
ポイント 池の女の登場 その時庭木戸がすうと開いた。そうして思いも寄らぬ池の女が、庭の中に現れた。女は 「失礼でございますが。」 と会釈した。会釈しながら三四郎の顔を見つめている。女の目は、美学の時間に習ったクルーズの画にあるヴォラプチュアス(官能的)な表情である。しかしクルーズの画とは似ていない。女は 「広田さんのお越しになるのは、こちらてこざいましょうか」 と丁寧に聞いたが、三四郎は 「はあ、ここてす」 とぶっきら棒に答えた。 「まだお移リにならないんでございますか」 「まだ来ません。もう来るでしょう」 女はしはし送巡した。手に大きなバスケットを提げている。 風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。 「あなたは‥‥‥」と女は三四郎に間いた。 「掃除に頼まれて来たのです」 「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」 と女はまだ立っている。三四郎は仕方なく あなたは‥‥‥」 と同じようなことを聞いた。女は帯の間から一枚の名剌を出してくれた。名刺には里見美禰子とあった。 「あなたにはお目にかかリましたな」 と三四郎が言うと、女は、 「はあ。いつか病院で‥‥‥、それから池の端て」 と、よく覚えている。女も手伝いを頼まれて来たのだ。三四郎はここで初めて、池の女は里見美禰子であることを知ったが、美禰子の官能的な表情に改めて驚いた。それにしても美禰子は二皮の出逢いをよく覚えている。三四郎はますます二人の因縁を感じた。一方、美禰子は三四郎を見て、 「この人は広田先生とも関係のある人だな」 ということがわかった。前同、病院ではよし子から野々宮の友人であることを聞いている。 「いずれ私達の仲間に入ってくるかも知れない。自己紹介をしておきましょう」 と、帯の間から名刺を出して、名前を名乗った。これで三四郎との距離はかなり近くなった。相手の素性がわかれば、美禰子は天性の人懐こさを発揮する。無意識な偽善家( アンコンシャス・ヒポクリット)である。早速二人で仲良く掃除を始めた。 『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250505
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