

そうしていよいよ第二次世界大戦が厳しくなってくると、今度は米軍が東京を空襲しました。その頃の東京には日本の軍隊はほとんどおらず 、残っている多くが女性と子供と老人であることを知ったうえで実行されました。 日本にしても「一億玉砕」をスローガンとしていただけに、アメリカとしては民間人がゲリラ化することを恐れたところもあったかもしれませんが、そうだとしてもこの空襲はあまりにも酷いものでした。 サイパンから出撃した米軍の戦略爆撃機隊は、第一波で今の東京でいう山手線の外側を狙って通常爆弾による爆撃をしました。通常爆弾は地上近くでそのなかに詰まっている火薬が爆発します。そうして火薬を包んでいる鉄板が粉々に砕けて飛び散って、それが身体に突き刺さった人たちが死ぬというのが通常爆弾による殺戮(さつりく)の方法です。 そしてこの時には大きな爆発音がして激しい振動が起こります。そうすると爆破の被害を免れた人々も音と振動の恐怖から山手線の内側に向かって逃げていきました。そうして山手線の内側に人間が集まってきたところでアメリカ軍が第二波としてドラム缶にガソリンを詰めたいわゆる焼夷弾を空から落としました。焼夷弾は大きな爆発音などはしないのですが、地上に落ちたとたんにそのドラム缶が割れてガソリンが飛び散り、そこに火が点いて周辺を焼き尽くします。 この焼夷弾の爆撃によって、たくさんの人々が火だるまになって死んでいきました。 1945年3月10日未明の「東京大空襲」では一晩に10万人もの大量の非戦闘員が殺戮され、それまでの歴史においても類を見ないような悲惨な民間人虐殺が行われたのです。 『「新型コロナ」「EV脱炭素」「SDGs」の大ウソ』武田邦彦著 ビジネス社刊 20240418 P165
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