません。中国(当時は清王朝)では、何事も外国人は桁が違うほどの料金を吹っ掛けられるのが普通でした。西洋人はそれを覚悟して渡し船に乗るわけですが、日本では相場の料金しか請求されないのです。礼のつもりで余計に渡そうとしても、船頭はそれを受け取りません。
日本人はむやみに金銭を要求しません 。ここぞとばかりにごまかしたり、嘘をついたりするのが嫌なのです。
イザベラ・バードという1831年生まれのイギリスの女性探検家が1878年に来日し、東京や東北、北海道を旅したことがあります。この時の探検記は、彼女の著書『Unbeaten Tracks in Japan』にまとめられ、邦題『日本奥地紀行』として翻訳もされています。
イザベラ・バードが東北を旅行し、宿泊した宿で女中さんにとても良くしてもらったため、翌朝の出発時に心付けとしてお金を包んで渡そうとしました。ところが女中さんはこれを受け取らず、「私は女中として自分のすべきことをしただけのことですから、お金をいただくわけにいきません」と言うのです。
日本にはチップという制度がないので受け取らなかっただけのことかもしれませんが、「仕事を誠心誠意、心を込めてやる」というのが日本人です。お金が先にあって仕事をしているわけではない、ということがこの女中さんの態度からわかります。
また、この女中さんのエピソードは、日本人の「自己の確立の高さ」も物語っています。
女中さんは、自らの考えでチップを断りました。西洋では、「自己は高い教育によって確立する。一般大衆というものには自己は確立しない」と考えられ、キリスト教聖職者をはじめとするエリート層による大衆支配の根拠とされていました。
ですが日本のこの女中さんは、おそらくは学校になど行っておらず、貧乏で、勉強もしていないはずですが、自己(自分)というものを確かに持っているのです。
エドワード・S・モースという、1877年に大森貝塚を発見したことで知られるアメリカの動物学者がいます。発見は発掘調査をともない、日本の考古学の先鞭となりましたが、ダーウィンの進化論を紹介して生物学を定着させた人物としても知られています。
モースは日本を気に入り、3度にわたって来日しています。研究の傍ら、関東だけでなく、北海道、関西、九州と日本中の風土を見て回りました。モースは日本での体験を1917年に、『Japan Day by Day(邦題/日本その日その日)』という著書にまとめています。
モースが来日中、最も感心したことは、「日本人は他人のものは盗まない。日本人はしてはいけないことはしない」ということでした。
「私は襖を開けたままにして出かけるが、召使いやその子供たちは、私の部屋に出入りこそするけれど、お金がなくなったことがない」と、たいへん驚いています。
また、モースがある女性医師と東京の街を人力車で移動をしている時のこと。道路の傍らで盟(たらい)に湯を張って裸で行水をしている若い女性に出くわしました。
モースは「オイオイ、あんなところで行水をしているぞ」と言って思わず見入ってしまいましたが、彼と女性医師を乗せた人力車を引いている車夫はまったくそちらを見なかったのです。
モースは「我が国では、特に車夫のような肉体労働に就いている男はたしなみがなく、裸の女とくればまずはじろじろと見てしまう。ところが日本人の若い車夫は一切、そんなことはしなかった」として、これもまた大いに感心しています。
『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より
R060114 79
2024年1月13日土曜日
台湾総統選 民進党頼清徳・蕭美琴ペアが勝利
台湾総統選 民進党頼清徳・蕭美琴ペアが勝利 中共に対する強行路線
13日に行われた台湾総統選で、中国共産党に対して強硬な立場を示す民進党の頼清徳・蕭美琴ペアが540万票以上を獲得し、当選した。最大与党・国民党の侯友宜・新北市長が現地時間午後8時頃、支持者らの前で敗北宣言をした。総統選とともに、台湾の113人の立法委員(議員に相当)も選出される。
第3政党の台湾民衆党の柯文哲氏は、支持者に感謝の意を示すとともに、「明日からまた日常生活が始まる。台湾をよりよくするために力を合わせていこう」と訴えた。
家族のような「日本的経営」が、高度経済成長を可能にした
家族のような「日本的経営」が、高度経済成長を可能にした
経済復興の要因は、日本の会社の在り方にもありました。
『ジャパン・アズ・ナンバーワン アメリカヘの教訓』でも分析され、「日本的経営」と称されて評価されていますが、日本の会社は、社長以下従業員に至るまで家族のような関係性の中、共に一生懸命に働くことで運営されてきました。
日本人はそもそも働き者です。
働き者である従業員の一人ひとりの役割がつながって会社全体がうまくいく、というのが日本の会社でした。ここにも前章でお話しした「絡合力」があります。
古来、日本人の仕事観は「皆のために仕事をする」ということが基本となっています。なんでもかんでもカネで割り切ることなどできない、というのが日本人の美徳なのです。
昨今、日本の会社の運営は、株主総会が中心です。権力は株主総会に集中し、総会は取締役会によって取り仕切られます。
事項の決定は株主総会の多数決ないし、全会一致が原則であり、「現場主義」ではなく、「数字主義」による効率的・合理的判断がとられます。つまり、すべてカネで割り切られてしまうということです。
これは組織の構造上、仕方のないことでしょうが、伝統的な日本人の仕事観とは大きく異なります。
株式会社においては株主総会と取締役を設置しなければならないとする現行の会社法には、そもそもの日本人とは相入れない部分があるのかもしれません。
『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より
R060113 75
家族のような「日本的経営」が、高度経済成長を可能にした
家族のような「日本的経営」が、高度経済成長を可能にした
経済復興の要因は、日本の会社の在り方にもありました。
『ジャパン・アズ・ナンバーワン アメリカヘの教訓』でも分析され、「日本的経営」と称されて評価されていますが、日本の会社は、社長以下従業員に至るまで家族のような関係性の中、共に一生懸命に働くことで運営されてきました。
日本人はそもそも働き者です。
働き者である従業員の一人ひとりの役割がつながって会社全体がうまくいく、というのが日本の会社でした。ここにも前章でお話しした「絡合力」があります。
古来、日本人の仕事観は「皆のために仕事をする」ということが基本となっています。なんでもかんでもカネで割り切ることなどできない、というのが日本人の美徳なのです。
昨今、日本の会社の運営は、株主総会が中心です。権力は株主総会に集中し、総会は取締役会によって取り仕切られます。
事項の決定は株主総会の多数決ないし、全会一致が原則であり、「現場主義」ではなく、「数字主義」による効率的・合理的判断がとられます。つまり、すべてカネで割り切られてしまうということです。
これは組織の構造上、仕方のないことでしょうが、伝統的な日本人の仕事観とは大きく異なります。
株式会社においては株主総会と取締役を設置しなければならないとする現行の会社法には、そもそもの日本人とは相入れない部分があるのかもしれません。
『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より
R060113 75
監督・脚本を務めた山崎貴が語る「シン・ゴジラ」への対抗策とは
【ゴジラ-1.0】監督・脚本を務めた山崎貴が語る「シン・ゴジラ」への対抗策とは|ハリウッドではありえない!?今作登場する駆逐艦「雪風」の撮影手法|山崎貴が後悔した大苦労の海上ロケ【山崎貴✕馬場康夫】
2024年1月12日金曜日
第二章 心と思想 西洋人が驚愕する、日本人の道徳心
第二章 心と思想
西洋人が驚愕する、日本人の道徳心
焼野原からの復興を支えたものとは?
第二次世界大戦後、日本はそれまで世界のどの国も経験したことがないほどのスピードと規模を持って経済復興を果たしました。
特に規模の大きかった1945年3月の東京大空襲、8月の広島・長崎への原爆投下など、米軍の空爆によって主要都市ならびに工業都市が破壊され、大戦を通じて軍人戦没約230万人、民間戦没約80万人という数の国民を失った中からの復興でした。
復興は1950年代に始まり、1968年には当時の経済指標だったGNP(国民総生産)でソ連などの社会主義国を除く資本主義国中、アメリカに次いで第2位となりました。1960年代に池田勇人内閣が掲げた「所得倍増計画」のスローガンの下、全国的な重化学工業化が図られたのです。
復興の背景に、1950年に始まり1955年に休戦した「朝鮮戦争」による需要の増加、いわゆる朝鮮特需があったことは確かでしょう。
韓国と北朝鮮の間に起こったこの戦争には国連が介入しました。国連軍を主導した米軍が日本に大量の物資とサービスを発注したのです。
朝鮮特需は復興の大きなきっかけとなりましたが、日本の「奇跡的」とも言われた復興の要因はもちろんそれだけではありません。
1979年、アメリカで『ジャパン・アズ・ナンバーワン アメリカヘの教訓』(エズラ・ヴォーゲル、ハーバード大学出版局)が出版されます。原題は『Japan as Number One: Lessons for America』で、アメリカは日本に習え、としています。
経済指標の数字上ではアメリカの次でしたが、日本は復興開始後30年で実質上、世界一の経済大国となりました。この事実を、科学的に検証してみましょう。
多分に逆説的ですが、筆者は「経済復興の最大要因は、戦争によって日本がすべてを失ってしまった状態となったことにあったのではないか」と思っています。世界一の経済大国にまでなるには、やり直しだけではなく、新しいことを試みる必要がありました。
新しいことは常にあやふやで未確定です。新しいことをうまくやり遂げるためには、勢いのある生命力が必要です。そういう意味で、終戦によって古参の人たちが一旦退場し、新しい人たちが改めて社会の一線に登場することが重要でした。
明治日本の産業面での成長も同様のことが言えます。江戸時代に確立された商人層の利権と秩序が解体され、新規に登場した三井、三菱、住友といった財閥が明治日本の「富国」を担いました。
日本人経営者という話になると必ず名の挙がる松下幸之助も本田宗一郎も、創業こそは戦前でしたが、その新機軸の技術力と経営方針がより高く評価されたのは戦後のことでした。盛田昭夫と井深大がソニーの前身・東京通信工業株式会社を立ち上げたのは終戦の翌年、1946年のことでした。
松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫、井深大は『ジャパン・アズ・ナンバーワン アメリカヘの教訓』の中で、日本的経営者の代表としてその手腕が分析され、世界が学ぶべき実業家の筆頭として紹介されています。
松下幸之助も本田宗一郎も盛田昭夫も井深大も、皆、技術者でした。松下幸之助の創業当初のヒット商品は二股ソケットで、大正時代を代表する大ヒット商品でした。
松下幸之助は後に『商売心得帖』や『経営心得帖』といった指南書を書き、その中で「お客様は王様」という自身の経営方針を解説しています。王様の言うことをごもっともと聞いているばかりではいけない、たまには苦言を言って気付いてもらうことが必要だ、という方針です。
松下幸之助は終戦の混乱期、内部留保を取り崩して人員整理を極力回避する、社員寄りの経営体制を採ったといいます。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策の一つである、日本経済の弱体化を狙った財閥解体の対象とされたものの事態は避けられ、松下幸之助が社長に復帰できたのは、その恩に報いようという社員たちの嘆願があったからでした。
本田宗一郎の戦後の活躍は、1948年、浜松に本田技研株式会社を設立し、オートバイの研究を開始したことに始まります。
本田宗一郎はとにかく性能のいいエンジンを開発することに注力しました。海外との自動車開発競争は勝負にならないだろうとする日本政府が輸入車に関税をかけることで対抗する中、本田宗一郎は性能で勝負し続け、ついに世界の自動車マーケットを唸らせるに至り、ホンダは国際企業へと発展するのです。
古い時代にとらわれないやり方と新しい技術を生み出す力が、経済復興の大きな要因となりました。言い方を変えれば、新しい技術は、使い古された発想が退場することから生じるのです。
『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より
R060112 73
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