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2024年1月28日日曜日

世界を力によって二分した、ポルトガルとスペイン

世界を力によって二分した、ポルトガルとスペイン 大航海時代を牽引したのは当時の2大大国 、ポルトガルとスペインの開拓競争でした。実際にはアメリカ大陸だったわけですが、アジア大陸だと思われる大陸にコロンブスが到達したことでポルトガルとスペインの関係が緊張します。コロンブスは事業家として支援を受けるために、ポルトガル王室とスペイン王室を両天秤にかけていたのです。 1494年、「トルデシリャス条約」が両国間で結ばれます。西アフリカのセネガル沖、ベルデ岬諸島の西370レグア(約200キロメートル)の海上において子午線に沿った線(西経46度37分)の東側はポルト ガルに、西側はスペインに属することが定められました。 つまり、この世界についてはポルトガルとスペインで二分して支配することにした、というのがトルデシリャス条約でした。 当時、ヨーロッパはカトリック教会の伝統を廃して新体制を求める宗教改革の機運に満ちていました。ポルトガルとスペインはカトリック教国です。ポルトガルとスペインの世界開拓事業は、宗教改革で揺らぎ始めたカトリック教会の権威を保つための布教事業でもありました。 カトリックの宣教師は日本にもやってきました。学校教科書などではフランシスコ・ザビエルがよく知られています。 1549年に来日したザビエルは「イエズス会」という布教組織の創始者でもありました。ポルトガル王の要請でまずインドヘ赴き、マラッカで日本について知ったのです。 大航海時代の出来事としてとても有名なものに、1533年のスペインによるインカ帝国の征服があります。 スペイン軍の提督ピサロはインカ皇帝アタワルパと会見して聖書を差し出し、キリスト教への改宗を迫りました。 拙い通訳など意思疎通の不十分があったとされていますが、インカ皇帝は明確な意思を示さず、業を煮やしたスペイン軍は皇帝の側近者たちに発砲 、皇帝を人質に捉え、インカ帝国を滅亡へと追い込みました。 インカ帝国には13世紀からの歴史がありましたが、当時は年若い皇帝の下、すでに内乱状態にありました。 中央アメリカから伝播した天然痘も社会不安を呼んでおり、インカ帝国があっけなくスペインに征服されたのにはこうした背景があったとされていますが、一方、スペイン軍が当時最強の軍事力を保持していたことも確かです。 ピサロが率いてインカ帝国を滅亡に追い込んだ軍隊はわずか168名でしたが、そ の手には最新式の鉄砲がありました。携帯した大砲は一門だけでしたが、これも当時最先端の殺裁兵器でした。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060128 117

2024年1月27日土曜日

「西洋史」は西洋の押し付け?!

「西洋史」は西洋の押し付け?! 15世紀半ばから17世紀半ばにかけて、ポルトガルやスペインといったヨーロッパの国々がアフリカ、アジア、アメリカの大陸に対して盛んに航海を行いました。いわゆる「大航海時代 」と呼ばれる時代です。 この時代がかつて、「大発見時代 」とも呼ばれていた時期があることを覚えている方もいるでしょう。 たとえば、1492年のクリストファー・コロンブスのアメリカ大陸到達です。かっての学校教科書などでは「アメリカ大陸の新発見」などという表現で説明されていました。 「発見」というのは西洋側から見た言い方です。 発見などされなくとも、アメリカ大陸には多くの人々が暮らし、文明というものが 展開されていたのです。 最近は、大航海時代の意義については、「世界の一体化」というテーマの下で語られることになっています。 ヨーロッパ諸国の航海術の向上と世界全体に対する興味、グローバリズムの意識が大航海時代につながったとされているようです。 地球が球体であるということはすでに紀元前4世紀にアリストテレスが理論上で証明していました。ルネッサンス期1474年、パオロ・トスカネリという天文学者が改めて「地球球体説」としてまとめたことで注目されました。 コロンブスが計画した航海は、地球球体説を確認するために行われたものでもありました。 世紀末の段階で、西洋諸国は貿易振興のためにインド航路の開拓を大きな目標と して掲げていました。 アフリカ大陸の喜望峰経由の航路が有力視されていましたが、コロンブスは、大西洋を西回りで行ったほうが早くインドにつくのではないかと考え、結果、アメリカ大 陸に到達します。 大西洋を西へ向かったコロンブスの船団は意外に早く陸地についてしまいました。 現在の南北アメリカ大陸の間、カリブ海域にある群島でした。 インドの西の地域に違いない、ということでコロンブスは群島を「西インド諸島」としました。そして、現地の人々をインド人だと思い込んで「インディアン」と呼んだのです。 現在この地域はそれぞれの島が国として独立していますが、未だにこの地域は「西インド諸島」と呼ばれています。 こうしたヨーロッパ中心の発想は最近ではずいぶん修正されてきてはいるものの、まだまだ残っています。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060127 114

EVに買い替えて大崩壊!トヨタ潰し大失敗!極寒のアメリカでEVが大量にダウン!寒波のシカゴでテスラEVが墓場のように捨てられる事態に!

EVに買い替えて大崩壊!トヨタ潰し大失敗!極寒のアメリカでEVが大量にダウン!寒波のシカゴでテスラEVが墓場のように捨てられる事態に!

2024年1月26日金曜日

【マタギ】居島一平・坂本頼光の暗黒迷画座 第126回【映画紹介】

【マタギ】居島一平・坂本頼光の暗黒迷画座 第126回【映画紹介】

シェフを目指してたフランス人高校生が日本でフレンチ料理を食べたら

シェフを目指してたフランス人高校生が日本でフレンチ料理を食べたら

徴兵制を産んだフランス革命 国民国家の誕生

徴兵制を産んだフランス革命 国民国家の誕生 1789年の「フランス革命」は、絶対王制を倒し、王侯貴族が不合理に独占していた富と権利をブルジョアと呼ばれる都市の商工業者たち、いわゆる市民に移そうという革命でした。 とはいえ、1791年に成立した共和制政府は1799年、ナポレオンのクーデターによって統領政府となり、1804年、ナポレオンはナポレオン1世として皇帝に即位しフランス第一帝政が成立します。 このフランス革命は「徴兵制」を生んだ革命としても知られています。 1793年、共和制政府が国民総徴兵法を布告し、フランスは百万人規模の国民皆兵の態勢に入りました。1796年にヨーロッパ制覇を目指して開始されたナポレオン戦争は、徴兵制をさらに拡充させました。 1812年のモスクワ遠征失敗を機に、戦争はフランス帝国防衛戦争へと変遷します。 徴兵制は画期的な制度でした。フランス革命以前、ヨーロッパ諸国の軍隊は「騎士団」と呼ばれる、カネで雇われて戦う傭兵たちで構成されていたのです。 自分の国は自分で守るという意識はナポレオン戦争を通じて高まり、ここにヨーロッパに初めて「国民国家」というものが登場したのです。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060126 111

<メモ> 必見【十割そば】切れずにつながる打ち方は○○○を使う☆How to make 100% soba using Yamato yam

<メモ> 必見【十割そば】切れずにつながる打ち方は○○○を使う☆How to make 100% soba using Yamato yam 【 十割蕎麦 300g 】 蕎麦粉300g:熱湯105g:大和芋45g:追加する水45~60g 【 300g  juwari soba 】 300g of buckwheat flour : 105g of boiling water : 45g of Japanese yam : 45-60g of water このレシピで作った、私の生涯二回目に打った、蕎麦が以下の写真です。そばを切るのが難しく、きしめんのような蕎麦ができました。また、長方形に近く伸ばすのが非常に難しかった。 蕎麦球を伸ばしたところ 不通の包丁で切りました1 不通の包丁で切りました2 茹でます 冷水で締めて、、 ざるそばに