何だかんだ言っても、やはりみんな幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか。そのために、日々生活し、活動し、出逢いなどなど行っています。日常の生活で感じた事、実際に経験したことなど、徒然のままに、記録してみます。
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2024年1月26日金曜日
小型月着陸実証機(SLIM)および小型プローブ(LEV)の月面着陸の結果・成果等 の記者会見レジュメ 1/2
小型月着陸実証機(SLIM)および小型プローブ(LEV)の月面着陸の結果・成果等 の記者会見
小型月着陸実証機(SLIM)および小型プローブ(LEV)の月面着陸の結果・成果等 の記者会見レジュメ 1/2




























































2024年1月25日木曜日
混乱の果てに誕生した「国民国家」
混乱の果てに誕生した「国民国家」
紀元前27年に成立したローマ帝国は、紀元後の395年に東西に分裂し、ゲルマン人の侵攻を受けて衰えた西ローマ帝国は476年に滅亡します。
西ローマ帝国の滅亡は、そのままローマ教会の危機となりました。東ローマ帝国にはコンスタンティノープル教会があり、教会の首位座をめぐる争いでも劣勢に立たされたのです。
しかしローマ教会は盛り返します。451年にローマ司教レオ1世がカルケドン公会議で三位一体説の正統性を主張し、それが決議されたためにローマ教会の権威が高まりました。
レオ1世は翌年、ローマに侵攻したフン人のアッティラを撤退させ、ローマを救った司教としても信望を集めます。ローマ教皇という存在は、レオ1世を境にして、ヨーロッパの政治を動かす重要な権威となりました。
ヨーロッパと日本は、権威の在り方が違います。
日本は、天皇を唯一最高の権威として掲げて社会がまとまってきた文明です。
対して、ヨーロッパでは、キリスト教の指導者であるローマ教皇という権威と、支配者としての王侯貴族の権威が別々に 存在して分断された社会が続き、その二者の主導権争いの側面の強い歴史を展開していきました。
王侯貴族はそれぞれの支配地で封建的な関係を結んで他の王家と勢力を争います。ローマ教皇は王侯に対して支配権の認可を与えるなど、宗教的権威として采配を振るいました。
キリスト教会の権威的支配は、一般的に「中世」と呼ばれる5世紀から15世紀を通じてほぼ揺るぎのないものでしたが、 16世紀に宗教改革が起こります。
カトリックの伝統的教義を捨て、「聖書」そのものの権威を主張してローマ教皇の権威を否定する、という改革運動です。
宗教改革によって教会を中心としていた行政体制が崩れ、地域の統治は王侯貴族による支配が中心的となりますが、ローマ教皇の権威は王侯貴族にとっても利用価値の高いものでしたから、実質的に両者の関係は相変わらずの均衡を続けました。
16世紀以降の「近世」と呼ばれる時代に入ると、各地の王が「重商主義」という政策をとるようになります。重商主義とは「輸出を最大化すると同時に輸入を最小化し、外貨準備の蓄積によって貴金属や貨幣などを増やす」という経済政策で す。
重商主義は領土拡大を前提としますから、強いリーダーシップを必要とします。軍事力の増強と官僚体制の充実を図るために主権国家体制のようなものができ、「絶対王制国家」あるいは「絶対君主制国家」と呼ばれる状況となりました。
ドイツの宗教的内乱から大規模な国際戦争に発展した三〇年戦争の講和条約である1648年の「ウェストファリア条約」は、講和という性質上、戦争に参加した諸国の主権を明らかにする必要がありました。この条約をもって、近代ヨーロッパの政治的地図が確定したのです。
『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より
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【生配信】第368回 上念司&山田吉彦が最新ニュースを深掘り解説!
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00:09:22 オープニングCG
00:17:20 佐藤優氏にNHKがインタビュー ネットで話題に
00:35:15 玉城知事 尖閣周辺の中国船〝常駐化〟を憂慮
00:50:28 中国株の売り加速 当局措置でも下げ止まらず
01:06:13 番組からのお知らせ
01:17:23 特集「オワコンブルース:日本K産党」 *************************************************
2024年1月24日水曜日
鉄器時代の幕開けと世界最大宗教へと続く道
鉄器時代の幕開けと世界最大宗教へと続く道
紀元前14世紀に古代オリエントを代表する強国として最盛期を迎えたヒッタイトの強さの要因は「鉄器」の活用にありました。
現在のトルコやイラクなどにあたるオリエントの北方地方、つまりヒッタイトが支配した地方は、多くの金属鉱石が採れることで有名でした。
装飾品や農具、そして武器に使う材料の多くがこの地方から周辺の国々にもたらされました。
鉱石を掘り出して溶かし、加工する技術の蓄積こそがヒッタイトの力でした。紀元前13世紀初頭、ヒッタイトと衝突したエジプト新王国のラムセス2世が相手にしたのは、「世界初の鉄器で武装した軍団」だったのです。
現代では巨大な溶鉱炉と完璧な装備を使いますから、鉄や銅などの金属を溶解するのは簡単です。
しかし、紀元前13世紀当時には装置も知識もありません。
すでに青銅器の時代は迎えていましたが、銅についても溶かすだけでたいへんな手間と技術を必要としました。
ましてや、融点1000度程度の銅や錫(すず)よりも500度以上高い融点を持つ鉄を扱うことは容易なことではありませんでした。
ヒッタイトでは、経験をもとにした多くの知識を持つ「カリュベス人」と呼ばれる人々が鉄の製造を担当していたと言われています。貧弱な、今で言うブルーム炉を使っていました。
しかしカリュベス人は鉄をどうしたら強くできるかということにかけてはよく知っていたと言います。
カリュベス人はすでに紀元前2000年頃から、炭素の少ない錬鉄を叩くことによって炭素を鉄に浸み込ませ、“はがね”に 変える技術を磨いていました。
ラムセス2世はヒッタイトとの消耗戦に疲れ、ヒッタイトの王ハットウシリ3世の娘を妃に迎えて、講和条約を結びます。
エジプトに、鉄器と鉄の優れた製造方法が伝わりました。現代につながる「鉄器時代」の幕が切って落とされたのです。
当時のエジプトには数百年前から移動してきたイスラエルの民、すなわちユダヤ人が住んでいました。エジプト人にとっては異民族です。
ユダヤ人は結束が固く優秀で、徐々に王国の中枢に対して影響力を持ってきました。
ラムセス2世は国外問題としてヒッタイト、国内問題としてユダヤ人を抱えていたのです。
やがて、ユダヤ人の中から卓越したある人物が出現し、ラムセス2世にとって事態はさらに悪化します。その人物こそが「モーゼ」であり、モーゼの出現によってユダヤ人の台頭は明白になりました。
ラムセス2世はユダヤ人を極度に圧迫し始めます。
彼は葬祭殿ラムセウスの建設にユダヤ人を酷使しました。
圧制王ラムセス2世に対するユダヤ人の反発は、さらに激しくなっていきました。
ユダヤの祭日「過越祭」の夜には、エジプト人の長男の幼児がすべて死に絶えるという事件も起きました。
ラムセス2世は戦いを挑み、モーゼおよびユ ダヤ人の追放を決意します。これが『旧約聖書』に「出エジプト記」として書かれている事件です。
ユダヤに語り継がれるラムセス2世は圧制の王であり、悪の権化です。
とはいえ、ラムセス2世ほど歴史の大舞台に立った人物はいなかったと言えるでしょう。
ヒッタイトに相対したカデシュの戦いでは「青銅器時代から鉄器時代への転換」の舞台に立ちました。モーゼとの戦いは「キリスト教という人類最大の宗教の発祥」の舞台に立った、ということでもありました。
ラムセス2世は「鉄器時代の幕開け」と「最大の宗教の発祥」の2つの巨大な歴史の波の中でもがき、苦しんだ王でした。
『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より
R060124 107
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