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2025年7月5日土曜日

広田先生の少女と美禰子 『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より

広田先生の少女と美禰子 「それからどうしました」 と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」 と言う。 「二十年前に会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだから面白い」 「どこでお会いになったんですか」 「憲法発布は明治二十二年だったね。その時、森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな、君は 。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。僕は高等学校の生徒であった。大臣の葬式に参列するのだと言って 、大勢鉄砲を担いで出た。墓地に行くのだと思ってたら、そうではない。体操の教師が竹橋へ引っ張っていって 、道端へ整列さした。やがて行列が来た。何でも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や車が通る。その 中に今話した小さな娘がいた。今、その模様を思い出そうとしても明瞭に浮かんでこない。だんだん薄らいで今では思い出すことも滅多にない。けれどもその当時は頭の中に焼付けられたように熱い印象を持っていた。————妙なものだ」 三四郎もそうだった。あの時は目に焼き付けられたような印象だった。先生は、今はその模様が思い出そうとしても明瞭に浮かんでこない、だんだん薄らいできて思い出すことも滅多にないという。 しかし、三四郎にはあの日の美禰子の姿が、そのまま絵の中に残っている。 先生は、それから、その女にはまるで会わないし、どこの誰だかもわからな い。尋ねてもみないという。三四郎は 「それで結婚なさらないのですか」 と尋ねた。先生は、 「それほど浪漫的な人間ではない、僕は君よリもはるかに 散文的である」 と言った。三四郎が、 「しかし、もしその女が来たら御貰いになったでし ょう」 と聞くと、先生は 「そうさね」 と一度考えた上で 「貰ったろうね」 と言った。先生も、その女となら結婚を考えたと言う。しかし、三四郎の場合はどうだろう。 この前、原口さんのアトリエからの帰り道に自分から美禰子に愛の告白をした。美禰子の反応は溜め息を漏らしただけだった。その後に背の高い立派な紳士が現れた。どうも様子がおかしい。 先生は 「世の中には、色々の事情で結婚しない者がいる。ハムレ ットは結婚したくなかったのだろう。その他にも沢山いる」 と一人の男の例も話した。 父は早世し、母親一人に 育てられたが、母が死ぬ間際に、実はお前の本当の父親は別人だと言われ、それ以来その男は結婚に信頼を置かなくなったという話であった。これは滅多にない話だがないことはないと、先生はハハハハと笑っている。三四郎も父は早世し、母一人に育てられた。一瞬いやな思いがしたが、先生は 「僕の母は憲法発布の翌年に死んだ」 と話をそらした。 先生は、今の三四郎と同じ年で母親を亡くしたのだ。それからずっと独身である。結婚のいやな煩わしさを避けているのかも知れない。 『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より  R0720250705

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