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2025年2月17日月曜日

キリスト教の場合

キリスト教の場合 これに対するイエスキリストですけれども、これはやはり山上の垂訓でしょう。山上の垂訓という聖書で有名な一場面があるわけです。イエスが群衆を引き連れて山の上に昇って、山の上でみんなに語ったという。非常に有名な場面があるんですが、ここでこう言っています。 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言うときには、あなたがたは、さいわいである。 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたよリ前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」 このように言っておられるわけです。これは二つに分かれますね。 ―つは、「現在不幸な人、貧しい人、悲しんでいる人は、そのうち良くなるよ」と言っているわけです。これは一切皆苦、つまリ人生が思うようにならないから、貧しかったり、悲しかったりすることがあるんだけれども、諸行無常、やがて良くなるよと言っています。 それから、「もともと心が清かったリ、憐れみ深かったりする人は報われるでしょうね」と言っています。これは無理やり言えば、そういう哀れみ深いとか心は清いということが哀れみを受けたり神に近かったりする因果関係があるということを言っているわけですね。 言い方は違うけれども、イエスキリストがおっしゃっていることと、お釈迦様がイエスキリストの500年前に言われたこととほぼ同じであるということです。 『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版)  20250217

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