
フォークリフトのこと
工場の朝は、溶接の火花から始まる。
青白い閃光が、ラインの奥で短く散り、バチバチという乾いた音が、事務所の床までかすかに伝わってくる。拡声器が、その音を裂くようにして、朝礼の号令を飛ばす。コードの巻き取られたマイクから、場内放送の大音量が天井を伝って降りてくる——あのころ、現場にインターコムのようなものはまだほとんどなかった。ラインの騒音に負けない大きさの声を、拡声器が代わりに出していた。
自分は事務所の机で、一枚の計画書を広げる。
車両ではない。フォークリフトである。
配属されてしばらくして、本業として割り当てられたのは、少量生産のフォークリフトの生産計画だった。隣の車両ラインが一日に何百台という単位で動いているのに対して、こちらは一日数台、多くても十数台という規模。数の上ではささやかだった。しかし仕様は、数の少なさとは裏腹に、ほとんど無限に近かった。
その計画を担当していたのは、自分ひとりだった。
これは、今から書き残しておかなければならない事実である。フォークリフトの生産計画そのものを立てる人間は、一人だけ。同じ部署の他の先輩たちは、それぞれ別の業務——部品の発注計画、ユニットの発注計画、工数の測定——を受け持っていた。若い自分の机の上を走っていく紙を、みな自分の持ち場で受け止め、自分の持ち場から次の紙を流してくれていた。同じ船に乗って、櫂を握る場所が違う、そういう形の仕事だった。
マスト——爪を載せる縦の支柱——は、長さと昇降機構の違いで、およそ十種類。低いもの、高いもの、二段式、三段式、倉庫の天井に合わせるもの、船の中に入るもの。一つひとつ、使う現場の事情が違っていた。
爪は、数百種類である。
この数字を初めて聞かされたとき、自分は一瞬、聞き間違えたかと思った。数十ではなく、数百。長さが違い、厚みが違い、先端の角度が違い、断面の形が違い、取り付けの金具が違う。パレットを差し込む標準的なものから、ドラム缶を抱くC字型のもの、紙の巻物を中心から支えるロッド状のもの、建材を挟むクランプ式のもの——現場の荷物が、そのまま爪の形を決めていた。若い自分は最初、爪は爪だろうと思っていた。違っていた。荷の数だけ、爪の数があったのである。
エンジンは四種類。ガソリン、プロパン、ディーゼル、バッテリ。屋外の広い現場はディーゼルが多く、食品倉庫のように排気を嫌う場所ではバッテリが選ばれる。プロパンは屋内外の中間で、ガソリンはもう少数派になりつつあった。
適用加重は、一トン、二トン、三トン、四トン、十トン。これが変われば車体は別物になり、運転席の位置も車輪の配置も変わる。十トンともなれば、港の埠頭でコンテナの横に並ぶ、小型のトラクターのような姿になる。
タイヤは、数こそ車種で同じだったが、種類は用途で分かれた。
ニューマチックと呼ばれる、空気を入れる一般的なタイヤ。内部にゴムが詰まっていてパンクしないタイプ。床に油が残る現場で使う、耐油の特殊ゴム。現場の床の事情が、そのままタイヤの種類を決めていた。空気を入れるタイプは乗り心地は良いが、釘一本で動けなくなる。ゴム詰まりは重いが、倉庫の細かな金属片を踏んでも走れる。どちらを選ぶかは、その現場で一日に何百回フォークが転がるのかという、運転手の労働の形そのものだった。
そして、カウンターウエイト。
フォークリフトという機械は、前に重い荷物を差し出す。その重さに負けて前のめりにならないように、後方に重りを積んでバランスを取る——構造上、これがなければ成立しない機械である。だから、運ぶ荷の重さに応じて、あらかじめ決められた重量のウエイトが車体の後ろに鎮座することになる。運びたい荷物の重量が、そのまま機械の尻尾の重さとして、最初から決まっていた。
ドアの有無も選べた。寒冷地や雨の多い現場では運転席のドアが要る。逆に、短い距離を何度も乗り降りする倉庫の中では、ドアはかえって邪魔になる。運転手の一日の乗り降りの回数が、ドアの有無を決めていた。
マスト、爪、エンジン、加重、タイヤ、ウエイト、ドア——掛け合わせれば、組み合わせはすぐに万を超えた。
同じ型番のフォークリフトは、二台と並ばない。
それを、一人で計画する机だった。
生産計画というものには、時間の階段がある。
これを最初に身体で覚えたのも、この机の上である。
まず、車両計画ができる。全体として何月に何台を作るのか——この一番上の計画が決まらなければ、下の何もかもが動けない。車両計画が立つと、車種がわかる。車種がわかると、車体計画、塗装計画、エンジン計画、ユニット計画——ギヤボックスや駆動系のまとまりごとに、計画がばらけていく。そこからさらに細かな部品のばらしにまで展開されて、最後には、その部品がいつ、どのラインサイドに、どの数で到着していなければならないかという、棚の上の数字にまで落ちていく。
ここで、時間の向きが独特なのである。
車両のオフライン——つまり完成車がラインから離れる日——を基準にすると、すべての部品はその日より前に、それぞれの組付け工程のラインサイドに着いていなければならない。塗装は組立の前、エンジンは搭載の前、ギヤボックスはエンジンの前、鋳物の素材はエンジン組立の前、さらにその素材の鋳込みは、また何週間も前。一つずつ、時間をさかのぼって前倒しに並べていくと、最後の部品の鋳物の発注は、車両計画の完成よりも前になる。
つじつまが合わない、と一見思える。
しかし、それがつじつまを合わせるやり方だった。車両計画ができてから鋳物を発注しても、間に合わない。だから、まだ確定していない車両計画を前提にして、先回りでエンジン計画が動き出し、その先回りの先回りで、鋳物の発注が走る。生産工場の計画は、だいたい三か月先まで組まれている。三か月先の自分の工場の姿を、今日の机の上で描いていく。そうしなければ、現場は止まる。
時間を先に作っておく、という感覚を、自分はこの机で覚えた。
これは、のちに人生のさまざまな局面で姿を変えて戻ってくる感覚である。為替相場を予測するとき、事業の資金繰りを組むとき、一人の人間の人生に何が起こりうるかを考えるとき——三か月先、半年先、十年先を、今日の紙の上で動かしておく。それをしなければ、今日の動きそのものが間に合わない。フォークリフトの計画書の上で身体に入ったこの感覚は、あとの自分を静かに支え続けた。
計画書の上で、自分は一台一台の現場を想像する癖をつけていった。
注文書には、納入先の業種と使用目的の一行が添えられていることが多かった。製紙工場、食品倉庫、自動車部品の組立工場、港湾、鉄道の貨物駅、建材置場、冷凍の魚市場——文字だけでも、そこに積まれている荷物の様子、通路の広さ、天井から下がる配管、床に残る油や水の匂いが、なんとなく目に浮かんでくる。
想像するしかなかった。
現場に行く機会は、計画係にはめったに与えられない。しかし毎日、朝から夕方まで、仕様書の上で現場を立ち上げては、爪の形を決め、マストの高さを決め、タイヤの種類を決め、ウエイトの重さを決めていく。そのうちに、会ったこともない運転手の、作業服の袖の汚れ方まで、うっすらと見えるようになってきた。
自分が想像したその運転手のために、一台のフォークリフトが組み上がっていく。
計画の紙が、部品の発注を担当している先輩の机に回る。先輩はその紙を受け、海外部品の到着日と社内の在庫を照らし合わせて、組立の日取りを工務の担当へ渡す。ユニットを担当している先輩は、ギヤボックスや駆動系のまとまりを、別のライン側の日程と合わせてくれる。工数を測っている先輩は、複雑な機体の組立に何分かかるかを、ストップウォッチで実測した表から割り出してくる。自分の一枚の計画書は、そのようにして、何人もの先輩の手を通り抜けて、現場の一台に化けていった。
そこで、一台が組み上がる。
そして、その一台は、自分が仕様書の上で想像したあの運転手のもとへ運ばれていく。実際の運転手が、自分の想像とどれだけ似ていて、どれだけ違っていたのかは、永遠にわからない。それでも、一台ずつの想像の積み重ねが、現場というものに対する自分なりの手触りを、少しずつ育てていった。
こうしてこの机の上で、自分は一つの感覚を手に入れた。
自分が見ていない現場に対する、ささやかな敬意である。
港で荷を下ろす人。倉庫の奥で紙の巻物を運ぶ人。食品工場で夜勤のシフトに入っている人。寒冷地の建材置場で、白い息を吐きながら運転席のドアを閉める人。彼らの顔も名前も知らない。それでも、仕様書の上で彼らの道具の形を決めるとき、自分は彼らの一日を少しだけ背負っていた。
その感覚は、あとの人生で、姿を変えて何度も戻ってくる。
現場を離れて五十年以上が経つ。
今になって思うのは、入社してまだ間もない若造に、フォークリフトとはいえ車両一種の計画を一人で持たせるというのは、普通に考えれば無謀な話である。それが回っていたというのは、背後によほどしっかりしたサポートの仕組みがあったということだ。自分はただそこに座らせてもらっていただけで、一枚の紙を前後から受け取ってくれる先輩方がいたからこそ、机の上の数字が現場の一台になった。
恵まれた職場だった、と言うしかない。
半世紀が過ぎて、自分の机の上には、今も電卓がある。あのフォークリフトの仕様書に向かった机の上と、別の場所、別の時代の机の上。それでも、一枚の紙の向こうに見えない誰かがいるという感覚と、三か月先の時間を今日の紙の上で動かすという感覚——その二つは、あのころから何も変わっていない。変わらないまま、長くなった。
その変わらなさの奥には、若い日の自分を黙って支えていた、あの先輩たちの沈黙の手が、まだある。
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