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2026年4月8日水曜日

「平凡という非凡——改名と方位学が教えてくれたこと」

「平凡という非凡——改名と方位学が教えてくれたこと」


私は戸籍名を変えたことがある。

理由は一つだった。これ以上の大波を、経験したくなかった。

若くして妻を失った。二十九歳だった。乳がんだった。出会いから死別まで、あまりにも短く、あまりにも激しかった。その後も人生の起伏は続いた。姓名科学の師である牧正人史先生に相談したとき、先生は私の名前を見て静かに言った。

「これは変えたほうがいい」

改名した。そして、波は静かになった。 右端が牧正人史先生です。


牧先生はこんなことも言っていた。

「君は良名に変えたのだから、方位とかあまり気にしなくてもよい」

その言葉を信じながらも、私はどこかで確かめたかった。古来からの言い伝えの中に、本当に真実があるのかどうかを。

方位学のシステムを自ら作り、自ら試すようになって、一つのことに気づいた。

吉方位は、思っているよりずっと少ない。

カレンダーを見れば、吉の日は数えるほどしかない。方位盤を見れば、八方位のうち真に吉といえる方向は一つか二つ。残りは凶か、普通か。普通でさえ、ありがたいと思えるほどだ。

易を見ても、四柱推命を見ても、同じことが言える。安定して穏やかな時期など、人の一生にそれほど多くはない。荒波の合間に、ほんのわずか凪がある。それが人生の実相なのかもしれない。

そのとき、私はある言葉を思い出した。

「平凡であることは、非凡なことだ」

大病もなく、大きな失敗もなく、今日も飯を食って眠れる——それがどれほど奇跡的なことか。方位学の数字を眺めているうちに、そのことが腑に落ちた。

改名は、荒波を避けるためではなかった。と、今は思う。荒波の中でも流されないための、錨を手に入れるためだったのだ。

牧先生の言う「良名」とは、方位の吉凶を超えたところに働くものかもしれない。そして方位学や易は、吉を掴むための道具ではなく、荒波の中で自分の位置を知るための羅針盤なのだと、ようやくわかってきた気がする。 姓名に良名はない。あるのは、人生を平穏に送れる姓名と、起伏が激しく、それだけに山と谷がはっきりしている姓名だ。牧先生の書物の中に格四結集運とか行動結集運など、特殊な姓名が出てくるが、いずれも特定分野に秀でた突出した力を持つ人がほとんどだ。また、良かれと思って親がつけた姓名が、実は問題のある姓名だったということも多いのだ。加えるならば、姓名の持つ相乗運。人は一人で生きているのではない。必ず集団の中で生きなければならない。姓名も当然、その仲間同士の姓名の組み合わせによって、力が二倍三倍になることもある。逆もまた然りである。だから、完璧な姓名などない。牧先生が仰っていたのは、ある分野に秀でた姓名はあるけれど、全方位に100点などという姓名は作れないし、あるはずもない。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【無料】牧正人史式 姓名科学 解析システム(マシレ予測) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ #牧正人史 #マシレ予測 #姓名科学

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